(2)1回の失敗は1回の成功で…
「薫君!」
……。
「薫君ったら!」
ドンと突き飛ばされ、我に返る。
薄暗い部屋の中、非常灯の青白い照明が目に飛び込んでくる。
ん? 意識がトリップしていた?
さっき黒服に殴られた部分が、鈍い痛みを発している。
首を曲げると、心配そうな蘭花の顔。
「大丈夫? 薫君。さっきから何かつらそうだけど」
先ほどから頭がぼーっとしたり、確かに身体がおかしい。
だけど、蘭花にこれ以上心配掛けたくない。
「あ、いえ、何か、昨日寝不足で~」
とっさの嘘としては上出来だ。
蘭花の表情が少し緩む。
「あ~、じゃあ、あたしと同じだね」
「え? 部長もですか? なんでですか?」
「うん、そりゃぁ……、あ、……まあ、女の子には色々あるって事よ」
蘭花は途中で言葉を飲み込むと、そう言った。
「そ、そうですか」
「そうそう」
蘭花は何度も頷く。
蘭花が言いかけた内容は、分かっている。
寝不足は僕のせいじゃない……と言いたいんだろうな。
「さて、どうやって逃げましょうか」
僕は蘭花を見た。
しかし、蘭花は視線を固定させたまま、
「う~ん。どうしたい? はっきり言って、ほぼ不可能だと思うよ? あたし達が助かるのは」
他人事のように呟く。
「そんな……、まあ、確かに論理的に考えて、うまくいく方法を僕も思いつきませんけど」
蘭花らしくない言葉に少しびっくりしたが、確かに蘭花の言うとおりだ。
入り口は鍵が掛かっている。
電話もないから、外へ助けを求めることも不可能だ。
窓を開ければ出られるが、あいにくここは四階。
進入するときに確認したが、この校舎には、よじ登れるような雨樋がない。
だから、教頭は僕達を残して部屋を離れることが出来たのだ。
「あのさ、……失踪事件だけど。もしかしたら――」
蘭花が口を開く。
「今は、そういうこと考えるのを止めましょう。部長らしくないですよ?」
僕は、蘭花の言葉を遮った。
つまり、失踪事件の犠牲になっている生徒は、実は蘭花と同じ『調査員』で、何らかの理由で存在を消されたのでは? って言いたいんだろう。
「うん。……ごめん」
蘭花は下を向いた。
僕は、ふと、蘭花の肩が小刻みに震えている事に気付き、自分のうかつさを呪った。
今まで、蘭花の賢さや知識の幅の広さや破天荒さに、僕もうっかりしていたが、冷静に考えれば、蘭花は普通の高校生、十六歳の少女なのである。
この間、気付いたばかりではないか。
まあ、僕も普通の高校生であるが……。
蘭花は、このような所に長時間監禁され、下手をすれば殺されるかもしれない、いや、それ以上の屈辱を受けるかも知れないと言う恐怖と戦っていたのだ。
先ほど、再び現れた教頭が、下卑た笑みを浮かべながら言った。
『お前達は、不純異性交遊が発覚し、保護者に連絡されるのを嫌って、心中を図るんだ。……どうだ、お前達には、お似合いの最後だろ?』
つまり、用が済んだら殺すぞと。
そんな中、確実に助かる策が見いだせない状態で、まともな精神状態を保つこと自体が困難なわけだ。
僕達は、どこかの学園ドラマで活躍しているような、特殊な訓練を受けているエージェントではなく、ましてや、必ず助かるというシナリオの下に役を演じているわけでもないのだ。
「大丈夫、何とかなりますよ」
僕は少し深呼吸すると、蘭花の方に身体を寄せる。
蘭花の震えが直に感じられ、先ほどのが目の錯覚でないことが判る。
蘭花は、特に反応するわけでもなく、下を向いたままだ。
こういう時って、男は『大丈夫だよ』とか言って、肩を抱かないといけないんだろうな。
間違った知識?
テレビの見過ぎ?
「でもさぁ、あたし結構やばいことまで知ってるんだよね~。教頭としては、何とかしておきたいわけでしょ? 事件が明るみに出たら、人生終わっちゃうわけだし。もう……、何でこんな事になっちゃったのかなぁ……」
ぶつぶつと呟く蘭花。
「あっ、お父さん! ……部長のお父さんが帰って来いって、言ってたじゃないですか。こんな夜まで帰らなかったら、心配してあれこれ探すんじゃ――」
「それはないわ」
「え……」
僕の言葉を遮る蘭花を、思わず凝視する。
「お父さんは忙しいし、それに、私は必要の無い子だし」
「そんなこと……」
「あっ! ごめん。今の無し無し。ほんと、忘れて?」
蘭花は息をのむと、曖昧な笑みを僕に向けた。
縛られていなければ、口を押さえていたところだろう。
去年の9月に編入ってのと、何か関係があるのだろうか。
僕はぐるぐると思考を巡らせるが、蘭花はそれ以降、言葉を発することはなかった。
「こんな事なら、カルボナーラ、今日も食べておけば良かったね」
ずいぶん長い沈黙の後、いや、実際は数分だったかもしれない。
蘭花は、弱々しく笑みを浮かべる。
「はいはい、じゃあ、来週の月曜に行きましょうよ」
僕は、何とか蘭花を元気づけようと前向きに答える。
「来週なんて、あるのかなぁ……」
どんどん壊れていく蘭花に、僕は、内心焦りを感じていた。
エリートならではの脆さなのか。
凡人に比べ、圧倒的に失敗の経験が少ないから、些細なミスが命取りになるのだろうか。
「そうそう、ライブ! 明日じゃないですか。とにかくここを出て、ライブ行きましょうよ」
「ライブかぁ……、なんで今日じゃなかったんだろうねー」
「部長~。前向きに行きましょうよ。……そうだ、ここから出られたら、1つだけ何でも言うこと聞きますからっ!」
もう、銃殺でも何でも、好きにしてくれてかまわない。
だから、いつもの蘭花に戻ってほしい。
「ありがとう、覚えて置くわ。でも、良かったわね。約束守る必要は多分無いわよ」
……戻ってこない。
「えっと、だから、うまく言えませんけど、仮に、部長と同じ立場で失踪した人がいたとしたら、それは、一人だったからだと思うんですよね。でも、僕達は、今、二人で居るわけで、……だから、ほら、三人集まれば文殊の知恵って言いますか……」
『僕が守りますから』
……後一歩を言う勇気がない。
もどかしい。
蘭花は、フフと力なく笑う。
「三人いないじゃん。文殊の知恵も出ないよ?」
あっ、そうか。
って、おいおい、そうじゃなくって!
「も~、せっかくいい話しているのに、茶化さないでくださいよ~」
「うん、……ごめんね。でもさ、やっぱり現実は、鍵の掛かった四階の部屋で縛られててさ、あたし達は特殊能力が備わっているわけでもない、しがない高校生なんだよね~。もう、どうしたらいいのか、分からないよ」
「部長……」
焦点の定まらない目をして、呟く蘭花。
分からないとか言うのは、思考を放棄した愚か者じゃなかったのですか? と、突っ込む余裕は無かった。
僕は、背中の芯から身体が冷え始めるような感覚に陥る。
「あの、部長? 現状で、出来ることは何かを考えましょうよ。とにかく、僕達は生き延びるしかあり得ないんです。二人で考えて、良い方法をとってみましょう。ね?」
僕は、ざわざわする心を抑え、努めて明るい声を出し、蘭花を見た。
しかし、蘭花は下を向いたまま、
「うん、……でも、もうどうしようもないんじゃないかなぁ」
ぼそぼそと呟く
その姿に、僕は思わずイラっと来る。
僕だって、実際、絶体絶命の危機に瀕して、いっぱいいっぱいなんだよ!
なんだよ! 僕の失態を責めているのか?
じゃあ、どうしろって言うんだ?
確かに、僕が蘭花から言われたことを、ちゃんと実行していれば、助かる確率は、ほぼ一〇〇パーセントだっただろう。
いや、その前に、校長からの伝言をすぐに蘭花に伝えてさえいれば、今頃こんな所に座っていることもなかったはずだ。
些細ではあるが、重大なミス。
でも、だから、何?
そのことについては、反省している。
だが、後悔はしていない。
一回の失敗は、一回の成功で償えばいいんだろ?
って、あの名作知っている人、この時代にいるかなぁ。
つまり、そんなことよりも、これからどうするかを考えることに、頭を使うべきだろう。
何とかする方法を考えようって言ってるんだよ!
ごめん、僕は聖人君主でも、心の広い大人でもないんだ。ちょっとしたことでキレてしまう、血気盛んな高校生! そのまま頭に血が上り、その結果が言葉となって表れる。
「じゃあ、勝手にしろよ!」
発した瞬間、しまったと思ったが、もう遅い。
しかし、突然の大声に、蘭花は震えている肩をビクッとさせ、驚きの表情でこちらを向いただけ。
「ご、ごめんなさい」
蘭花は消え入りそうな声で謝り、目をそらした。
その表情が、その言葉が頭に入ってきた瞬間、僕の頭に上った血が一気に引いていく。
『ごめんなさい』かよ。
なんて目してるんだよ!
怒れよ!
いつもみたいに『なにその言い方? DMZ規則違反で銃殺になりたいの?』とか言ってくれよ!
僕の知っている蘭花は、無敵の蘭花は、どこに行ってしまったんだ?
いったい、どこまで崩壊が進んでいるんだ?
そんな中、さっきまで、僕に気を遣って、無理して……、
でも、蘭花の精神は、もう限界なんだろうな。
結局、僕のせいだ。
くそっ。
喉に熱いものがこみ上げてきたが、それをため息に変え、吐き出す。
とにかく! 僕が何とかしないと。
僕は、目をこすると教室の前を見た。
ん?
そうか!
でも……。
いや、やってみるしかない。
今は、四の五の言っている場合じゃない。
「部長」
僕は、何とか冷静な声を出すことに成功した。
「!」
蘭花の肩が、再びビクッと動く。
「あの、えっと、生意気な口きいてすみません。その件については、全てが終わったら銃殺でも何でも……。ただ、一つ、助かる案が浮かびました」




