子猫
地球連邦軍本部、深層地下にある第一作戦会議室。
巨大なホログラムモニターには、バシリスクの予想襲撃経路や、無惨に破砕され、宇宙の塵となって拡散していくSE-L4補給基地の無残な残骸データが映し出されていた。
重苦しい沈黙を破ったのは、主計局から参加している中年女性将校の冷徹な声だった。
「L4基地に備蓄していた二万トンの水氷、その98%が消失。被害額は概算で一兆円に上ります。仮に再び同量をL4へ備蓄し直すとなれば、地球からの軌道投入に二ヶ月、そこからL4への輸送でさらに二ヶ月を要します」
スクリーンに表示された損害試算の数値に、並んだ高官たちの間から微かな呻き声が漏れる。参謀長が眉間を指で揉みほぐしながら、重々しく口を開いた。
「今まで通り、防衛戦力の薄い無人基地に大容量の資材を貯蔵しておくわけにはいかなくなった、ということね」
「はい。新たな貯蔵拠点は、太陽から見て地球の裏側に位置するラグランジュ点『L2』――距離にして約百五十万キロメートルの深宇宙へ変更すべきです。さらに、高速タンカーを六隻ほど新規配備し、作戦ごとに適切な宙域で個別に給油・受け渡しを行う運用に切り替えるしかありません。……場合によっては、旧式戦艦を護衛として常時随伴させることも検討する必要があります」
「それだけの補給体系の再構築と防衛ラインの再編となると……年間で一兆円近い追加運用コストがかかる計算になるな」
「仕方ありません」
作戦参謀が淡々と告げた。
「敵艦は『バシリスク』を名乗っています。あえて解読が容易な初歩的な暗号を用いて、犯行声明めいた戦果報告を電波に乗せて寄越したのも、我が方のロジスティクスに直接的なダメージを与え、過大な防衛コストを強要するのが目的でしょう。不愉快極まりない嫌がらせですが、これを無視して放置するわけにはいきません」
「ふむ……その『バシリスク』のスペック分析はどこまで進んでいる?」
「入手したアクティブレーダーの照射データと軌道解析によりますと、最大加速度は毎分毎分0.30キロメートル(約0.0085G)。連続四時間以上の全力加速が可能です。主兵装は三十六センチクラスのレーザー砲。さらに、船体表面には高度なレーダー吸収処理が施されていると推測されます」
「それほどの機動力を持った艦に対抗できるとなると……我が方の現有戦力では、最新鋭のサジタリアス級三隻だけかしらね。わざわざ専用の小型・高機動迎撃艦を新規開発でもしない限りは」
技術局の女性監察官が、呆れたように肩をすくめて吐き捨てた。
「原子炉とコンピューターを破壊して戦場に放棄した旧式艦『ダイモス』、機密とまでは考えてなかった居住性向上のためのパーツ、設計見本が、めぐり巡ってこれほど厄介な怪物に化けるとはねぇ……」
「まったく、忌々しい話です……」
だが、重苦しいはずの会議室の空気にはどこか妖しい高揚感が混ざっていた。
「でもねえ……ナイスだと思わない?」
「ええ、本当に! 百人近い男性の乗った艦が、ノコノコと……もとい、わざわざ地球のすぐ近くまで、向こうから来てくれるなんて♪」
「これって何て言うの? 据え膳? カモが葱を背負って来た、ってヤツかしら? どっちにしても、美味しくいただくしかないじゃない」
「分析データを見た? 敵艦は単独行動。我が方の大型戦艦を正面から撃破できるような重火力は無し。おまけに、軽量化と隠密性を重視しすぎて装甲は紙同然よ!」
「決まりね。副砲で手足を削って航行不能にして、動けなくなったところを我が陸戦隊で一気に制圧。そのまま船ごと『お持ち帰り』よ♪」
「あはは、可愛い子猫ちゃんが『僕は恐ろしい魔獣バシリスクだぞ!』って必死に背中を丸めて威嚇してるみたいで愛おしくなってきたわ」
「うふふ、早速『子猫ちゃん捕獲作戦』の計画を練らなくちゃ。金星との軌道位置関係から言えば、次のチャンスは一年後かしら? 今から待ち遠しくてたまらないわね――」
主計課たちが年間一兆円の防衛予算の増加に頭を抱える横で、艦隊主流派は、極めて熱狂的で愛情ふれる歓迎計画の準備を始めていた。




