(1)終わらない夜の始まり
……って終わらないのが、この話の良いところ。
っていうか、針のむしろの始まり始まり。
章変わったから油断してたぜ。
「あら、今日はお客さん多いわね」
あきらを見送っていた母親が、暗がりを伺い、軽く会釈する。
「!」
このときの僕の感情を一言で表すことは出来ない。
一瞬全身が冷え込み、その後一気に暑くなり、また冷え込む。
「お父様と、お母様に、お話があります」
その人物は、小さい声で、だが、はっきりとそう言った。
僕の全身が震えで満たされるのに、それほど時間はかからなかった。
「……っ! ちょ、ちょっと、トイレっ! ささっきから我慢しててっ」
「あっ、薫っ! どこ行くのっ!」
もう判るよな。
暗がりで、自転車を支えながら立っていた人物。
高山学園の制服を着て、胸元は水色のリボン。
その鋭い眼光は、一体、何を射抜こうとしているのか。
……殺される!
激しい震えに加え、妙な興奮が身体中を満たし、本当に漏れそうになってしまったわけで。
☆
『薫! いつまでかかってるんだ? 早く来なさい!』
親父の声。
本日二度目の呼び出しに、トイレの後何となく部屋に隠れていた僕は、言う事を聞かない足を踏み外さないように、慎重に階段を下りた。
死刑執行される囚人って、多分こんな気持ちなんだろうな。
リビングに入った僕の目に飛び込んできたのは、残念ながら予定に変更はなく、蘭花だ。
蘭花は、大きめのちゃぶ台の向こうで正座をしており、親父に向かって何かを喋っていたが、僕を確認すると一旦口を閉じる。
僕は、何となく蘭花と目を合わせづらく、親父の隣で、斜め横を見て座った。
「いやー、わざわざすみませんねー。あっ、若いから、冷たい物の方が良かったかしら」
母親が、湯気の上がっているカップを蘭花の前に置く。
蘭花は、『いえ、ありがとうございます』と、母親に向かって軽く頭を下げると、緊張した面持ちで親父の方を見、再び口を開いた。
「……従いまして、川上君は私をかばったと受け取られ、共謀者という扱いになってしまったのです」
父親は腕を組んだまま、黙って聞いている。
「全ては、騒ぎを起こしてしまった、部長の私に責任があります。申し訳ありませんでした」
蘭花は、深々と頭を下げる。
父親は軽く頷くと、少し息を吐き、
「なるほど、状況は分かりました。いや、薫の説明はさっぱりでしてな。『何をしたのか分からずに、停学処分になったのか?』と、先ほど叱りとばした所です。えっと、市ノ瀬さんでしたかな。あなたが、わざわざ詫びを入れに来られたのですから、ここは、私も、あなたを子供扱いせずに、敢えて聞きますが……」
ちらりと僕を見ると、
「責任と言われるからには、あなたは、その責任をどうお考えですかな。つまり、どのようにその責任を全うされようとしているのですか?」
と言った。
――来た!
これが、親父の厳しい所以である。
単に怒鳴りつけ、謝れば解放されるというものじゃないのだ。
全てに理由があり、それによって行動は行われるべきだ、という持論に基づき、悪いことをした場合でも、どうして? どうしたら防げた? じゃあどうする? を徹底的に追求されるのだ。
大体にして、悪いことをして、その理由を説明出来ることはない。
というより、そんなにしっかりと考えを持ってやるような『悪いこと』など無い。
ましてや、それを踏まえて今後の対応など……。
だから、親父は、他のどの親よりも厳しいと思う。
当然、その場しのぎの言い訳など、もってのほかだ。
高卒で地元の中堅企業に就職し、たたき上げで三十代にして課長の椅子に座っている親父を、生半可な高校生の猿知恵で誤魔化すことなど、到底不可能である。
先ほどのあきらの時とは違った、重い空気で満たされる。
蘭花は、どう答えるのだろう。
少なくとも、僕が蘭花なら、何も答えられないと思う。
もしそうなら、他人の子供を叱ることはないだろうが(あるかも知れないが)、親父は、一言ぐらいは厳しいことを言うだろう。
『責任の意味も解らずに、どう責任を取るのか?』ぐらいは。
僕が嫌な汗をかいている前で、蘭花は顔を上げた。
初めて見る真面目な表情。
その顔に、何故か僕はドキッとした。
「お父様の仰っている『責任』の対象が、私自身の行動を指すのであれば、私は、川上君同様に五日間の停学処分を受けております。謹んで処分を受け、その行為を反省し、どうすれば防げたのか考えるつもりです。それを持って、今後の部活動での行動について考慮します」
「なるほど」
親父が頷く。
……驚いた。
蘭花の回答には、親父がいつも僕を追求する、その答えが全部入っているのだ。
驚いている僕の横で、母親が奥から何かを持ってきて、『ちょっと、お父さん』と小声で囁く。
『市ノ瀬さんが喋っている。後にしなさい』と、親父が言うと、母親は蘭花をちらりと見、何かの冊子を見ると、一旦台所に姿を消した。
「それで、川上君の処分に対し、どうしてくれるのだ、と言うことであれば、大変申し訳ないのですが、処分そのものの撤回は、私の力では、どうすることも出来ません。……ただし、川上君が本来受けるはずであった、五日分の授業の補償は、私でも可能です」
親父は表情を動かす。
「……と言いますと?」
蘭花は、親父を見たまま再び口を開く。
「具体的には、川上君が明日から学習する予定の五日分の学習内容を、私が教えることで、停学期間終了後も、そのまま授業に復帰出来るようにしたいと思います。本日、こんな夜分にお伺いしたのは、お詫びと、そのご相談でした」
「あなたは、あなた自身の学習はどうするのですか?」
親父が、再び質問する。
僕は、蘭花の予想外の申し出よりも、いつの間にか蘭花のペースにはまっている親父にびっくりしていた。
先ほどの回答と言い、蘭花の底知れぬ力を垣間見た感じだ。
蘭花は、少しだけ微笑む。
「私は、既に、かなり予習が進んでいますので、ご心配には及びません。この学校に一年近くもいますから、授業のペースは心得ているつもりです」
親父は、小さくため息をつく。
「しかし、ただでさえも大変な学習量だと言うことぐらい、私も認識しています。恥ずかしながら、薫も、ついていくのがやっとなのです。気持ちは有り難いのですが、あなたも、いくら二年生だからと言って、そういうわけにはいかないでしょう」
「お父さん、だから、これ見てくださいな。市ノ瀬さんのことが載っていますよ?」
ここで、母親が割り込み、親父に何かを見せる。よく見ると、『東高だより』である。
『東高だより』と言っても、保健だよりのように、最近の近況や季節の行事が書いてあるわけではない。
進学校にふさわしく、テストの反省や、席次などが書かれているのだ。
当然、赤点や、落第警告についても書かれている。
一年に六回ある、校内テストの直後に発行されるのだ。
母親の示しているページには、『成績優秀者』と書かれ、『年間』と『今回実力テスト』に分かれており、どちらにも蘭花の名前が載っている。
一回目だから、去年の通算成績優秀者と五月の実力テストの結果が載っているわけだが……。
『年間(一年時)』の欄には『二位:二ー特一 市ノ瀬蘭花 九二二点(平均)※九月編入時より』
『実力テスト(五月)』の欄には『一位:二ー特一 市ノ瀬蘭花 九六五点』
と書かれている。
……去年の九月に編入? 蘭花が? 初めて聞いたぞ。
因みに、一年生の所は、『実力テスト』の欄に『一位:一ー特一 山上登 八〇五点』 ……って誰だ?
「どこかで聞いた名前だと思ったのよねぇ。あっ、見て!『市ノ瀬さんの解答』ですって」
母親がページをめくった先には、『配布したテストの解答よりも良く出来ています。参考にするように』と、丸っこい蘭花の筆跡で書かれた、物理の答案のコピーが載っている。
母親は、うんうんと頷き、蘭花を見た。
感心する親父と母親を見ながら、変な話だが、僕は自分の事のように、誇らしさを感じていた。
まるで、敵と対峙している時、自分の側に、絶対的な能力を持った味方がいるような、そんな安心感。
どうだ! って感じ。
……何でだろうな。
当の蘭花は、関心が無いのか、無表情のままだ。
父親は、蘭花に視線を移す。
「なるほど。市ノ瀬さんの仰ることは、口から出任せではなく、ちゃんと実現可能性を考慮した内容のようですな。どうやら、あなたは信頼に値する人のようだ。いや、穿った質問をして申し訳ありませんでした」
『信頼に値する』は、親父の最大の賛辞であることを知っている。
つまり、親父は、市ノ瀬蘭花と言う人物を認めたと言うことだ。
全くその通りかも知れない。
『市ノ瀬って、もしかして、隣町の市ノ瀬総合病院の娘さん? ……ああ、そうなの』などと、蘭花を見ながら言っている母親の脇で、僕は考える。
僕は、一時の感情に任せて校長室で証言をした、と言われても反論できない。
この進学校で、五日間の停学が何を意味するのか。
単に、前科が出来るとか言う、軽い話ではない(まあ、それだけでも充分重いが)。
普通の学校の二倍近くのペースで進む授業を、五日間も出席できないという、超現実的な問題があったのだ。
毎日、山のような宿題をこなし、次の日の授業でそのフォローをし、次へと進む。
それの繰り返し。
正直、親父の言うとおり、僕の場合、ただでさえも、ついて行くだけで精一杯なのだ。
たとえ一回でも、そのペースが崩れたら……。
既に、クラスでは数人、脱落候補者がいるのも事実。
現実は、とても厳しい。正義とか言っている場合じゃない。
学校で授業を受けられなくなること、ここの学生として、そのことだけは、いかなる理由があっても避けるべきだったのだ。
現に、この学校では、停学処分になった生徒の自主退学率は高い。
ついでに言うと、病気になり長期休学した生徒も、復活は、かなり望み薄だ。
理由は簡単。授業について行けなくなるからだ。
学校としては、そのために様々なフォローをし、最後は、公立への編入も相談に乗っているとかいないとか。
担任の『まずは先生に相談しろ』
蘭花の『停学期間中、どうするつもりなの?』
親父の『停学期間中、何をするか考えていないのか!』
三人の発言が全て一つにつながる。
逆に言えば、蘭花は、そこまで考えていたのだろう。
だから、同学年の裕樹ですら『相違ない』と言ったことに対し、何も責めず、むしろ、それは計算の内だと、蘭花自身は、停学という汚点がつく以外、実害がないからと、自分だけで全てを被る覚悟をしていたのだ。
それが証拠に、校長室の前で、蘭花は、わざわざ僕に言ったのだ。
『よけいなことは喋るな』と。
つまり、自分のことだけを考えろ、と。
少なくとも、それを、僕は独りよがりの正義でぶち壊したのだ。
しかも、自分自身に何の考えがあったわけでなく。
放っておけば、近い将来、結構な確率で退学せざるを得なくなるのだろう。
五日分、つまり、普通の高校で言えば、半月分の授業内容を後追いでこなしつつ、さらに日々の課題など、こなせるわけがないのだ。
そこまで考えての行動だったのか?
否。
蘭花が怒って当然。
そして、蘭花は、僕が停学になってしまった今、しかも、現実を知らない僕のために、復学について真剣に考え、家に来たのだ。
部長としての責任感だろうか、自分の後輩が、退学に追い込まれる事態を防ぎたい一心で。
決して、親父のご機嫌取りに謝りに来た訳じゃない。
何だか、根本的なレベルの違いを見せつけられた気がし、ますます惨めになってしまった。




