1-59 リンドの悪魔 7
【『創世神話』より抜粋】
そして神様は人間を造ろうと、お決めになりました。その時、神様は、
「どうせ造るのであれば、儂の思う通りに生まれ、栄え、そして滅んで欲しいものじゃ」
とお考えになり、最初の人間から最後の人間まで全ての人間について、いつどのように産まれ、どのように生き、どのように死ぬのか、一人一人、一挙手一投足に至るまで全てを事細かにお決めになったのです。
そうして作り上げた全人類の運命を、神様は『リンドの書』とお呼びになる一冊の本にまとめたのでした。
さて、神様はお作りになった『リンドの書』を誰かに護らせようとお考えになりました。そして誰に護らせようかと思案なさっていると、神様の前を、耳の後ろに一対の角を生やした悪魔が鼻歌を歌いながら通りかかったのです。
神様はその悪魔の頭をむんずと掴み、自分の手許に引き寄せました。そして悪魔に『リンドの書』を持たせると、こう仰いました。
「貴様はこれから、この『リンドの書』の番人となるのじゃ。この本に記された最後の一人が死ぬまでずっとこの本を守り続けるのじゃ」
悪魔は嘆き悲しみました。悪魔にとって死ぬことは最も楽しみな事なのです。しかし、この悪魔は神様の命令により、勝手に死ぬことが許されず、永い時を生きねばならなくなったのです。
「おぉ、神様、あんまりで御座います。この私めから死という楽しみをお奪いになるなんて。これから永い時を何の楽しみもなく生きて行かねばならないなんて・・・」
おいおいと泣き崩れる悪魔の姿を見て、神様は悪魔が少し不憫に思えてきました。
「そうか。それはすまんかったのう。では、こうしよう。その『リンドの書』を使って人間をいたぶり殺す事を許そうではないか。場合によっては『リンドの書』を書き換えても構わんぞ。それはもうお主の物じゃからな。暇を持て余した時はそうやって気分転換をすればよい。どうじゃ、悪い話ではなかろう?のう、『リンドの悪魔』よ」
リンドの悪魔は、名を与えられた事と思わぬご褒美に大喜びです。
「わたくしは、自分の死の次に、他者の死を見るのが大好きなのです。特に、もがき苦しんだ挙げ句に絶望して死んでいく姿を見るのが。神様、ありがとう御座います。この本は大切に致します」
そう言うと、リンドの悪魔は老若男女いずれとも付かない薄気味悪い嗤い声を漏らしながら、人間を求めて去っていったのでありました。
【旅の商人とリンドの悪魔のお話】
(リンドの悪魔伝承の一つ。ワーファール地方に伝わる昔話より)
むかしむかし、あるところに諸国を回って各地の特産品を売買する商人がおりました。この商人は品行方正を絵に描いたような男で、曲がった事が大嫌い。信仰も篤く、司祭の祝福ばかりか、滅多に人前に姿を現さない天使様の手厚い加護も受けておりました。
そんな商人が満面に笑みを浮かべて街道を歩いておりました。商売がうまくいった事もありますが、もうすぐ久し振りの我が家だというのが一番の理由でした。目の前の山を平地沿いに回り込んで行けば、夕刻には我が家に着く予定です。
商人には、可愛らしい女房と、さらに可愛らしい娘がおりました。家に着いたらビックリした女房が、笑顔で首に飛び付き沢山キスをしてくれるだろう。家を出発した時、娘はハイハイを始めた位だったから、もう歩き始めている頃だろうな。商人はそんな物思いに耽りながら歩いていたために気が付くのが遅れてしまったのです。
ふと、商人が我に返ると、すぐ前方の岩の上に一匹の悪魔が座っている事に気が付いたのです。ここまで来ると今更引き返すような真似は出来ません。それこそ悪魔にチョッカイを出して欲しいと言っているようなものだからです。
商人は腹をくくって悪魔の横を通り過ぎる事にしました。商人は出来るだけ悪魔に無関心な風を装いますが、ついチラチラと見てしまうのは人間である限り仕方のない事でしょう。
耳の後ろに一対の角がある悪魔は手元を見て熱心に何かをしているようです。商人は悪魔が一体何をしているのか、思わずジッと見てしまいました。そして見てしまった事を後悔する事になりました。何故なら悪魔は分厚い本読んでいたのです。
商人は本を読む悪魔など一匹しか知りません。
(まさかコイツが『リンドの悪魔』なのか?)
商人は背筋に冷たいものを感じ、ふと視線を上げると・・・何という事でしょう。商人は『リンドの悪魔』と目が合ってしまったのでした。
『リンドの悪魔』はニタニタと見つめた後、どれどれと本の頁をめくります。そして、「おぉ」と嘆きの声をあげ悲しそうな表情をして、チラッと商人を見た後、また「おおおぉぉ」と声をあげ大袈裟に悲しみのジェスチャーをとるのです。
不吉な予感しかしない旅人は一刻も早くこの場を立ち去ろうと考え、『リンドの悪魔』を見なかった事にし、足を速めます。
しかし、今度はすぐ隣から「可哀相にのぅ。可哀相にのぅ」と哀れむ声がするのです。
商人が驚き見ると、なんと『リンドの悪魔』が本を読みながら商人の隣を歩いていたのです。
商人は「うわあぁぁ!」と叫び声を上げて駆け出しました。しかし『リンドの悪魔』は本を読みながら商人にピッタリと併走し離れようとはしません。
商人は誰かに助けを求めようとしましたが、誰も通りかかりません。それもそのはず、人々は二人の姿が視界に入るや否や一目散に逃げ出していたのです。
商人は走り疲れて立ち止まり息を整えながら嘆きます。
(非道い。誰も助けてくれない。人間はなんて身勝手なんだ。俺だったら、俺だったら・・・)
「クククッ、俺だったら助けるとでも言うのかい?」
『リンドの悪魔』は馬鹿にしたように嗤います。
商人は(どうして考える事が判ったんだ?)と驚きますが『リンドの書』を持っているのですから当然なのです。
商人は『リンドの悪魔』の問いかけに答えずに、
(そうだ!天使様にお願いしよう!天使様なら私の願いを聞いてくれるはず!)
と思い付き、商人は必死に祈ります。
「天使様。天使様。あなた様の敬虔なるしもべの願いをお聞き届け下さい。どうか哀れな人間を悪魔の魔手からお救い下さい」
するとどうでしょう。天より二人の立派な天使が商人の目の前に現れたのです。商人は、これで『リンドの悪魔』は逃げ出すに違いない、と思い『リンドの悪魔』を見ましたが、『リンドの悪魔』は怯むどころか平気な顔でニタニタ嗤っているのでした。
「我等の加護を受けし者よ。さぁ、我等にどんな奇跡を望むのか、申してみよ」
「おぉ、天使様、ありがとう御座います。お願いと言うのは私の隣にいる悪魔めの事で御座います。この悪魔が私を狙っておるのです。どうかこの悪魔を天使様のお力で追い払って下さいまし」
商人はここまで言うと、もう大丈夫と安堵の表情を浮かべました。天使様は悪魔の顔を見るなり「なんと『リンドの悪魔』ではないか」と呟き、天使様同士顔を見合わせ、商人に話しかけました。
「我が加護を受けし敬虔なる商人よ。『リンドの悪魔』は神の許しを得て人をいたぶり殺しておるのだ。従って我々にはどうする事も出来ぬ。これも運命だと思って素直に殺されるのが神の意志に従うというものだ」
天使様はそう言うとソソクサと天へ帰って行き、後には、愕然とする商人と高笑いする『リンドの悪魔』だけが残されたのです。
今まで捧げてきた信仰は何だったのか、商人は憤慨しましたがどうする事も出来ません。もう何にも頼れないと悟った商人は自分の手で運命を掴み取る決心をします。
商人は横に付いて来る『リンドの悪魔』を無視して歩みを進めます。
やがて分かれ道に差し掛かります。左の道は山を迂回するため遠回りですが安全です。右の道は山道のため危険は伴いますが早く到着します。
慎重な商人は当然左の道を進むつもりでした。
しかしここで、『リンドの悪魔』が本を読みながら声をかけてきます。
「おぉ、そうかそうか、お主はこの先・・・」
商人はシッカリと耳を塞ぎ何も聞くまいとしましたが、不思議な事に『リンドの悪魔』の声は、塞ぐ手などないかのように商人の耳にハッキリと聞こえてきます。
「・・・この先を左にのう、ふむふむ、あぁ、何という事じゃ、2匹の野獣が・・・」
商人はおののきます。左にいくと野獣に襲われ死ぬというのです。『リンドの書』 に嘘が書いてある訳がありません。確かに普段は山から出てこない野獣が麓まで降りて来ないという確証はないのです。
商人は考えます。考えてみれば運命を先に知るという事は運命を自分の力で変える事が出来るという事ではないかと。ここは右の道を選んでみてそのまま進む事が出来たら・・・
商人は右の道を選び山中へと入りました。何らかの邪魔が入り左の道へ戻されるかと思いましたがそんな事もなく、もう戻るより進んだ方が早い所まで到達したのです。
商人は運命を自分で切り開いたと実感し、勝ったぞと言わんばかりに『リンドの悪魔』を睨みます。しかし、『リンドの悪魔』は本を見ては「おぉ」と大袈裟に嘆き悲しむジェスチャーをしているのです。
商人は不審に思いましたが、考える暇はありませんでした。何故なら後ろに二匹の野獣が現れたからです。商人は走ります。可愛い妻が待っているのです。可愛い娘が待っているのです。商人は振り返りません。振り返らなくてもすぐ後ろに迫ってくる息遣いが聞こえます。
商人は走ります。しかし無闇やたらに逃げている訳ではありません。ここの地形は頭に入っています。そして目の前に断崖絶壁が現れたのです。
商人は崖に向かって走り、速度を落とさずに崖から飛び出します。一本の蔦を掴んで・・・
「ウォォォァン・・・」
二匹の野獣は悲鳴を残して崖下へと消えて行きます。商人はブランコのように飛び出した位置に戻り再び大地を踏みしめました。
「勝ったぞ!」
商人は叫び『リンドの悪魔』を睨みます。しかしそれでも『リンドの悪魔』は哀れむような嗤いを商人に投げかけるのです。
その時です。
突然、激痛が商人の右足を襲います。商人が悲鳴をあげて右足を払うと落ちたのは一匹の毒蛇でした。
商人は毒がまわりその場に崩れ落ちながらも『リンドの悪魔』に文句を言います。
「こんな事、本に書かれていなかったのに・・・」
すると『リンドの悪魔』が馬鹿にしたように答えます。
「はぁぁぁ?何故儂がお前なんぞに、正直に本に書かれている事を教えなきゃならんのだ?馬鹿か!ひゃっひゃっひゃっ」
商人は身も心もその場に崩れ落ちます。毒がまわりもう殆ど動けなくなった今、考えるのはもう会えない妻と子の事です。商人は最後の力を振り絞って稼いだ金が入った袋を悪魔に差し出します。
「『リンドの悪魔』よ。せめて最後の願いを聞いて欲しい。この金を妻子のもとに届けてくれまいか。頼む、後生だから」
『リンドの悪魔』は哀れむように微笑みながら優しく袋を受け取り大きく頷きました。商人はもうこれで思い残す事はないと安堵の表情を浮かべました。
しかし、次の瞬間、『リンドの悪魔』はニタァっと嗤うと袋を裂いて中の金子を崖下に全てバラ撒き、下品な嗤い声を上げながら、商人の周りで踊り始めたのです。
商人は絶望に顔を歪めながらも、もう声を上げる事は出来ませんでした。
『リンドの悪魔』は、死んで固くなった商人の周りを、何時までも嬉しそうに奇声を上げながら踊り狂っていたのでした。
「一体その禍々しい二つ名は何なのだ?!カイト!」
ジョージの悲鳴に近い問いかけに、カイトは我に返るが、さらに恐怖の表情を浮かべ凍りついたのだった。
何故なら、ジッとカイトを見つめていたのだ。
ミリーが肩越しにニタァっと嗤いながら。




