(3)イカレてる?
「あんた、ばっかじゃないの?」
薄暗い室内で、向かい側でテーブルに両手をついて立っている蘭花が、押し殺した声でそう言い、僕を睨む。他に客がいなければ、机を叩いていたことだろう。
馬鹿はないでしょ、馬鹿は!
って言い返し難い雰囲気。
時折、シャカシャカと言うノイズ混じりの音が、静寂の中を拡散していく。
机の上の携帯プレーヤーが再生中のままだが、これまた突っ込めるような状況じゃない。
「……まあまあ、蘭花。薫君に怒るのは筋違いでしょ? それに、薫君の証言で、蘭花の処分は軽くなったんだし。二ヶ月も停学食らったら、後々面倒だったじゃん」
怒る蘭花の隣で、ノートパソコンを操作しながら、裕樹が笑みを浮かべている。
しかし、蘭花は、めいっぱい不機嫌な態度で、どかっと腰を下ろした。
「あたしの言うこと聞いてたわよね?」
カップから立ち上る湯気越しに、蘭花が僕を見上げる。
目が怖い。
「ええ、聞いていました」
「じゃあ、何で? 『聞かれないことは喋らなくて良い』って言ったわよね?」
「はい、確かに」
「聞かれたの? 改めて事実を聞かれたの?」
「いえ、『相違ないか?』としか言われてません」
僕は、サテライトのテーブルに広げられたA4大の紙を、ぼんやり見ながら答えた。
「じゃあ何で……」
何故か、蘭花の怒りは、収まる気配を見せない。
保護者殿
本日、当学園は、1ー進2 川上薫 さんに対し、
当学園の規定(校則第29条)に基づき、
下記の通り懲戒処分(短期停学)を実施することを
決定いたしました旨、ご連絡申し上げます。
〈長いので中略〉
停学日数: 5 日(休校日を除く)
〈長いので後略〉
紙には、要は、悪いことをしたから停学にするよ、で、停学期間終了後ちゃんと学校に復帰できるように、家庭でよくフォローしてください、とか、何か困ったことが有れば学校に相談してください、などと言うことが書かれている。
ご丁寧に、本来であれば学校で行われる、五日間の授業の学習計画書までついている。
こんな紙が渡されるんだ、と、僕は変な感心をしていた。
「ちょっと! 聞いてるのっ?」
蘭花の声に顔を上げる。
「あんたね! 停学期間中、どうするつもりなの? 何か考えているの?」
心なしか、蘭花の声が震えている。かなり興奮している様子。
「いや、……特にありませんが」
「何の考えも無しに……、そんなの、武器も持たずに敵陣に飛び込むようなものよ! 犬死じゃない!」
蘭花は、額に手を当てる。
「……」
確かに、教頭から分かりやすい二択問題を出され、わざわざ『はずれ』を選んだんだ。
僕は、愚か者かも知れない。
だけど……。
「教頭の考えていること判らなかった? 教頭にとって薫君の処分なんてどうだって良かったはずよ」
「いえ、人の考えなんか判るわけ無いです」
僕の変化に気づかず、蘭花は大げさなため息をつく。
「判るわけ無いぃ? 捏造された報告書の内容聞いて無かったの? ……まったく、判らない判らない、ってよく言う人いるけど、この世の中のことなんか、論理的に考えていけば大体判ってくるものよ。『判らない』なんて言う人は、思考を放棄した愚か者よっ!」
「……」
あーそうですか。だから、愚か者で結構ですって!
「いい? うまく生きる人はね、裕樹もそうだし、後の二人も処分無しよ。どうせ、学校は誰かを処分したら満足するの。だから、処分される生徒は、一人で充分だったのっ」
蘭花は、怒りの表情のまま続ける。
そもそも、いい加減むかついていた僕は、『うまく生きる』という言葉がトリガーとなり、心の中で何かが弾けた。
「すみません。どうせ、僕は生き方が下手なもんで、部長の仰る、『うまい生き方』など、よく分かりませんから」
ふてくされたような低い声を出し、蘭花から目をそらす。
突然、蘭花の顔が、声が、仕草が、すべて鬱陶しく感じはじめる。
蘭花は一瞬沈黙し、少しの後、苛立たしげにため息をついた。
「ごめん。ちょっと言い過ぎたわ」
どうでもいいよ、今更。
僕は正しいことをした、だけど、正しくない。
気まずい空間を、カップから立ち上る湯気が満たしていく。
一体、何なんだよ!
自分でも訳が分からない。
停学処分を受けるようなことをしたのだ。少なくとも褒められることは、あり得ない。
だけど、あんな調書を聞かされて、平然と『相違ない』って言える人の方が、どうかしていると思う。
だから、言うべき事を言った。
何が悪い?
文句を言われる筋合いはない。
第一、ここまで罵られなきゃいけないことか?
まさか、蘭花までもが『相違ない』って言ったのか?
だとしたら、イカレている。
「薫君は、ただ、間違ったことが許せなかっただけなんだよね?」
フォローを入れる裕樹の言葉に、目頭が熱くなる。
別に、蘭花に『君は正直者だね』とか褒められたかった訳じゃない。
じゃあ、何で?
知らないよ、そんなこと!
後悔すべき事は何もしていない、なのに、何でこんなに悔しいのだろう。
自分でも何が言いたいのか、さっぱり分からない。
だけど、内から沸いてくる、どす黒い物は止められない。
今なら、蘭花に、何か、とてつもなく酷いことを言えそうな気がする。
衛星とかネットとか総動員して、蘭花がもっとも嫌がる内容をかき集め、とにかく、この訳の分からない女を徹底的にぶちのめしてやりたい!
まじで!
時間にして数秒。
理性が勝利を収める。
僕は、通知書を鞄にしまうと立ち上がった。
蘭花の方を見ない。
「すみません。親父に言わなきゃいけないんで。停学になったこと。あと、部活のことも、考えさせてください。あまり皆さんの役に立ちそうにないんで。では……失礼します」
僕は、それだけ言うと、サテライトを後にした。
「あっ、薫君! 気をつけてね~。またね~」
明るいおばちゃんの声が、やけに耳についた。




