(2)非常事態
「部長、入りますよ~」
「らんかのへや☆」と、ホームセンターで買ってきたようなプレートが掛けてある木のドアをノックする。
返事はない。
集中していて気付かないのかな? と、カチャリとドアを開ける。
三分の一ほど開けたところで、異常に気づく。
部屋が薄暗いのだ。
そして、僕がデータ入力をしていたあたり、つまり、部屋の中程に横たわっている物体。
……まさか!
僕が嫌な想像を巡らせている前で、突然、その物体が、むくりと起きあがった。
「ん……、はやかさん。ほはよーございまふ。……今日は、早いれふね」
大きめの黄色いパジャマを着ていた蘭花は、目をこすり、ぼんやりとこちらを見る。
寝ているときも聴いていたのか、肩からイヤフォンが垂れ下がっている。
髪の毛は、ぼさぼさだ。
ついで、枕元の時計を眺め、数秒の後、慌てて布団をはね除ける。
「あっ、もうこんな時間! すすみませんっ!」
そう言い、蘭花は(多分)焦点のあった目を再びこちらに向け、自分の失態が最大級に達していることを悟る。
「わっ! えっ? かかか薫君っ?」
蘭花は、信じられないぐらい狼狽し、はね除けた布団をたぐり寄せる。
「すっ、すみませんっ!」
バンッ!
異常の内容が、やっと脳の判断機構に到達した僕は、慌ててドアを閉めた。
☆
「蘭花ちゃん、出てくるって?」
心臓が口から飛び出さないように、口を固く閉じ硬直している僕の前に、湯気の立ち上るカップをコトリと置きながら、あやかさんは笑顔で聞いた。
「黄……いや、はい。三十分待っててって」
甘ったるい香りを、ぼんやりと感じながら、僕。
先ほどの蘭花のパジャマ姿が、目に焼き付いて離れない。いや、下はいてくれてて良かった~、って何考えてるんだ! 僕は?
「あら、そう。じゃあ、蘭花ちゃんの分も作っておくわ~」
自分を叱咤している僕の心情を知ってか知らいでか、鼻歌を歌いながら、あやかさんはカウンターへと消えていった。
よけいなことは言っていない。
よけいなことは言っていない。
DMZ規則第二条遵守。
僕は、心の中で復唱する。
改めて、あやかさんの天然ぶりを実感する僕であったが、今は、それに救われた。
「そういえば、あやかさん。質問なんですけど」
「はーい。どうしたの? 薫君。私に質問なんて珍しいわね。蘭花ちゃんに聞けない事?」
「……ええ、ちょっと聞きづらいもので」
僕の曖昧な笑みに、あやかさんは何故か急に嬉しそうな表情を浮かべる。
「なになに? 蘭花ちゃんの好みのタイプ? それはねぇ~」
「やっ、ちっ、違いますよっ! そうじゃなくって!」
ひそひそ声で囁くあやかさんを遮り、僕は全身で否定した。
顔から汗が噴き出す。
……って、何でこんなに焦るんだ?
「え~、なぁ~んだ。おばちゃんがっかり~」
「三十で自分の事『おばちゃん』って言わないでください」
「わぁ~、ありがと~。薫君良い子ね~。蘭花ちゃんが気に入るのも解るわぁ~」
「そっ、それよりも、質問なんですがっ……」
まったく、この人はこの人で人のペースを崩す天才だな。
「はいはい」と笑いながら言うあやかさんを見ながら、小さくため息をつく。
「あの、例えば、の話なんですが~」
「うん」
少しだけ表情を改め、あやかさんが頷く。
「あの~、妙にリアルな夢を見て、そこに知り合いが出てきてて、実は、二人とも同じ夢を見てるって事あると思います?」
「……う~ん。夢かぁ~。ちょっと専門外ねぇ~」
あやかさんは額に右手を当て、考え込むような仕草をした後、笑顔を浮かべた。
「でも、もし、二人が近しい関係なら、そう言うこともあるんじゃない?」
「近しい? ですか?」
よく分からない。
「ああ、だから、二人がお互いにお互いの事を四六時中考えている関係なら、ってことね」
「はぁ……」
僕は、あやかさんが言わんとしていることを理解しようと努める。
「その時に、お互いが同じ想いを強く抱いていたら、……うーん、そうねぇ、例えば、お互いに喧嘩しちゃって、仲直りしたいって強く想っていたりとか、そんなときは、同じ夢見ても不思議はないんじゃない?」
まるで、僕の心を見透かしているかのように微笑みを浮かべながら、あやかさんは、ちら、とドアの奥を見た。
でも、何かすごく納得。
「じゃあ、それって、つまり、寝たときに同じ夢に登場す――」
「ちょっとちょっと! さっきから何余計なこと喋ってるのよ! 同じ夢とか、それ、第二条違反だし!」
突然、バンッと音がすると、蘭花が僕の言葉を遮り、睨み付ける。
「あっ! いや……」
予想よりも早い蘭花の登場に、しどろもどろになる僕。
……あれ? でもそれって、もしかして?
しかし、直後、蘭花は慌てて口に手を当てると、
「……あ~、いや、別に~。だから、……そうよっ、『第二条違反』って言ってみるテストよっ」
後ろ手でカチャリとドアを閉めながら、早口でそう言い直した。
「ふふっ、高校生はテストがいっぱいで大変ねぇ~」
……いやいや、そのテストじゃないですし
それより、やっぱり蘭花も僕と同じ夢を見てたってこと?
テーブルの向かいにどさっと腰を下ろした蘭花は、鼻歌交じりにカウンターへ向かうあやかさんを見送ると、僕の向こうずねを蹴っ飛ばす。
「てっ!」
僕は痛みに耐えながら、抗議の目で、蘭花を見る。
ちょっとだけ髪型が乱れているのは、セットの時間を惜しんだからだろう。
「だからっ、テストなのっ。夢とか、何でもないんだからね? 分かった?」
蘭花は、僕の顔をのぞき込む。
「分かってますよ」
……全然分かりませんけど
反論したいところだが、反論したら何をされるか分からない。
僕は、とりあえず神妙な表情を浮かべ、何度も頷いた。




