ラグランジュ1の前哨
金星から太陽に向かって100万キロ。
地球連邦侵攻部隊の前衛を務める主力艦隊が、着々とその距離を詰めていた。
金星連合艦隊旗艦・宇宙戦艦<ムサシ>のブリッジは、淡い青の戦備光に包まれていた。メインモニターに投射された敵艦隊の陣形は、事前情報とほとんど差異がない。それを確認した参謀長の有馬は、わずかな安堵と、それを塗りつぶすほどの重圧を胃の奥に覚えていた。
地球艦隊の進路上に散布した高感度センサー群から、膨大なデータがリアルタイムで流れ込む。戦術演算AIが即座にそれを解析し、盤面を書き換えていく。それでも、作戦参謀のヒッパーはあえて自らの声で事実を口にした。
「70日前に地球軌道から出撃した敵主力艦隊は高速軌道遷移を繰り返して金星に接近。ラグランジェ1の10万キロ手前でケプラー軌道から外れて自由軌道(推力飛行)に変更しました。地球艦隊はすでに減速を完了。回頭を終えて、本艦の12時方向、距離4000キロより接近中。現在の相対速度、分速四十キロ。距離2500キロの主砲有効射程まで、あと37分です」
敵は12時方向——太陽を6時とする戦術絶対座標では太陽を背に出来るこちらが絶対有利な位置だ。
ホロディスプレイに敵の艦影が次々と拡大される。
KZ:改ゾデアック級 ×4(41センチ砲9連射 / 質量4500トン)
Z:ゾデアック級 ×8(41センチ砲9連射 / 質量3500トン)
F:フォボス級 ×2(41センチ砲8連射 / 質量3260トン)
有馬は小さく吐息を漏らした。地球の艦隊は豊かだ。呆れを通り越してため息が出るほどの重厚な戦力。全十四隻、そのすべてが41センチ級主砲を搭載している。
対する金星連合艦隊の陣容は、決して潤沢とは言えなかった。
<ムサシ><フリードリヒ>(46センチ砲9連射/ 質量6400トン)
<ナガト><ビスマルク>(41センチ砲8連射 / 質量3272トン)
<フソウ><ヒュウガ><バイエルン><フランチェスコ>(36センチ砲12連射/ 質量3000トン)
<コンゴウ><ヒエイ><ケーニヒ><チェザーレ>(36センチ砲8連射/ 質量2750トン)
航空戦力: 九六式宇宙攻撃機 ×12機(ムサシ隊、フリードリヒ隊が各6機)
艦隊司令官の南雲が、手すりに手を置いたまま低く呟いた。
「敵は十四隻。しかも全艦が41センチ砲持ちだ。対するこちらは十二隻……41センチ以上を揃えているのは四隻のみか。骨の折れる戦いになるな」
「後方8万キロには、陸戦部隊を載せた大型輸送船団が追従中。進路速度、毎時1万キロ。大型護衛艦8隻を伴い、輸送船は30から40。上陸兵力は最低でも1万を超えると推測されます」
ヒッパーの報告に、南雲は静かに首を振った。
「ここで敵主力を叩き潰せれば、3年はこの領域の安全が担保できる。最悪でも上陸さえ阻止できれば、首の皮一枚は繋がる。地球からここまでは最良の航路を使っても二、三ヶ月……帰路には7ヶ月を要するはずだ。次の会合周期には間に合わん。その間に我々が新鋭艦を3隻揃えられれば、向こうも詰みだ」
アントニオ艦長が、硬い声で言葉を継ぐ。
「地球の目的はラグランジュ1のリニアターミナルの占拠と、我々の同胞の強奪です。サッキュバスどもに容赦は無用。艦隊戦力で劣るとはいえ、軌道要素の有利は我々にあります。攻撃機の奇襲も効くはずです」
宇宙航行における天体力学は絶対だ。限られた推進剤で金星へアプローチしようとすれば、航路と到達時間はかなり絞られる。地球艦隊がどれほど強大であろうと、待ち伏せを仕掛ける側が圧倒的に優位なのは、天体力学が保証する事実だった。さらに、防衛に徹する金星側は長距離航行用の「核電磁プラズマ推進器」を排し、そのぶん冷却用吸熱材の搭載量へ回している。防御力と瞬発力において、防衛側には明確なアドバンテージがあった。
「敵艦隊、陣形更新。KZ1からKZ4を中央に配置。右翼にZ1・Z2、その外縁にF1・F2。左翼も同配置です。なお、Z5からZ8の4隻は左三千キロへ展開」
ヒッパーの報告を聞き、南雲は短く一転、命じた。
「鈍足のフォボスは本体に入れて、機動力のあるゾディアック級4隻で別動隊を編成して側面攻撃。ケーニヒ、チェザーレでゾデアック4隻は荷が重いが、本体も苦しいのは同じだ。よろしい。——艦隊加速、0.2。進路右十度。距離2600キロで加速終了、即時砲撃を開始する。主力どうしで組み合った隙を宙攻で叩く」
間髪置かず、艦隊各艦へ戦闘指示が伝達されていく。
「ムサシ、フリードリヒ、ナガト、ビスマルクはそれぞれKZ1からKZ4を照準。フソウ、ヒュウガ、バイエルン、フランチェスコはZ1からZ4を撃破せよ。コンゴウ、ヒエイはF1、F2を担当。ケーニヒ、チェザーレは敵の別動隊の動きに合わせて対応。攻撃機隊は、両軍の主砲交戦が始まり次第、敵右翼へ突入を開始せよ」
「了解。反応炉出力最大、推進剤噴射弁開放。主砲フライホイール、充電用意!」
アントニオ艦長の怒号に呼応するように、<ムサシ>の巨躯が微かに振動を始めた。尾部の巨大ノズルから青い奔流が噴き出し、ゆるやかに巨艦が加速する。
金星のラグランジュ1を舞台とした、生き残りを賭けた決戦の火蓋が切られようとしていた。




