第十話 【ぺちゃんこだ】
――――走るというより、それは逃げるというのが適切だ。
もう二年も切っていない白い髪を靡かせ、少年――ニクス・エルウェは暗い坑道の中をただ猛然と逃げ続ける。
「なんで、なんだよアレ。あの女……。黒に赤――――またかよっ!」
後ろを振り返ることはしない。
時は一刻の猶予もないのだ。迫りくる脅威に対処しなければ。
そうしなければ、二年前と同じ出来事が起きてしまう。
「くっ。棒刀は持ってねぇし。あん時と違ってナイフもねぇ」
ニクスは周囲に視線をさ迷わせる。
武器となるもの。なんでもいい。自身を守れるものが必用だ。
しかし、ここは坑道であり、逃げ込んだ場所は、まだ発掘をしていない未開の場所。
当然、機械類などあるわけでもなく。
「あーくそ! 突然すぎて、ツルハシ置いてきちまった。失敗だ!」
自身の失態に舌を打ち、ニクスは奥歯を噛み締める。
どうするか。どう迎え撃てばいいかのか。
思考はそればかりで埋め尽くされる。
「……くっ」
暫く走って、ニクスは突然立ち止まる。否、強制的に立ち止まざるを得なかった。
なぜなら、灰色の絶壁が急くニクスの前に無情にも立ちはだかったからだ。
「っ――。行き止まりか!」
ぞわりと、背中に虫が這うような不快感。
ニクスは、早鐘を打つ心臓を押さえて振り返る。
「――アレ? 蛇こない……」
決しの覚悟で振り向いたっていうのに、背後は自身の想定していた状況ではなかった。
杭かあるいは蛇が、自身を襲ってくると思っていた。
だが、視界に写る坑道はどこまでも暗く。蛇どころか物音さえ聞こえやしない。
「そういや。目は黒だったけど、髪は赤だったような……」
はて、とニクスは先程の女を思い浮かべた。
だとすれば、自身の知っている脅威とは若干違う。
そういえば、背も大分低かった。
暗かったからわかりにくかったが、顔もなんだか違ったような気がする。
「……ってことは他人――別人か。なんだ。驚かせやがって。逃げて損した」
ふうと、一つ息を吐き。
だったら逃げる必要性もないなと思い直し、ニクスは逃げてきた道を引き返し始めた。
そうして暫く歩くと、ニクスは件の女――紅色の少女と邂逅した。
「……ちょ。はぁ。な、はぁ。んで、逃げるのよっ。こんな寒いのにめちゃくちゃ汗掻いちゃったじゃないっ!」
「――――」
白い息を吐く紅色の少女は、ニクスを目に留めると、開口一番で罵倒を飛ばしてくる。
それを聞くニクスは、無言だ。
というより、身構えてしまって声がでない。
確かに、目前の女はあの脅威とは違う女である。
けれど、やはり植え付けられた黒の畏怖はニクスの身体を硬直させた。
「ちょっ。黙ってないでなんか言いなさいよ!」
「お、俺は――――」
再度の問いにも、ニクスは言葉が出ず口ごもってしまった。
初対面の人間に言える筈がない。
自身を殺そうとしてきた人と間違えましたなんて。
そうして、ニクスが押し黙っていると、少女は「もういい」と投げやりに吐き捨て、
「あんた、探索者なんでしょ?」
「なんで、知っているんだ?」
「ラカントラマっていう、ハゲ頭のおっさんからあんたのこと聞いたの」
「ハゲラマが? なんで……」
ニクスは、少女の言っている意味が理解できなかった。
どうして、いや。何処でラカントラマは、自身が此処で働いている情報を手に入れたのだろうか。
あれから――あの日から一切会ってないというのに。
そう懊悩するニクスを他所に、少女は此処に来た目的を告げる。
「ねぇ。あんたさ、強いんでしょ? わたしと一緒にダンジョンに潜ってよ」
「い、いきなり……なんで俺なんだ!?」
ラカントラマのことは今は置いとくとして、何故自分なんだとニクスは不思議に思う。
ラカントラマの名を知っているということは、彼女は探索者協会へ行ったということだろう。
だったら、自分よりもっと腕利きの人に頼べばいいのにと、そう思わずにはいられない。
「それは、今頼める人があんたしかいないからに決まってるじゃない」
「……?」
「はー。祭りよ、祭り。今、冬祭りだから協会に人がいないのよっ」
「あー。なるほどな」
そういえばそうだった。
そんな行事もあったなと、ニクスは理解と納得を示す。
あの日からニクスは、なるべく人を避けてきた。理由は、もう裏切られたくないからというモノ。
なので、もう二年もフォクスで過ごしているが、そういった祭りとかの情報には疎いし、興味もない。ともあれ――
「嫌だと言ったら?」
正直、もうダンジョンはこりごりだ。
そう。ニクスは死が怖い。
偶然にも何故か命を拾ったが、あんな目に合うかもしれない思いをしてまで、ダンジョンに潜る必要性は感じられない。
故に、ニクスは探索者を退いて、こうして命の危機が少なく、人と接することの少ない炭鉱夫になったのだ。
それに今更戻ったとしても、合わせる顔がない。だから――
「無理矢理でも連れてくわ! わたしの目的のためにねっ」
ニクスの思考を遮るように、その凛とした声が坑道に響き渡る。
それを発した少女は、歩を進めてニクスの目前にまで躙り寄り、腰に手を当てた。
「何度だって言うし、お願いするわ! 絶対に付き合ってもらわないといけないものっ」
「どうして、そんなに……」
なんとも横暴で、自分勝手。
ニクスは後ずさりしながらも、しかしその黒眼から自身の視線を離せなかった。
強い決意のこもった目だ。
ニクスは知っている。この光輝く眼差しを。 それは、自身の友達が夢を語る時にしていたものと同一のもので。
なぜかお腹の中が、じんわりと熱くなっていくのを感じた。
「わたしにはわたしの理由があって、あんたにはあんたの理由がある。…………お金が欲しいんでしょ? これを――。この紋章を見なさい」
言って、紅色の髪を揺らし、少女は誇らしげに胸を張る。
まるで、その胸にあるものが素晴らしいものんだと訴えるかのように。
有無を言わせない、そんな態度に当然、視線を向かわせるニクスだが――。
「……えっと。わからん。すまん」
首を傾げて、それからしげしげとみるもやっぱりわからない。
白の片翼が描かれているんだが、有名なのだろうか?
と、一泊の間の後、何故か少女がプルプルと震えだした。そして、
「なん、なん、なん、」
「ん?」
「なんでわからないのよっ!! 有名でしょコレ! 普通、探索者なら誰しもがわかる代物じゃない!」
怪獣のように喚く少女。もの凄い声量だ。
おそらく坑道の入り口まで届いてるんじゃないかと思われる爆音。
それを真正面で受けたニクスは、堪らず耳を抑えてしかめっ面をした。
「うっせぇ! ぎゃんぎゃん吠えるなよ! 耳が取れるかと思ったってーの」
「はぁー? なによっ。探索者のくせに知らないあんたが悪いんでしょ。無知をわたしのせいにしないで!」
言って、少女は強引にニクスの手を取った。
柔らかく、暖かい手。
不覚にも、ニクスはドキリとしてしまう。
「兎も角、ほら。ちゃっちゃっと、行くわよ!」
ただ、少女の方はなんとも思っていないのが発言からも態度からもわかる。
まるで、ワガママを言う子どもを連れて行くように、そのまま坑道の入り口へと向かおうとしている。
レイチェルよりも苛烈で、自分よりも強情。嫌いではない。むしろ、その彼女の理由というのが気になったくらいの感慨がニクスにはあった。
けれど――
「さっきも言った筈だぜ。俺はダンジョンには潜らない」
言いながら、ニクスは握られた手を強引に振り解く。
すると少女は振り返り、形の良い眉をひそませて、疑念をぶつけてきた。
「あんた、お金ほしいんじゃないの? 鉱山よりダンジョンの方が稼げるし、わたしの依頼料って、確か結構出たはずよ」
「お金は……ほしい。でも、嫌なもんは嫌なんだ。仕方ないだろ」
「なんでよ」
少女はニクスのことを――あの日のことを知らないから簡単に言う。けれど、それは自身も同じだ。
ニクスも彼女を知らないし、名前すらもしらない。なんせ、出会ったばかりだ。当然といえば当然で。
ニクスとて、キラキラした瞳で自分を頼るその少女の意を信じたい。あの輝きは星のように綺麗で、確かな意志を感じた。
しかし、ニクスは信じることが怖かった。また、裏切られてしまうんじゃないかと。
「――っ。お、女がいるからだ」
そうして、出た言葉はただの言い訳だった。
潜るのは嫌だ。そこの心情は変わらない。
けど、怖いが女は好きだし、破格のお金が出るなら潜ってもいいと譲歩できる。
ただ、目前の少女とはどうしても行けない。
あの黒い瞳を見てしまうと、どうしても身体が萎縮してしまう。
「はい? なにそれ……。あんた、まさか女が嫌いなの?」
なにいってんだコイツ。と語っている黒眼が、ニクスの空色を雲ごしに射抜いてくる。
半分正解で半分不正解だ。
「――だったら。ううん。さっきは手を握っちゃてごめんね。距離は取ってていいから。サポートしてくれればいいの。それ以外は深く関わらなくていいからさ。お願いっ!」
手を合わせて真摯に言ってくる少女に、ニクスの胸が痛む。
嘘を吐いたのは、始めてだった。
こんなにも、痛いのか。もしかしたら、あの日の彼女も――。いや、それはないな。
ともあれ、もう嘘を付くのは止めよう。
ニクスは彼女の眼を見て、今自身が思っていることを伝えようと、口を開く。
上手く伝えられるかわからないけど、彼女のように、真摯に自身なりに精一杯思いを込めて。
「お、俺には夢があるんだ。そう、村の復興だ。でも、村の年寄りどもは皆諦めちまって、一向に動こうとしない。だから、俺はジジィどもを見返してやりたい。絶対できるんだって」
ニクスは言葉を、思いを、夢を紡ぐ。
彼女にとっては意味のわからない事だろう。けれど紅の少女は黙って、自身の話しを聞いてくれていた。
「そのために金がいる。それに、ごめん。さっきは嘘吐いた。俺は女が好きだし、にゃんにゃんもしてぇ。でも、怖いんだよ刺されるから!」
言い切って、ニクスは汗を掻いているのに気付いた。
心臓もドキドキと音を鳴らしている。けど、スッキリとした爽快感があって。
――――ただ、聞いてくれていた少女はそうでもないようだ。
「――はぁ。わたし、別に刺さないけど……」
腑に落ちないと、言わんばかりの呆れ顔。
そして、眼を何回か瞬かせた後、少女はニタニタとした人の悪い笑みをニクスへと向けてきた。
「要するにあんた、どーてーてことね」
「わりぃかよ!」
「べつに。でも――――」
どういったらそういう思考に至るのか不明だ。ただ、それは大正解だ。花丸である。
図星を突かれて、思わずニクスは吠えてしまった。
すると、彼女は自身を見やりながら顎に手を当て考える仕草をした。
チラチラと何回も見てくる。
一体なんだろうか。
そうして、五分くらい彼女はその体制で悩み続け、先程の恥ずかしさからそれを咎めることをしなかったニクスは、彼女の急な溜め息にビクリと反応する。
「なんだ……」
「――――――」
じとーと見て――――否。少女は睨んできている。正直、かなり不気味だ。
「なんだよ。怖いからソレ止めてくれ」
「――――報酬、一個追加してあげるわ」
「――なんっ。…………まだ言うのかよ!」
いきなり飛んできたのは、諦めの悪い少女の強かな鋼の意志。こんなにも断っているのに、彼女は頑なだ。
無論、ニクスとてその意は決まっている。
しかし、彼女は先程自分の話しを聞いてくれた。だったら最後まで聞くことが誠意だろう。
そうして束の間待っていると、目前の少女は動き出した。
ニクスを睨み付けたまま「うっふーん」と身体をしならせる。
そして、胸に服越しに手を当て、それを上へと持ち上げた。
「わたしの目的のために、ダンジョンに潜ってくれたら揉ませてあげる。これが、追加の報酬よ!」
彼女は顔がいい。
事実、苛烈な性格はニクスの好みではないものの、彼女のような容姿であれば、それを我慢してまでも付き合う人はいるだろう。
それくらい魅力のある少女だ。
ただ、睨み付けながらのその仕草は何の色気も感じられず、ニクスはそれを見て思った感想を嘘偽りなく口にした。
即ち――。
「ぺちゃんこだ……」
瞬間、ニクスは頭に落ちてきた隕石と、右頬にきた鮮烈な稲妻の脅威に晒されることになった。
「さいっ、てーよ! この変態!」
後にニクスは語る。
その少女の怒号は、地震のように大地を確実に震わせる力があったと。




