「あ、悪い吸血鬼」
「あ、悪い吸血鬼」
コボルトで両手が埋まったユエルが、塔の下まで到着した瞬間に放った言葉に、ハルカの血の気が引いた。ユエルの視線がウルメアに向いていることを確認し、即座に、何かを考える間もなくその腕を捕まえる。
ハルカが知っている、ユエルの数少ない行動のパターンの一つが、『悪い人の発見』から『殺す』の流れである。
躊躇している時間の余裕はなかった。
「なに?」
瞬間移動される前に捕まえられたことに安心しつつ、ここから何を言うべきか真っ白な頭の中を整理し始める。
「う、ウルメアのことを知っているんですか?」
「ウルメア? 知らないけど、あの吸血鬼なら、前に戦いの場から逃げていったのを見たことがある」
休みのはずなのにコボルトにたかられて指示を出しているウルメアとの距離はまだまだ遠く、あちらは何も気づいていない。ウルメアは吸血鬼としての能力を失ってしまっているし、無意識にこの場所が安全だと思っているところがあるので仕方がないだろう。
「あの、見ての通りコボルトたちに慕われていまして、昼間にあれだけ活動しているのを見ればわかる通り、吸血鬼としての能力も失っています。過去に酷いことをしたのかもしれませんが、今はこの街やコボルトたちを守るために献身的に働いてくれています」
「ふぅん」
「だからその、殺すのはちょっと……、お願いします」
ユエルはコボルトを抱っこしたまま体の向きを変え、ハルカと向き合って尋ねる。
「あなたの臣下なの?」
「臣下と言うか……」
「王様でしょ」
「はい、そうですね……、そうとも言います」
「なら何かあったらあなたが責任取るの?」
「はい。それは、そうです」
「そ、離して」
「殺しませんか……?」
「殺さない」
二人の口から物騒な言葉が飛び出していることに、ウルメアはまだ気づかない。
気づかぬまま話が終わり、ユエルはわらわらとコボルトたちを引き連れたままゆっくりとウルメアの方へ近づいていく。
ハルカもユエルの言葉を一応信用しつつも、何があっても対応できるようにすぐ横についていく。
距離が近づくと、コボルトたちが大量にいることからウルメアがハルカたちに気が付いた。
「ああ、戻ったのか。そいつは……、あっ」
ハルカに先に目をやって、続いてユエルの顔を見た瞬間、ウルメアの顔色は一瞬にして真っ青になった。
「う、うわぁ、あ、あ……!」
直後ウルメアは振り返って、コボルトたちの隙間を縫って逃走を開始する。
ウルメアの方も、ユエルの顔を覚えていたのだ。
足がもつれて転びながらも、すぐに立ち上がってウルメアは逃げていく。
ハルカとの一件で、一度は自分の死に直面したウルメアは、既に死の怖さをよくよく思い知っている。
頭の中は死にたくないという思いでいっぱいであった。
入口の方は塞がれているから、逃げるのは塔の中しかない。
塔に逃げてどうなるというのか。
行く先に迷っているところで、ウルメアは視界の端にニルの姿を発見する。
方向転換するところで、再び足がもつれて転んだが、地面についた手から血が出ていることも気にせずに、全力でニルに接近し、そのままその大きな背中に隠れる。
「こ、ころ、殺される……!」
「ん? なんだ? どうした」
状況を把握できていないのはニルだ。
ハルカが知らないエルフを連れて帰ってきたことには気づいていたが、元々強力な吸血鬼であったウルメアが、ここまで動揺するなんて異常なことだ。
「陛下よ、何がどうなっているのだ」
「あ、こちら師匠のご友人なのですが……、どうやら昔のウルメアさんをご存じのようで……」
「あいつらは駄目だ、駄目なんだ……!」
「ほう……、吸血鬼であった時のウルメアでも勝てぬ相手か」
「仲間がたくさん殺されている……」
今まで出会わぬようにずっと気を付けてきたというのに、力を失ったところで再会するなど、ウルメアにとっては最悪の事態である。
「殺さないのに」
あまりに酷い怯えようを見せるウルメアに、ユエルはぽつりとつぶやく。
ここまでになると、少しばかりユエルの方がかわいそうに思えるくらいだ。
「ウルメアさん、事情は説明していますので大丈夫です、安心してください」
「ほ、本当か……?」
「はい、本当ですから」
さっき一瞬ちょっと危なかったけれど、ウルメアを余計に怯えさせるだけなので、ハルカはその件については伏せておくことにする。
「私はもう悪いことはやめた、人とも関わらない! 吸血鬼でもない!」
ウルメアはニルの後ろから出てこず、声だけが聞こえてくる。
「吸血鬼じゃないって何?」
「色々ありまして、今は吸血鬼としての能力をすべて失っています」
「ホント?」
話しながらもユエルは着実に距離を詰めており、もうそろそろニルと普通に話をできるくらいの位置まで近寄っている。
「悪い吸血鬼、手、見せて」
「あの、ウルメアです、悪い吸血鬼ではなく」
「悪いことはしない、手も落とさないでくれ……、怪我をしたら治らない……」
そう言いながらもウルメアは恐る恐る、ニルの背後からにゅっと腕だけを伸ばして前に差し出す。
転んだ時に地面についたせいで、その手のひらには傷がついて血がにじんでいた。
空の日はだいぶ低くなって、今いる場所に太陽の光は当たっていない。
吸血鬼の力が残っていたとすれば、とっくに治っていなければおかしい傷だ。
「ほんとだ、吸血鬼じゃない」
納得してもらえたようで良かったと思いつつ、ハルカはウルメアに近付いて、傷ついた体に治癒魔法をかける。
「そうだ! 私はもう……!」
勢い込んでユエルの言葉を肯定しようとしたウルメアは、自分の言おうとしたことを再認識して、肩を落としながら呟くように続ける。
「私はもう吸血鬼ではない……。セルドの王たる血筋はもう途絶えたのだ……」
ついでに自分がすっかり力を失っていたことを久しぶりに再確認したウルメアは、沈んだ声でユエルにそう答えるのであった。





