チー牛、海イベに行く4
「今日はありがとーー!!」
ステージ上の師匠が観客席に向けて話しかけた。
客席からワーキャーと歓声が上がる。
「みんなめちゃめちゃ『バイブス(vibes)=気持ち、ノリ』高くて嬉しいよー」
これまたワーキャーと大きな歓声となって返ってくる。
「今日は最高に天気がいい」とか「朝から少し泳いだ」とかそういう世間話を軽いジョークを交えながら話している。
その度に客席から「かわいいー」とか笑い声など、何かしらの反応が返ってくる。
確かに師匠は可愛い。
いや、もう俺は師匠と呼ぶべきでは無いのでは?
アイジェン?neji-y?彼女?ハニー?ベイビー?もういっそ嫁?妻?ワイフ?
何故って?
だって俺はお前ら外野共の知らないneji-yの素顔を知っているのだ。ステージ上でニコニコとしているneji-yだけでは無い。俺の前では「あ?殺すぞ?」くらいの罵声を平気で浴びせてくるのだ。
お前らはneji-yちゃんから罵声を浴びせられた事はあるのか?あ?どうだ?俺の勝ちだ!!ハッ!全員ひれ伏せ!!
俺がドヤッて満足感に浸っていた時だった。
「おい、お前殺すぞ?」
ステージ上の師匠が突然キレた。
ビクッとして師匠を見ると、師匠の指差した方向は全然違う方だった。
師匠はキレたかに思えたが、周りは静まり返るどころか逆に盛り上がった。
「私にも言ってーー!」
「出たー!instrで見るやーつ!!」
「毒舌キターー!」
観客には大ウケしている。師匠も笑っていた。師匠、キレ芸をお持ちなのか?しかもどうやら別のSNSでは連発しているようで有名だったようだ。
あれ……なんだろう……俺の優位性が薄れていく。
師匠、めちゃめちゃみんなに殺すって言ってますやん……俺だけじゃないんか。師匠、それじゃただの口悪い女の子やん……
いや、だがしかし、俺は師匠の秘密を知っている!
俺と師匠は親密な関係だ!そうだ!師匠は俺の彼女だ!いや、もはや嫁だ!YES!嫁!
秘密を共有した距離感なのさ!
一瞬砕け散った俺のハートは、俺と師匠の関係は濃厚だと自分に言い聞かせる事でなんとか無事持ち直した。
「今日はねー、ワタシの事を師匠って呼んでるから……弟子?も遊びに来てくれてるからねー」
師匠ーー!!貴様見ているな?!
俺の心を覗き見でもしてんのか?
前々から監視でもされてると思っていたが、読心術でも身に付けてんのか?
俺が浮かれたタイミングで心を砕いてくる。浮かれた俺への取り締まりが厳しすぎる。
せめて少しくらい夢見させてくれればいいものを、わざわざこのタイミングで「弟子」と名言しなくてもいいだろうよ。
「いやー、どこいるんだろうね?あいつ存在感薄いからなーww……まぁいいかww」
師匠の追撃に俺の心は粉砕骨折した。
師匠、あんたって人は罪深いよ。だがよく考えろ。これが師匠だ。俺が勝手に妄想していただけだろう?むしろ師匠らしい。流石は師匠!素晴らしい!
俺はどうにかいつものマインドに持ち直すことが出来た。
おそらくネトラのdisバトルで鍛えたおかげかもしれない。
「つーことでねーー『ラストシット(last shit)=最後の曲』いっとこうかなー」
師匠が俺の事であろう話題を早々に切り上げて最後の曲を歌うようだ。
客席からneji-yとの別れを惜しむ声が聞こえる。
「あーそうそう。今月発売した新譜だけど、みんなもうチェックしてくれてるよねー?」
「したよー!」「まだー!」
「はい、まだとか言ったヤツ、ライブ終わったらソッコー買うように!あっちでねー、物販とかしてるからねー。そこに売ってるCD、ワタシが昨夜せっせと書いたサイン入ってるから、既に買ってくれた人もまた買ってねーww」
よし、人生初のCDを買おう!!
師匠の宣伝によりCDを買う決意をした。
「ありがたい事にねー、新譜もCMで使ってもらえるらしいからねー。楽しみにしててね!ではラストシット『dilemma』」
そう言って師匠は最後の曲を歌い上げた。
しっとしりとした曲で、でも口ずさみたくなるようなサビで、これは間違いなく『アンセム=人気の曲』となるだろう。いや、今後も語り継がれる『クラシック(classic)=名曲』となるだろう。
音楽を全然知らないので知っているスラングを並べ立てて精一杯新曲を褒めてみた。
そのくらいいい曲だった。
師匠のライブが終わり、師匠がステージの裾に消えたがアンコールが鳴り止まなかった。
アンコールに応えるかのように登場した師匠はそこから2曲歌ってくれた。
今度こそライブが終わったようで師匠がステージからいなくなると客席側にいた人達はステージ横に設置された物販コーナーに並んだ。
俺もその列に並ぶ事にした。
ステージにはポツリとDJがいた。さっき師匠のバックDJとしてDJしていた奴ではなかった。物販コーナーに並んでしまって少なくなった客席に向けて曲を流していた。一応物販コーナーから音楽は聞こえたが、列に並んだ人達はライブの余韻に浸っており、音楽なんて一切聴いている様子は無かった。師匠に客を持っていかれた感じになってなんだか可哀想な気分になった。
あと5人で自分の順になった。もたつくのを避けるために早めに財布を取り出す事にした。よし!財布の中身の許す限りCDやグッズを購入しようと思い、中身を確認していたところでスマホにメッセージが届いたという通知がきた。
画面を見ると師匠からだった。
「―――――――――――――――――――――
CD買わなくていいからDJのプレイを聴いて待っとけ。その人めっちゃ上手いから。
―――――――――――――――――――――」
そう描かれていたので俺は素直に列を抜けた。 後ろに並んでいたカップルからクスクスと笑われた。
……何故?と思ったが、もしかしたら財布の中身を確認して持ち合わせが少なくて笑われたのではないか……クソッ!師匠!!毎度毎度タイミング悪過ぎるだろ!いや、逆か?良すぎるのか?狙ってるのか?!
クスクスと笑われながら俺はスカスカの客席に一人でポツリと突っ立った。俺は知らない音楽を聞きながらボーッと突っ立っていた。
客席の隅に5人くらいの男達が輪になって何かしているのが見えた。しばらく遠くから眺めていたが、する事が無さ過ぎて少し近づいてみると彼らの声が聞こえてきた。
……こいつら、ラップしてるぞ。




