帰路の重み
<カプリコン>の艦内は、すでに死人のように静まり返っていた。
冷却機能を失った反応炉は、警告灯を真っ赤に点滅させながら、緩慢に、しかし確実に温度を上げ続けている。艦長のアームストロング大佐は一人、中央指令室に残っていた。安全装置をすべて解除し、手動制御へ切り替えると、最大量の推進剤を炉心へ流し込み始める。
<カプリコン>は船首をゆっくりと太陽に向けて、落下する軌道に乗り加速を開始した。
アームストロングは艦長用AIに、自分のホログラムへ礼服を合成して髪を整えるよう指示を出した。そして、地球に残してきた愛娘ニナへのビデオメッセージを録画すると、旗艦のシーマ大将へ転送を依頼する。
「軍用AIと通信の私的利用……最後くらいは、いいわよね」
チャンネルを開くと、シーマ大将のホログラムが空間に浮かび上がった。
「カプリコン、無事に太陽への落下軌道に乗りました」
『無事じゃないでしょ……カプリコンの生存者76人。あなた以外の全員を収容したわ』
「ありがとうございます。あと……私事ですが」
そこで通信はぷつりと途切れた。<カプリコン>は太陽を目指し、静かに落ちていく。
シーマの手にある小さな封筒の中には、直前に脱出したクルーから託されたアームストロング艦長の遺髪が入っていた。
「ニナへのメッセージは、私が必ず届けるわ……」
次に<サジタリアス>のブリッジに姿を現したのは、大破した<ダイモス>の艦長だった。
「データの消去は完了いたしました。反応炉にはメルトダウン処理を施してあります。旧式艦ですので、敵に渡る重要機密は多くありません」
シーマは静かに頷いた。
「ご苦労様。報告書は明日でいいから、今日はゆっくり休み休みなさい」
一礼して退出していく艦長の背中を見送りながら、シーマは深く息を吐いた。
一方、はるか後方を追航する輸送船団の居住区画では、若い陸戦隊員が不満を漏らしていた。
「往路は70日だったのに、帰りが180日以上かかるってどういうことですか! 同じ距離を戻るだけなのに!」
隣に座っていた年配の隊員が、困ったように苦笑しながら手元の端末に円を描いた。
「往路はね、地球が6時の位置で、金星が4時の場所にいたの。そこから出発して、金星が6時に届くのを計算して到着したわけ。でも今は金星が6時にいるけど、地球はもう8時まで進んでしまっている。今から追いかけても絶対に追いつかないのよ。だから反対向きに大きな円を描いて進んで、2時か3時の場所で地球と交差するしかないの」
若い隊員は、ピンと来ない様子で首を傾げる。
「金星と地球って、19ヶ月に一度しか接近しないのよ。次にここまで近くなるには、それだけの月日がかかる。だからこそ……今回の作戦失敗は取り返しのつかない痛手なのよ」
旗艦の医療室。ガラス越しに呼吸器をつけられて眠る3人の男性の姿を、シーマは冷徹な眼差しで見つめていた。
「撃墜された宇宙攻撃機のパイロットが3人……失った<カプリコン>の代わりにはならないけれど、帰路の士気に関する心配はこれでなくなったわね」
控えていたパープルトン中将が答える。
「2名はすでに他の主力艦へ移送手配を完了しました。受け入れ先の艦では工作部隊が躍起になって、2気圧の与圧室と酸素濃度15%の空調システムを構築中です。『意地でも今日中に作り切る』と息巻いておりました」
「当然ね。男性が3人……180日あれば、ほとんどの兵士に1回くらいは順番が回ってくるでしょう。ただし、彼らの健康管理が最優先よ。食事の制限はなし。事におよぶ際も与圧室を使うように徹底すること」
「高酸素濃度環境は、短時間であれば活力を向上させます。興奮と運動で心拍数が上がります。かえって好都合かと」
男女比が「1:5000」という異常なまでに崩壊した地球。
かつて100億を数えた人口は、すでに50億にまで激減していた。人類はまだ活力を失ってはいない。だが、決定的に「男」が足りないのだ。地球という種族が存続するためには、何としても金星から男を連れてくるほかない。
——たとえ金星の男たちから、「人さらいのサッキュバス」と恐れられ、蔑まれようとも。
(3年後……我々は必ずや新たな艦隊を編成し、再び金星へ侵攻する。未来——男たちを、手に入れるために)
金星、明けの明星。たとえ、拒絶されても地球人類の希望はそこにしかないのだ。




