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冤罪追放令嬢、義兄の結界は逃げ道ゼロの溺愛でした  作者: 風谷 華


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第17話 信用崩壊

海は、境界を消してくる。

波が寄せては引いて、砂の上の足跡をさらっていく。


でも――全部は消えない。

消えたふりをしたものほど、塩の匂いを残す。


王都の宮廷会議場は、海から遠いのに、今日は潮の気配がした。

誰かが持ち込んだ香油がそうさせるのか。

それとも、人が崩れる前には、どこか“濡れた匂い”がするのか。


クロエは扉の外にいた。

表に出ない。

表に出れば、また“物語の人形”にされる。


彼女は、今日はそれをしないと決めていた。


ケープの中で、ジオが小さく喉を鳴らす。


『ここ、嫌いだ。金属と嘘の匂いがする』


「うん。私も」


クロエは返しながら、胸元の護符を指先で確かめた。

冷たい。

けれど、森の夜みたいな冷たさじゃない。


(私は、溶けない)


扉の向こうから声が聞こえる。

重い声。鋭い声。

そして――王太子の声。


エリック。


派手で、断言して、支配する声。

この国で一番“上位”とされる響き。


「……誓約は、必要な統治だ。

民の口を塞いだのではない。秩序を守っただけだ」


その言葉に、誰かが息を呑む。

“統治”という名で、支配を正当化する時の音。


次に、監査役の声。


「殿下。誓約支配の適用範囲が異常です。

証人候補、慈善会関係者、王都の噂の発信源……

すべてに“発言制限”がかかっている」


エリックが笑う気配がした。

冷たい笑い。

勝ちを確信しているときの笑い。


「それが何だ。民は派手な英雄譚を望む。

地味な事実など、混乱の種だ」


ギフト社会の価値観が、そのまま口から出る。

派手なものが上。

地味なものは軽い。


――だから、彼は負ける。


扉の影でレオンが微かに顎を引いた。

軌跡視の騎士。

彼の視線は会議場の空気そのものを“証拠”に変えるみたいに冷静だった。


(ここは、感情の場じゃない。崩す場)


クロエは、言葉を飲み込んだ。

ここで自分が叫べば、また敵のホームになる。


代わりに、レオンが“物”を差し出す。


紙束。封蝋。

記録。

慈善倉の出納帳の写し。

そして、誓約発動の記録――誰に、いつ、どの文言で。


会議場の中で、監査役が続けた。


「さらに――慈善金の流れを追えば、

一度“王宮の管理下”に移り、その後消えている」


エリックの声が少し低くなる。


「王宮の管理下とは、言い方が悪いな。

王太子府の監査を通しているだけだ」


そこで、誓約の糸が鳴った。


小さく。

しかし確かに。


“言い方が悪い”

その否定は、事実を覆せない。


監査役が畳み掛ける。


「殿下。あなたは先日、

“慈善金の管理に関与していない”と明言した。

しかし、これは王太子府の監査印だ」


紙が擦れる音。

判が押された瞬間の、鈍い音。


エリックは一拍、黙る。

支配者が沈黙する瞬間、空気は必ず揺れる。


(揺れた)


扉の外にいるクロエにも分かった。

民衆の前ではなく、権力者の前で崩れる時の揺れ。


次に来たのは、さらに致命的な話だった。


「――森への追放についても」


その言葉で、空気が変わる。

慈善の不正は“汚職”で済む。

だが森への投棄は、“命”だ。


監査役の声が硬い。


「クロエ嬢は、護衛も食糧もなく森へ捨てられた。

それは追放ではない。殺意の疑いだ」


エリックの声が鋭くなる。


「彼女は罪人だった。

王太子としての裁定だ」


その瞬間、また糸が鳴った。

誓約が締まる音。

“裁定”という言葉が、自分の首に絡む音。


なぜなら――

裁定権の行使は、責任が伴うから。


ここで、王妃代行(あるいは摂政)の声が落ちた。

石を水面に投げるみたいに、静かに。


「王太子。

あなたの誓約支配は、秩序ではなく恐怖を作った。

慈善金の不正は、統治の根を腐らせた。

そして森への件は――王家の名誉を汚した」


“名誉”。

それは、この国で最も重い言葉の一つ。


派手な戦闘ギフトで勝つより、

この一言の方が人を殺す。


エリックが反論しようとした。


「私は――」


言葉が、続かない。

誓約の糸が喉に絡む。

自分が乱用した鎖に、自分が縛られる。


支配者が支配に溺れた時、

最後に残るのは“口が利けない静けさ”だ。


外の廊下で、ジオが耳を立てた。


『……落ちたな。上のやつの匂いが、崩れてる』


クロエは目を閉じた。

胸の奥に、熱が上がりそうになる。


でも、怒鳴らない。

勝ちの瞬間を、他人の血で染めない。


クロエはただ、静かに息を吐いた。


(私は、これで自由になれるわけじゃない)

(でも、少なくとも“刃”は折れた)


扉が開く。

会議が終わったのではなく――空気が一度“外へ逃げた”だけ。


人々が出てくる。

視線が交差する。

誰もが“王太子が崩れた”ことを理解している顔。


エリックが最後に出てきた。


彼は真っ直ぐ歩いている。

王太子の歩き方で。

でも足元が、どこか砂の上みたいに不安定だった。


そして、クロエを見つける。


「……お前が」


エリックの目が光る。

怒り。羞恥。

そして、支配したい衝動。


クロエの喉が一瞬だけ冷える。

誓約支配の圧。

あの曇天の圧。


(来る)


けれど――来ない。


誓約の糸が、エリックの喉で鳴った。

今日の会議で、新しい制限が掛けられたのだ。


“当事者への直接の強制を行わない”

そんな文言が、彼の支配を封じている。


エリックは、口を開けるのに、

何かを飲み込むみたいに一度苦しんだ。


「……お前は、終わりだと思うな」


それだけ言って去る。

勝者の台詞ではない。

追い詰められた者の、火種の台詞だ。


クロエは追わない。

見送らない。


代わりに、廊下の窓へ目を向けた。

遠くに、灰色の雲の切れ目が見える。

その向こうに海があるはずだ。


波打ち際。境界。

崩れる足場。


(私も、境界に立ってる)

(でも私は、今度は自分で選ぶ)


背後で、淡い結界の気配が一瞬だけ強まる。

セドリックが近くにいる。

見張るようにではなく、事故を防ぐみたいに。


彼の声が落ちる。相変わらず冷たい。


「……王太子は終わらない。

終わったのは“信用”だ。

信用が崩れた者は、暴れる」


クロエは頷かない。

ただ、言う。


「分かってる。だから――次は私が決める」


セドリックが、一拍だけ黙る。

それが“承認”に聞こえるのが悔しい。


ジオが小さく鳴いた。


『海、行きたい。ここ臭い』


クロエは微笑みそうになって、やめた。

まだ、笑うには早い。


「行こう。…でも今は、帰る」


帰れる場所。

檻に見えていた場所。


まだ完全には変換されていない。

でも、今日は確かに一つ、崩れた。


王太子の“上位”の仮面が。


廊下に、誰かが落とした花の徽章が転がっていた。

白い花。慈善の印。

踏まれて、少し欠けている。


クロエは拾わない。

ただ、横を通り過ぎる。


終わりは拾うものじゃない。

置いていくものだ。


そして、海の匂いを想像する。

境界の匂い。

自分の輪郭を守るための、冷たい風の匂い。



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