(2)仲直りのプロセス
空を見上げると、満天の星空。
市街地からは少し離れた住宅地のため、辺りは真っ暗で、星が良く見える。
チリチリと自転車のギアが音を立てている。
高輝度LEDの前照灯が、暗闇に二筋の光線を発している。
蘭花と僕は、自転車を押しながら、あぜ道を歩いていた。
自転車に乗ればいいのだが、何となく二人とも乗らずに歩いてきてしまった。
☆
『では、明日から、市ノ瀬さんが学習するところで、ご迷惑でなければ、一緒に学習させていただくということで、どうでしょうか? 勿論、ご自身の学習を優先させてください』
親父が出した結論。
人の親として、いくら申し出があったからと言って、『ちょうど良かった。じゃあ、お願いします』などと言えるわけがない。
かといって、わざわざ申し入れに来た蘭花の顔をつぶすわけにもいかない。
親父として、考えた末、ギリギリの提案をしたわけだ。
オトナの判断?
そして、蘭花との話が終わると、親父が僕の方を向き、言った。
『薫。市ノ瀬さんを送って差し上げなさい』
僕は、曖昧な表情で親父を見上げたと思う。
『い、いえ、もう遅いですし、私は大丈夫ですから』
同じだろう。慌てて遠慮する蘭花に対し、親父は、
『市ノ瀬さん。遅いからこそですよ。こういうときは、大人の言うことを聞くものです。こいつは、頭はあまり良くないですが、まあ、褒められた事じゃないのですが、チンピラ二人ぐらい相手なら、充分渡り合えるぐらいの腕っ節はありますから、利用してやってください』
笑みを見せながら言った。
『……ありがとうございます』
蘭花は、申し訳なさそうに頷いた。
実際、親父の言う通りだと思う。
僕は時計を見た。
十一時四十分。
思ったより時間は経っていない。
第一、そんなに揉める話でもなかった。
蘭花の話が理路整然としていたため、親父も特に反論することなく、話は終わったのだ。
とはいえ、深夜と言っても良い時間だ。
最近、世の中物騒で、変質者も多い。
特に、女性の一人歩きは危険なことこの上ない。
よく考えれば、家に来る時も同じだったはずだ。
蘭花なら、変質者が出たとしても、エアガンで蜂の巣にするかも知れないけど。
もっとも、親父は、サテライトでの出来事を知らないから、僕達の間に渦巻いている、『気まずさ』までは考慮出来なかったのだが……。
そんな訳で、家を出てから、二人とも口を閉ざしたまま黙々と自転車を押しているわけだ。
☆
相変わらず街の方では、バイクの爆音が響いている。
僕は、横目でちらりと蘭花を見た。
蘭花は、口を真一文字に結んだまま、まっすぐ前を向いている。
何を考えているのかは、分からない。
僕の頭の中で、先ほどから、いろいろな言葉が浮かんでは消えている。
のど元まで出ても、それが音声となって空気を振動させることはなく、そのまま消えていく。
言いたいことは色々ある。
聞きたいことも色々ある。
だけど、何よりも、その前に、一番最初に言わなければならない事が、一つある。
二人のこの気まずさを、解消するための一言。
『先ほどは、すみませんでした』
その一言が、何故か言えない。
言えない自分に、もどかしさを感じる。
もう、蘭花に対して、怒りとか、そういうのは全くない。
じゃあ、何で言えないのか?
生意気な態度を取った後輩に対し、あそこまで考えてくれていたことが、蘭花との人間の器の違いを再認識させられることとなり、逆に、蘭花との距離を遠ざけているのだ。
何を言っても、あの賢い頭で瞬時に計算し、僕の心を見透かされそうで、怖くて言葉が出せない。
それを見越して、僕の気持ちが確実に伝わるように言葉を発しなければいけない。
そんな都合の良い言葉って、あったっけ?
いつもみたいに、馬鹿馬鹿しいことを口走り、罵られていた方がよっぽど楽だ。
まさか、それも僕のレベルに合わせるために、計算しての行動だったのか?
距離にして、約五十センチ。すぐ隣にいるのに、今まで、ただのおちゃらけた先輩だと思っていたのに、今は、ものすごく遠い世界に住んでいる人のように感じる。
謝った結果、蘭花は、いつものように、屈託のない笑顔を向けてくれるだろうか?
親父の前で、ああは言っていたが、内心は腹わたが煮えくり返っているのではなかろうか?
謝ったが最後、『今更何言ってるのよ!』ぐらい言われるのではないか?
もっと酷いことを言われるかも知れない。
蘭花が、怖い。
とても怖い。
言葉を発した後の、蘭花の行動をあれこれ考えると、簡単な一言が、どうしても出ない。
蘭花について『銃殺』以上に怖いことがあるなんて、今の今まで気づかなかった。
いや、いっそ『はい、DMZ規則違反で銃殺ね。そこに立って』とか言われた方が助かる。
……いかんいかん、また、負の無限ループに入っているな
☆
僕が、なけなしの勇気を総動員して、頭の中で一〇〇回近く繰り返していた言葉を、音声に換えようと決意した瞬間、
「薫君?」
蘭花の声。
僕の身体が強ばる。
声音も、いつもと異なり、固い声。
心臓の鼓動が、無意味に速くなる。
『薫君』と呼んでくれたことが、せめてもの救い。
もし、『川上君』なんて呼ばれてたら、僕は、ここから逃げ出していたかも知れない。
「……はい」
全ての最悪を想像し、蘭花から何を言われてもショックを受けないよう、心にシールドを施した後、僕は返事をする。
何となく、蘭花の方を見られない。
心の迷いが、間となって、心の壁が、固い声となって表れる。
「まだ、……怒ってるのかなぁ」
ため息の後、呟くように、蘭花。
その言葉に、僕の中で、ある部分の緊張が解ける。
怒っていない、怒ってなんかいませんよ。
と言うか、そもそも、僕に怒る資格など無かったのだ。
蘭花は真剣に僕の事を考え、行動してくれていた、それを僕は……。
いや、そんなことより!
ここで言うべきだ。
今言わなきゃ、いつ言うのだ?
このまま明日を迎えるつもりか?
退部し、蘭花とは無関係の世界で生きていくのか?
こんな貴重な人物との出会いを、みすみす無にするのか?
それが、お前の望みか?
違うんだろ?
だったら、
さあ、言え!
今言え!
言うんだ!
早く!
僕は、大きく息を吸い込んだ。
「あの、すみませんでした」
「さっきは、ごめんね」
二人の声が重なる。
一瞬の沈黙。
蘭花が、ぷっと吹き出す。
「ふふっ。どうやら、この道中、二人とも同じ事を考えていたみたいね」
「そうみたいですね」
やっと、蘭花の顔をまともに見られた。
蘭花は、固い笑みを張り付かせた、複雑な表情をしていた。
「あたしったら、駄目だわぁ。最初に言おう。薫君と出発したらすぐ言おう、って思っていたのに、ここまで言い出せずに来ちゃった」
この言葉で、僕は蘭花に対して感じていた距離が、いきなり元に戻ったような気がした。
「実は、僕も同じです。何を言っても、部長に見透かされそうで、怖かったんですよ」
「あたしも同じ~。変な話だけど、薫君が怖かったわ。なんか、謝ったが最後、とても酷いことを言われそうな気が……っ」
不意に、蘭花の言葉が止まる。
――!
どしたのかと蘭花の方を振り向いた瞬間、僕は、全身を電流が突き抜けるような感覚に陥った。
見られまいとしているのだろうか、僕から顔を背ける蘭花の、月光に照らされたその頬に光る筋。
当たり前のことを忘れていた。
蘭花は、超人などではない。決して。
蘭花は普通の女の子で、僕と同じようなことで悩み、考えている、一人の高校生なのだ。
男女平等とか言うけど、それでも、女の子を泣かせる男は最低だよな。
だけど、残念ながら、僕にはこの状況をフォロー出来るだけの気の利いた行動や、気の利いた言葉を掛けられるような、人生経験はなかった。
どうすることも出来ず、気付かないふりをして沈黙するのが精一杯。
ただ、心の底から強く思った。
本当に、申し訳なかったと。
二度と、蘭花にこんな顔はさせまいと。




