1-82 モルーグの嵐 1
空は分厚い雲に覆われ、夜明けからずっと暗いままだ。そして次々と巻き起こる雷は、その暗さの中で光によって己の存在を鼓舞し、その咆哮は子供達のみならず大人ですらその耳を塞がせた。
雨と風も負けてはいなかった。地上を叩き続ける大粒の雨は、全ての物の輪郭を曖昧にし、一寸先をも見通させまいとするカーテンとなった。風は全ての木々を波打たせ、抵抗出来ない物を吹き飛ばす。
そんな誰もが好き好んで外出をしたいと思わない状況の中、モルーグ王国の首都ペリトーラの城壁内の街路を幾つもの集団が走り抜けて行き、この国の中枢機関が入っている建物、そして王宮へと消えて行く。
彼等に共通している事はこの国の軍服を身に纏い、肩に赤い襷をかけ、銃と剣を携えている事だった。
「デロン!貴様自分が何を言っているか判っているのか!今すぐ止めるのだ!これは命令だ!」
真っ赤な顔で怒鳴っているのは、王弟アレキサンドル=ファース=モレードその人である。
嵐の中、屋敷を突然訪れた補佐官のデロン=ドロスとその側近を何事かと訝しがりながらも笑顔で出迎えたアレキサンドル公であった。しかし、訪問理由の説明をデロンから受けてその内容を理解したアレキサンドル公は激昂する。
「エリス!ここの事はいい!シーザーを連れて奥に下がっていろ!」
アレキサンドル公の怒鳴り声に何事かと顔を出した妻のエリスと息子のシーザーは、不安げに奥へと下がる。
人払いができた事を確認するとアレキサンドル公は再びデロンを睨みつけた。しかしデロンは悠然とアレキサンドル公を説得にかかる。
「アレキサンドル様。よくお考え下さい。今この国が置かれている危機的な状況を。無能なゴルジア王は政に見向きもせず享楽に耽り国の財政を圧迫するばかり。大臣を始めとする役人共も己らの私腹を肥やす事ばかりに熱心で国民の声に耳を傾けようともいたしませぬ。あまつさえ、アレキサンドル様が打ち立てる数々の改革案も己らの利権絡みで何かと妨害されてきたではありませんか」
アレキサンドル公は険しい表情を崩さないまま無言で小さく頷く。それを見たデロンは軽く含み笑いをして話を続ける。
「今や民衆の不平不満は頂点に達し、いつどこで暴動が起こってもおかしくはありません。いや、民衆が一斉蜂起する事も十分考えられる状況なのです。そうなれば、王制そのものの存続が危ぶまれるでしょう」
「そうなる前に手を打つ必要があるのです。それは民衆の信頼が最も篤いアレキサンドル様が王位に就き、改革を推し進める事で、民衆の怒りを鎮め支持を得る事が最良なのです!」
椅子に深く座り腕組みをしながらデロンの話を聞いていたアレキサンドル公は少し考えた後、口を開く。
「いや、やはり信義にもとる行為は慎まねばならん。兄上とて一国の王。私がこの身を裂いてでも説得すれば必ずや」
「今まで一度たりとてお聞き届け頂いた事がございましたかな?」
デロンの言葉に遮られ口を閉ざしたアレキサンドル公に、デロンは満足げに頷くと言葉を続けた。
「まぁ、いずれにしましても、今時分、ゴルジア王はもう何も聞くことは出来なくなっておいででしょう」
そう言っていやらしい笑いを浮かべるデロンの顔を、アレキサンドル公は何を言っているのか判らないという風に漠然と見つめていた。しかしやがて、その言葉が意味する所を理解すると猛然と立ち上がり、今まで発した事がないような怒声をデロンに浴びせかける。
「貴様!私の許しもなく大それた事を!貴様ら全員反逆の徒として私が直々に首を刎ねてくれるわ!!」
首都ペリトーラに時を告げる鐘が鳴り響く。それはたとえ今日のような嵐の日であっても変わる事のない日常のごくありふれた出来事である。
しかし、一部の人間にとっては、この日この時刻の鐘の音は特別な意味を持っていた。
王宮の正門を守備する衛兵の中の数人が鐘の音を確認すると、無言で赤い襷を肩にかけ始める。これは彼等だけではない。王宮の内部や主要な建物でも、一部の衛兵や職員が赤い襷を肩にかけるのであった。
「お前達何をしているんだ?」
王宮の正門を預かる他の衛兵が訝しがりながら尋ねる。
「夜明けを迎える準備だよ」
赤い襷を着けた衛兵はニヤリと笑ってそう答えると、いきなり剣を抜き、無抵抗の衛兵を斬り倒したのである。
そして門を開け、同じ赤い襷を着けた一団を招き入れるのであった。
怒り狂い剣を手にするアレキサンドル公に臆する事なく、それどころか憐れみの眼差しをもってデロンは異論を唱える。
「おぉ・・・我があるじよ。我々の行為を『反逆』と仰るならば、それは何に対する反逆でありましょう。万物に公平な天に対する反逆でありましょうか?か弱き人民に対する反逆でありましょうか?それとも背徳の限りを尽くす悪しき王に対する反逆でありましょうか?」
アレキサンドル公は剣の柄に手をかけたまま動きを止め、苦々しい顔でデロンを睨みつける。
「これが悪しき王に対する反逆であると言われるのなら、我々は喜んで反逆者の汚名を纏い、アレキサンドル様の剣にこの首を捧げましょう。そして『殉教の徒』として天の神々の下で、アレキサンドル王の輝かしき治世を見守らせて頂きます。さぁ、どうぞこの首をお召し下さい」
デロンがそう言って差し出すように頭を垂れると、デロンの側近達も揃って頭を垂れた。
これにはアレキサンドル公も気勢をそがれ、剣から手を離しゆっくりと腰を降ろし、自分の気を落ち着かせようと大きく息をする。その様子にデロンは頭を下げたままニヤリと笑った。
「王にはウィルファンが最適だろう。あれは賢く民衆の支持も高い。あれならばきっと」
アレキサンドル公の言葉を、顔を上げ胸を張るデロンが遮る。
「何を仰いますか。ゴルジア王の血筋は絶やすのが道理でございましょうに」
「ウィルファンにも手をかけると言うのか!あの晩餐会でのミーア=リーア=シュタインロードの警告を忘れた訳ではあるまい!」
驚きの声を上げるアレキサンドル公の言葉に、デロンはあの日の屈辱を思い出しながら答える。
「あの忌々しき小娘の事は一刻たりとも忘れた事はございません。しかし、私が得た情報によりますれば、フォルデベルグ王国は一時ローデモング帝国と交戦状態になったとの事。とすればフォルデベルグ王国とすればローデモング帝国と渡り合うためには、我がモルーグ王国の援助が必要なはず。決して我らと敵対関係となることはないでしょう」
(だからこそのこの時期なのだ。ゴルジア王と最大の障害であるウィルファン王子を始末するのは)とデロンは己の知略に酔いしれるが、中途半端な情報と稚拙な知略は毒にしかならないという良い見本であった。
実際にはローデモング帝国は奇襲作戦の失敗により軍事力の多くを失い半死半生で、他国から自国を護るのに手一杯であり、フォルデベルグ王国から突きつけられた大層不利な休戦協定を喜んで受け入れる有り様だったのである。
フォルデベルグ王国としては北の脅威が取り敢えずなくなった今なら喜んでモルーグ王国と事を構えるはずだ。
「まもなく各所から制圧の報告がこのお屋敷に届く筈です。アレキサンドル様。ご決断下さい。この国に正義をなすのです。あなた様自身の手で」
アレキサンドル公は椅子に座ったまま頭を抱える。
ここに報告が来るだと?こ奴らは、この屋敷を謀叛の本拠地にしおった。担ぎ上げる私の逃げ場を奪うように。
全ての事が、アレキサンドル公の望みとは真反対に進んでいく。アレキサンドル公が、もう選択肢はないと悟るのにさほど時間はかからなかった。
窓を真っ白に埋め尽くす稲光と鋭い雷鳴はいよいよもって激しさを増す。
そんな中、アレキサンドル公の屋敷に次々と伝令が到着する。国の中枢たる各省庁、軍事施設などの陥落の知らせが膨れ上がる。
そして、デロンが最も欲した報告が到着する。
「王宮の制圧が完了しました!」
デロンは満面に笑みを浮かべて詳しい報告を催促する。
「そうか!首尾はどうなっている?!」
「はい!ゴルジア王、ベラ王妃、ガリアン王子の3名を討ち取りました!」
意気揚々と兵士が報告するがデロンの顔からは笑顔が消える。
「ウィルファン王子はどうなったのだ?!」
「ウィルファン王子は王宮にはいらっしゃいませんでした」
思わぬ事態に言葉をなくしたデロンを、アレキサンドル公はようやく鼻で嗤う事ができた。ウィルファンならアソコだろうと心当たりがあるがデロンに教える気はさらさらない。しかし、
「飛行場の軍施設、制圧を完了しました!」
次に飛び込んで来た伝令の言葉にアレキサンドル公は笑顔を失う。そこには『ガルーダ』が駐留しており、ウィルファンがいるとしたらそこだとの確信があったからだ。
「制圧しましたが・・・しかし・・・」
伝令の歯切れが悪い。デロンのイライラが頂点に達する。
「しかし何だ!ハッキリ言わんか!」
「はっ!『ガルーダ』パイロットのギルバート=ラングルホースと整備士のフランク=メルギスが『ガルーダ』に乗って逃亡!しかも・・・ウィルファン王子を伴ってです!」
デロンは顔を真っ赤にしながら言葉を失う。アレキサンドル公は思わず「ははは!」と声に出して笑ってしまう。
伝令は慌てて言葉を継ぎ足す。
「で、ですがご安心下さい!ウィルファン王子は制圧部隊の銃撃で深手を負った模様です。それに追撃の戦闘機部隊を発信させました。捕縛も時間の問題でしょう」
「捕縛の必要などない!ウィルファンを確実に殺せ!『ガルーダ』を失っても構わん!」
デロンのあまりの剣幕に伝令はまた慌てて嵐の中へ飛び出して行く。
(ウィルファン、どうか無事に逃げおおせてくれ)
アレキサンドル公には、もはや祈ることしか出来なかった。




