1-60 リンドの悪魔 8
ミリーが肩越しに振り返り、ニタァっと嗤いながらカイトを凝視していた。この時カイトは自分がしでかした失敗に気付き、足を竦ませガタガタと震え始めていた。
ミリーはカイトを凝視したままゆっくりとカイトに向き直り、長剣を引きずりながらゆらゆらとカイトに近づいていく。ニタァっと嗤う口からはククククと小さな嗤い声も洩れていた。
(狂ってる)
それが所長のジョージが出した結論である。
王宮の返事を待ってはいられない。このままではカイトの命が危ない。
そう考えて衛兵を動かそうとした矢先であった。
「王宮から返信が来ました!」
通信兵が叫ぶ。
「内容を読み上げろ!」
「えっ?し、しかし・・・」
王宮からの早い返答は、ミリーの凶行が王宮にとっても不測の事態である事を意味しミリーを捕らえる許可を出すためのものだ、とジョージは勝手に解釈し、それをここにいる全員に手早く知らしめるために、通信兵に読み上げるように指示したのである。
しかし、その事が、この部屋にいる全員を絶望の淵に叩き落とす事になった。
「よ、読み上げます!『ミーア=リーア=シュタインロードの行動は全ての法よりも優先される。生命与奪権も例外ではない。ミーア=リーア=シュタインロードの命令及び行動には絶対服従せよ。例え命が奪われる事になってもである。従わない者がいた場合、またはミーア=リーア=シュタインロードが戻らなかった場合、ラーミザン基地全体に反逆の意志ありと判断し、全職員並びに家族及び一族を反逆罪で処刑するものである』」
ジョージは絶句し、我が耳を疑った。この基地の人々の命運は王宮の後ろ盾を得た狂人の手に握られてしまったのだ。王宮は一体どういうつもりなのか、一体どれ程の事態がこの価値のない辺境基地に起こるというのか、基地の価値が判っていないジョージにはそれ以上の考察など無理な話だったのである。
フィリア姫は落ち着かなかった。時刻的にはラーミザン基地での作戦が開始された筈だ。
今回、ラーミザン基地での作戦内容をフィリア姫は聞かされていなかった。いや、誰もミリーから聞かされてはいなかったのだ。幾ら聞いても「行ってから考えます」と、にこやかにはぐらかされるだけだったのである。
「アル。ミリーから本当に何も聞かされていないの?」
作戦開始間近で最後の休憩を取りに来たアルベルトを捕まえて、何とか情報を引き出そうとするフィリア姫であった。
「本当に何も聞かされていませんよ」
「じゃあ、ミリーならこんな作戦だろうって予想を付けて欲しいんだけど」
「想像したくもないですね」
吐き捨てるように返事をしたアルベルトの言葉の違和感をフィリア姫は聞き逃さなかった。フィリア姫は訝しげな表情を浮かべアルベルトを問いただす。
「それ、どういう意味?」
アルベルトは失言に気付き、無意識に手で口を押さえ視線を逸らす。フィリア姫は問い詰める表情で、アルベルトの視線を遮るように顔を近づけた。
その時だった。フィリア姫達の近くの通信室から2人の大臣が談笑しながら出て来たのである。大臣の一人はグライゼだった。2人の大臣はフィリア姫達の存在に気付いていなかった。
フィリア姫はラーミザン基地の様子が何か聞けないかと、歩く2人の大臣の後ろから近づく。が、聞こえてきた話の内容にフィリア姫は愕然とし、かける言葉を失ってしまった。
「・・・しかし、ミーア=リーアも、呼びつけた2人の商人の首をいきなり刎ねるとは・・・」
「『皆殺しの悪魔』『リンドの悪魔』は、いまだ健在という事じゃな。まぁ、その方が儂等も安心じゃ」
「ラーミザン基地はこれから地獄絵図ですか・・・殺戮は最小限にするようミーア=リーアにお願いできないものですかな?」
「はっ?!ミーア=リーアは『リンドの悪魔』なのじゃぞ。そんな要求をしたら、ますます喜んで首を刎ねまくるわ。そんな事より補充の人選をしておく方がよっぽど建設的じゃ。総替えするつもりでな。取り敢えずむこうの通信兵にはどれだけ殺されたか状況報告を適時行うように指示を出しておいたがな」
「グライゼ!!」
たまりかねたフィリア姫が叫ぶ。突然声をかけられた2人の大臣は、声の主がフィリア姫だと判るとバツが悪そうな顔でお互いを見やり、口をつぐんでしまった。
そんな2人にフィリア姫が畳み掛けるように質問を飛ばす。
「今の話、どういう事なの?!ミリーが無抵抗の人間を傷つけたりするはずがないわ!何かの間違いよ!『皆殺しの悪魔』だとか『リンドの悪魔』だとかどうしてそんな酷い二つ名がついているの?!ミリーが何をしたっていうの?!早く答えなさい!!」
「いや・・・その・・・我々は今忙しいでな。アルベルト!お前から説明しておいてくれ。ただし、ファウンディールの規定の範囲でな」
フィリア姫のあまりの剣幕にタジタジとなる大臣であったが、全てをアルベルトに押し付け、何とかこの場を取り繕って逃げ出したのであった。
後に残されたアルベルトはフィリア姫の責めるような視線にさらされていた。
「アル、やっぱり何か知っているのね。全て教えなさい」
静かな命令だった。しかし、その分強烈な威圧感を伴っていた。アルベルトは何とか誤魔化そうとする。
「ミリーについては、改めてお教え出来る事は特に何も」
「教えなさい!!!」
それは悲鳴に近かった。
怒りに満ちた双眸から大粒の涙が零れ落ちる。
アルベルトはフィリア姫の前に跪き許しを乞うた。
「姫、どうかお許し下さい。ファウンディールの制約もありますが、きっとミリーも姫に知られたくないと思っている筈です。憶えてますか?先日の閣議の際にミリーが狼狽した事を」
フィリア姫は黙ってコクリと頷く。
「あの時、マイケル老はミリーを、あの悪魔の名で呼ぼうとしてしまったのです。ミリーは姫にそれを知られるのを嫌がったのです。もし知られたら、何故そう呼ばれる事になったのかもお話ししなければならなくなる、それを嫌がったのです」
フィリア姫は静かにアルベルトの話に耳を傾けていた。
「それでもお聞きになりたいですか?過去の話を聞いてどうするというのですか?姫のミリーに対する態度を変えるとでも言うのですか?」
フィリア姫は止まらない涙を何度も拭きながら悔しそうに下唇を噛む。
「・・・ずるいわよ。アル・・・」
アルベルトは微笑みながら小さく頷く。しかしすぐに険しい表情になり言葉を続ける。
「しかし、問題なのは過去ではなく今なのです。10年近く鳴りを潜めていたミリーが、姫の命を守るために今回再びその二つ名が示す道を進んでいるのです。ラーミザン基地が一体どんな結末を迎えるのか誰にも予想が付きません。しかしミリーが早々に人々を殺し始めた事は事実なのでしょう」
アルベルトの表情は暗い。フィリア姫にもやっと判った。想像したくもないと言ったアルベルトの心中が。
「この事実、及びラーミザン基地からの今後の状況報告はすぐ王宮内に広まるでしょう。そして姫の耳には様々な噂話が飛び込んで来る筈です。ミリーに関する様々な悪い噂が」
アルベルトはフィリア姫の両手を握りしめ懇願するような視線でフィリア姫に問いかける。
「そうしたら、姫はどうされますか?今後ミリーとどう向き合いますか?ミリーは姫に見せたくなかった一面をさらけ出す覚悟を決めたのです。そんなミリーを姫はどう受け止めますか?それとももう・・・」
フィリア姫は戸惑いの表情を見せる。そして弱々しく首を横に振りながら消え入りそうな声で答えた。
「・・・判らない・・・判らないわ・・・」
フィリア姫はミリーが人を殺すのを何度か見たことはある。しかしそれはフィリア姫に害をなそうとした暗殺者に対応したものだ。無抵抗の人間を殺すような事は今まで一度だってない。ミリーは時々ゾッとするような表情を浮かべる事がある。しかしそれだってそれだけの事なのだ。
きっと何か理由があるはずだ。そう信じるしかなかった。
「ねぇ、アル。ミリーが聞かれたくないと思っているのなら無理には聞かないけど・・・1つだけ教えて。アルはその話にどんな印象を持ったのかだけでも」
アルベルトは俯き少し考えてから答える。
「私もその場にいたわけではないので、人の話での印象になりますが・・・」
そう言いながら、アルベルトはミリーの話の中でもファウンディールで最も有名な忌まわしい二つの戦いの話を心に浮かべる。
「かなり惨い話です。あのような忌まわしい二つ名を付けられるのも仕方がないかもしれません」
フィリア姫は気が遠くなる思いがした。ミリーと最も親しい存在であるアルベルトがここまで言うのだ。一体10年前に何があったと言うのだ。・・・えっ?・・・10年?
「ちょっと待って!アルはさっき『10年』って言ったわよね?その話の時ってまさかミリーは!」
「そう、ミリーが6歳か7歳の頃の話です。・・・申し訳ありませんが、もうこれ以上この話は勘弁して下さい」
想像も付かないような事実に、フィリア姫は茫然と立ち尽くすしかなかったのであった。




