(3)いつもと違う日
「――んで、いざという時のために練習してるわけだよ」
さっきから隣で蘭花が熱心に説明している中、僕は、道を行き交う人々をぼんやり眺めながら、過負荷気味の頭を冷やしていた。
まだ朝の十時前と言うこともあって、商店街の人通りはまばらだ。
それにしても、今日こそは朝から勉強をするぞという意気込みで来たのに、あんな事があって、全て吹っ飛んでしまった。
蘭花も同じなのか、データ作りではなく、「今日は外の空気を吸いたい」などと言い出し、混乱していた僕は反論することも忘れて、何となく街まで歩いてきてしまったのだ。
「ちょっとっ! 聞いてるのっ?」
いきなり腕を引っ張られ、思わずよろける。
「ちょっ! 何するんですかっ。ちゃんと聞いてますよ。てか、もう四回目ですよ、その説明」
「いいじゃん、別に~。校則で禁止されている訳じゃないし」
「はいはい」
仮に禁止されていても、校則など守る気もないくせに。
「はいはい、って、も~」
僕の投げやりな返事に、蘭花は口を尖らせる。
……あれ?
まあ、いっか。
そう、先ほどから蘭花は、聞いてもいないのに、今朝の言動についてあれこれと弁解、いや、説明しているのだ。
今朝の言動とは、夢がどうので、第二条違反って言ったことだ。
曰く、規則は常に頭に入れておかないと、いざという時に発動出来ないから、普段から言う練習をしてるのだ、とか。
はっきり言って、何言っているのか意味が解らない。
……それはそうと、蘭花からいつものパワーを感じないのは気のせいだろうか。
まあ、寝坊して色々気まずいんだろうな。
「だけど、部屋に行ったときは、本当にびっくりしました」
僕は、話題を変える。
放っておいたら、また同じ説明をしかねない。
「え? なになに? あたしのパジャマ姿にムラムラ来たとか? やらしいなぁ~」
蘭花が悪戯っぽい笑みで、僕の顔をのぞき込む。
来るかっ!
大体、あの時、真っ先に僕の頭に浮かんだのは、発砲されるんじゃないかって事だったよっ!
「ち、違いますよっ! その、部長でも寝坊とかするんだな~って」
「なによっ。まるで、あたしが真面目一本の学生みたいな言い方~」
あの~、『真面目』って意味解って使ってます?
心配しなくても、部長が真面目だなんて思ったことなど、一度もありませんから!
蘭花は、少しの間僕を睨んでいたが、
「まあ、健全な若者に寝坊はつきものよっ」
と胸を張って言った。
「はいはい」
威張って言うことかよ。
「また『はいはい』って言う~。それ、馬鹿にされてるみたいだし、やめてよね~」
……やっぱり。
僕は、深呼吸すると、心を決めた。
「部長……」
「うん?」
いつもと違う声音に、怪訝そうな表情で僕の顔を見上げる蘭花。
僕は、あれこれ思考を巡らせると、言葉を組み立てた。
「部長、僕に何か隠してません?」
「!」
蘭花の顔が強ばる。
蘭花の態度に予想が当たっていたことを確信し、同時に後悔する。意外にも重いものを引き当ててしまったのかもしれない。
「……何で、そんなこと聞くの?」
ややあって、蘭花が口を開く。
いつもの攻撃的な表情ではなく、逆にその表情が、僕に対して「触れないで」と、強く訴えているように感じた。
「あ、……いえ、何か元気がないみたいで、今日も寝坊とか、らしくいないですし、ちょっと気になったって言うか、ほら、部長ってば、ちょっと強がりなところあるじゃないですか」
何とか上手く取り繕えたと思う。
「心配してくれるんだ。……やだ、何か嬉しいじゃない」
蘭花は、少し感慨深げな表情を見せた。
その表情に、僕はこれ以上聞く事をやめた。
……まあ、いっか。そもそも、下手に詮索すればDMZ規則第五条違反って言われかねないし。
「実は……さ」
前を向いたまま、蘭花。
「はい」
「お父さんが、停学の事知って……」
「!」
その先は何となく解る。
「帰って来なさいって。……まあ、ぶっちゃけ、それは織り込み済みだったんだけど、事情が変わってね~」
「帰る」という言葉に、僕の頭がしびれたような感覚に陥る。
蘭花はともかく、……いや、ともかくはさすがに失礼か、とにかく、普通の親なら、下宿までさせて通わせている進学校で、勉強もせず何やってるんだ! ということだろう。
そして、力なく笑う蘭花を見ながら、僕は何となく判った。
『事情』とやらが、僕を指しているのだろうと言うことを。
「……」
この間の夜と同じ、何も言葉が出なかった。
蘭花がこの学校からいなくなる、それは何か嫌だ。
でも、じゃあ、どうすれば良い?
行かないでください、って言うのか?
でも、言ったところで、それは、家庭の事情。この間の蘭花のように、単身で相手の親に話をしに行く勇気は、無い。
こういうとき、どう言う言葉をかけるのが最善なのか。
何かを言った後の影響をあれこれ考えると、行動に移せない自分がいる。
成長の無い自分に嫌気がさす。
「……あの、あのね、それで、薫君」
蘭花が突然立ち止まり、僕の方を見た。
「はい?」
いつもと違う声音、今まで見た事のない、弱々しい表情に僕の鼓動が速くなる。
「えっと、……その、何て言うか」
蘭花の視線が宙を彷徨う。
あれ? この蘭花の声音と目。前もこんな事あったような……。
僕は、階段脇で対峙した時の事を思い出す。
「かお……る君が、もし、……迷惑じゃ……」
「!」
あの時も、もしかするともしかして。
ふわっとスイートオレンジの香りが、僕の鼻腔をくすぐる。
「……えっと、」
まさか、まさかね。
僕は次の言葉をあれこれ想像し、身を固くする。
しばし沈黙。
蘭花は大きく息を吸い込むと、軽く吐き出し、思い詰めたような表情で僕をじっと見た。
「わた私ね、あの、ずっと……」
やばい、動悸が激しすぎて目眩がしてきた。
僕は、蘭花から「その」言葉を発せられた後の対応を再び必死に考える。
自分はどうなんだ?
いや、いくらなんでも展開が急すぎるだろ。
まさか、これも夢?
と、突然、蘭花の表情が険しくなる。
「部長?」
「……やっぱり」
呟いた後、蘭花は軽く首を振り、僕を促すと、歩き始めた。
「部長?」
展開について行けず、僕は馬鹿みたいに「部長」を繰り返す。




