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冤罪追放令嬢、義兄の結界は逃げ道ゼロの溺愛でした  作者: 風谷 華


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第16話 花蜜の仮面が剥がれる

花は、枯れると音がする。

ぱきり、と。

乾いた茎が折れるみたいに、世界の“美しさ”が壊れる音。


慈善監査の間に漂う甘い香りは、まだ濃かった。

涙はまだ落ちている。

拍手の代わりに、外の広間からざわめきが押し寄せる。


セラフィナは声を出そうとしていた。

唇だけが動く。

けれど、誓約の糸が喉を縛っている。


「……っ」


音にならない呼気。

その無音が、さっきまでの“慈善の天使”の説得力を削る。


ギフト社会では、派手に見えるものが勝つ。

涙も香りも、見せ場のひとつ。

けれど今、この部屋で優先されているのは――派手さじゃない。


机の上の破片。封蝋。香料瓶。硬貨。

そして、軌跡視の淡い光の糸。


地味なものが、逃げ道を消していく。


監査役が、机を指先で叩いた。

その音は小さいのに、部屋に響いた。


「セラフィナ嬢。答えよ。

慈善倉の床板の下に、なぜ幻惑香の瓶があった」


セラフィナは泣く。

いつものように、美しく。

涙が落ちると、香りが一段濃くなる。


“同情を呼ぶ香り”だ。


外の広間のざわめきが、さらに膨らむ。

「可哀想に」「追い詰めすぎだ」

そういう空気が、扉の隙間から入ってくる。


クロエの指先が冷えた。

森で境界が溶けた夜。

あのときの“自分が消える感覚”が、背中に触れる。


(香りは、輪郭をぼかす)

(でも私は、ぼけない)


ケープの内側で、ジオが小さく動いた。

たぶん、鼻を鳴らしている。


『……きつい。甘いのは嫌いだ。嘘の匂いがする』


クロエは頷きそうになって、やめた。

頷きは“同意”に見える。

この場で必要なのは、感情の一致じゃない。


手順。


クロエは一歩、机から離れた。

距離を取る。

怒鳴らない。

泣かない。

香りと同じ土俵に乗らない。


その動きだけで、監査役が眉を動かす。

“演技をしない”という態度は、この社会では逆に目立つ。


エリックが、低く言った。


「クロエ。ここは王太子の場だ。

泣いて許しを乞えば済む話を――」


言い終える前に、監査役が遮った。


「殿下。あなたも誓約の適用者です。

“重要な事実を故意に隠さない”。忘れたのですか」


エリックの喉が、一瞬だけ動く。

誓約の糸が、見えないところで締まる気配。


支配のギフトは強い。

けれど“言葉”である限り、文言の中に穴がある。


クロエはその穴を、さっき掴んだまま放さない。


「続けます」


クロエの声は、雪のときみたいに静かだった。

静かだからこそ、香りより先に届く。


「セラフィナ様が答えられないのは、誓約が働いているからです。

つまり――“虚偽”か、“重要な事実の隠匿”をしようとした」


外がざわめく。

同情が、疑念に変わっていく音。


セラフィナは涙を増やす。

香りを増やす。

けれど、声が出ない。


そこで、彼女は“別の口”を使おうとした。


扉の外から、甲高い声が飛び込む。


「ひどいわ! セラフィナ様を責めるなんて!」


慈善会の取り巻きの女だ。

白いリボン、同じ花の徽章。

善意の制服みたいな格好で、泣きながら入ってくる。


「クロエ様は昔から嫉妬深くて! 王太子殿下を奪えないから――」


言葉が途中で切れた。


彼女も、声が出なくなる。

誓約の糸は“この場で発言する者”にかかる。


取り巻きは目を見開き、口をぱくぱくさせる。

その滑稽さに、誰かが小さく息を呑んだ。


もう一人が押し入る。

「誓って! セラフィナ様は――」


同じように、黙る。


花蜜の幻惑は、“周囲の口”で増幅される。

でも今日は、その口が一つずつ閉じていく。


クロエは、そこで初めて“勝った”とは思わなかった。

勝ちたいわけじゃない。

ただ、関わりたくない。

自分の輪郭を守りたい。


だから、次の一手も派手にしない。


レオンが、静かに机の上へ追加の紙片を置いた。

封筒の切れ端。薄い紙。

封蝋の欠片に押された紋章。


監査役が覗き込み、眉間に皺を寄せる。


「……白い花の封。慈善会の正式な封蝋だな」


クロエは言った。


「偽造書状の封蝋は、公爵家のものだけではありませんでした。

“慈善会の正式封”が、一緒に使われています」


セラフィナの肩が、ほんの僅かに跳ねる。

香りが乱れる。

花蜜の幻惑は、作り手の心が揺れると濃淡が揺らぐ。


監査役が、香料瓶を指した。


「この刻印も、白い花。

つまり、慈善会の管理物が“隠されていた”。

隠したのは誰だ」


セラフィナは答えられない。

取り巻きも答えられない。

誓約が、嘘と隠匿を封じるからだ。


エリックが、苛立ちを飲み込むように言う。


「ならば、無関係の者が勝手に――」


その瞬間、誓約が喉元で鳴った。

エリックの声が、わずかに掠れる。


監査役の目が、鋭くなる。


「殿下。あなたは“無関係”と断じた。

根拠は?」


エリックが黙る。

沈黙が、支配者を“疑わしい者”に変える。


ギフト社会では、支配が上位。

でも、上位であるほど、“説明責任”の矢面に立つ。


クロエは、その光景を見ても、胸がすっとはしなかった。

ざまぁの甘さより、疲れが先に来る。


森に捨てられた夜。

結界の檻。

冷たい言葉。

この場に立つまでに、削られた輪郭。


(私は、これ以上削られたくない)


クロエは、少しだけ息を吸って、言った。


「――もう十分です」


ざわめきが止まる。

監査役が言う。「十分?」


クロエは、セラフィナを見た。

怯えと、怒りと、計算が混ざった顔。

慈善の仮面が、もう貼り直せない顔。


「私は、謝罪が欲しいわけでも、泣いてほしいわけでもありません」


クロエは静かに言った。


「関わりたくない。

私の名前を利用しないで。

私の人生を“慈善の演出”にしないで」


それは怒鳴り声じゃない。

宣戦布告でもない。

ただの拒絶。


それが一番、効く。


セラフィナの瞳が、歪む。

涙が“武器”にならない瞬間の顔。

花蜜の仮面が剥がれた顔。


クロエが背を向けかけた、そのとき。


セラフィナが、誓約の糸に逆らうように、喉を震わせた。

声は出ない。

でも、香りが――一気に濃くなる。


甘さの洪水。

空気がとろける。

同情が戻りかける。


(最後の幻惑)


クロエの視界が、ほんの少しぼやける。

森の夜みたいに、輪郭が溶けかける。


その瞬間、ケープの内側でジオが動いた。

クロエの胸元を、爪で軽く引っ掻いた。


痛み。

小さい痛み。

でも確かな輪郭。


『……戻れ。いま、溶けるな』


クロエは一瞬、目を閉じて、息を吐いた。

香りを“吸い込まない”ように。

言葉を奪われないように。


そして、たった一言を残す。


「私は、もう退出します」


監査役が言う。「待ちなさい、まだ――」


クロエは振り向かない。

ここはホームじゃない。

敵の場だ。

だから、勝ち方も“敵のルール”に合わせない。


扉の方へ歩く。


そのとき、空気が変わった。


淡い光が、足元に薄く走る。

人工の光。

結界の気配。


セドリックが、いつの間にか扉の近くに立っていた。

守護結界は派手じゃない。

でも、“出られる道”を作る。


逃げ道じゃない。

選べる道。


セドリックはクロエを見ないまま、冷たく言った。


「――終わったか」


クロエは、同じ温度で返す。


「終わった。私の分は」


セドリックはそれ以上言わない。

褒めもしない。慰めもしない。

ただ、結界の“薄い道”を保つ。


クロエはその道を、踏む。

踏みしめる。

自分の輪郭を確かめるように。


外に出ると、広間のざわめきが耳に刺さった。

花の香りは、まだ追ってくる。

けれど、さっきほどじゃない。


枯れた花の匂いが混ざり始めている。


後ろで、監査役の声が上がった。

「王太子殿下、説明を――!」


エリックの苛立ちが、空気を裂く気配。

誓約の糸が、再び震える。


クロエは振り返らない。

ざまぁの瞬間を見に行かない。


代わりに、廊下の窓へ目を向けた。


外の庭に、冬の花壇が見える。

枯れた茎。

土。

そして、雪解けの水が細く流れている。


終わりは、始まりの匂いを含む。


ケープの内側で、ジオが小さく鳴いた。


『……戻ったな。おまえの匂いに』


クロエは、ほんの少しだけ口角を上げた。


「うん。戻った」


――怒鳴らずに。

――泣かずに。

――奪われずに。


花蜜の仮面は剥がれた。

次に燃えるのは、王太子の方だ。


廊下の先で、セドリックが淡々と言った。


「……次が来る。備えろ」


その言い方はまだ檻の匂いを残している。

でも、今は分かる。


檻の外へ出る道も、同時に作っている。


クロエは歩いた。

自分の足で。


枯れた花の匂いを背に、

冬の光の中へ。


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