1-55 リンドの悪魔 3
『フォリターナ宮殿』
フォルデベルグ王国の東海岸に位置する王都『フォリストフォルン』。その西側に位置し、森に囲まれたその美しい宮殿は、王の居城であると同時に行政の中枢でもあった。
その宮殿の数ある執務室の中の一室で、補佐官であるメンディール=リザンが山積みの書類と格闘していた。
メンディールは時折しかめっ面をし、もう我慢出来ないとでも言うように薬を口に放り込み噛み砕く。最近、胃が激しく痛むため医者に薬を処方してもらっていたのだ。
メンディールにはそれがストレスのせいだと判っていたし、ストレスの原因も判っていた。大恩ある母国、フォルデベルグ王国への裏切り行為のせいだ。
なぜそうなってしまったのか、理由も判っていた。
一度だけ地位を利用して法に触れる事をしてしまった。それをローデモングの連中は見逃さなかった。いや、連中に陥れられたのだ。
そう判っていても連中に抗う事は出来なかった。今のこの地位を失う訳にはいかなかった。妻も子供も判ってくれる筈だ。
だから言われるままにスパイになった。機密情報も流した。連中の工作員を『ラーミザン基地』に入れるように手も回した。今回の式典の日程だって連中の言い値に合わせて無理矢理ねじ込んだ。ずっと心苦しかったのだ。
しかし、あと数日でこの苦しさから解放される筈なのだ。
そんな事を考えて、心と胃を落ち着かせようとしていると、コンコンとノックの音がし、返事も待たずに扉が開く。
「入らせて貰ってもよいかな?」
そう言いながら返事も待たずに既に部屋の中程までズカズカと入って来たのは、フォルデベルグ王国の大臣、『グライゼ=バッセル』その人であった。他に二人従えていたが、彼等もまた大臣であり第一世代であった。
メンディールの胃袋は一気に不安を主張し始めるが、何事もないように椅子から立ち上がり笑顔で出迎えるしかなかった。
「これはこれは大臣の皆様。わたくしめのような者の執務室に足をお運びになるなど勿体ない事です。使いの者を寄越して下さればこちらから出向きましたものを。一体、どのようなご用件で?」
「まあまあ、そんなに畏まらんでよい」
グライゼはにこやかに笑いながらメンディールの背後に立つ。他の二人もメンディールを囲むように立った。
「お主にな、ちょっと頼みたい事があってな。とでも簡単な事じゃ」
グライゼはそう言いながら背後からメンディールの肩を掴み、老人とは思えないほどの力強さでメンディールを椅子に座らせる。そして覆い被さるように顔を近づけこう言った。
「式典が終了するまで、『こちらは予定通り、問題なし』と定時報告で言って欲しいんじゃ。な、簡単じゃろ?」
メンディールの胃袋が発する警告は最高潮となるが、ここはとぼけるしかない。
「定時報告とは何の事です?」
「もちろんローデモングへの報告の事じゃよ」
メンディールは焦る。が、ここは否定するしかない。
「な、何という事をおっしゃるのです!私がローデモングと内通しているとでもおっしゃるのですか?!証拠でもあるのですか?!屈辱です!証拠をお見せ下さい!証拠を!」
メンディールはいつ終わるともしれない抗議を続けていたが、グライゼがメンディールの耳元で何かを囁くと、その抗議はピタリと止まり、代わりに真っ青な恐怖に満ちた顔で問いかけた。
「・・・い、今、何とおっしゃいました?」「『ミーア=リーアが動いた』と申したのじゃ。お前も継承者ならこの意味が判るよな」
メンディールは聞かされた名を口の中で何度も呟き頭を抱える。
「なぜ・・・、あの者が動くのです?これは一方的な侵略戦争ではないというのに・・・」
「お前は廻りの国の状勢にもっと気を配るべきじゃ。ミーア=リーアは今、フィスリニア王国の次席執政官をしておる。フィリア姫の危機となれば当然動くじゃろ。三国共同の式典を選んだのが失敗じゃったな。そうそう、ミーア=リーアは、『ラーミザン基地』に行くらしいぞ」
メンディールは一瞬驚いたように顔を上げ、またさらにうなだれる。
「全て・・・お見通しですか・・・」
力なく頭を垂れていたメンディールは、やがて肩を震わせ手で顔を覆い泣き始めた。そして涙でぐしゃぐしゃになった情けない顔でグライゼを見上げ、涙でベトベトになった手でグライゼの手を取り懇願した。
「こんなお願いを出来る立場ではない事は重々判っております。しかし、どうか、どうか、お聞き届け下さい。どうかこの私をミーア=リーアに、あの悪魔に引き渡さないで下さい!あの悪魔に首を跳ねられ切り口から血をすすられた者は神の下へ行けず永遠に苦しみ続けるといいます。ですからこの国で処刑して下さい!どうか、あの悪魔にだけは!」
必死に懇願するメンディールをグライゼは冷たい目で見ながら(まったく、とんでもないデマが広がっておるもんじゃ)と腹の中で笑いながら、ベトベトにされた手を気にしながら助け船を出してやる事にした。
「よいか?メンディール、よく聞くのじゃ。その悪魔がこう言ったのじゃ。お前がこちらの言う事を聞き、成功したあかつきにはお前がこれまで犯してきた罪を不問にしてやれと。ローデモングの謀によって被せられた罪も、だそうじゃ」
メンディールは目をまんまるに見開き、信じられないといった様子だった。
「ほ、本当でございますか?」
ようやく口を開いたメンディールにグライゼはニッコリ笑いながら答える。
「ああ、そう言われたのは本当であるし、ミーア=リーアの命令にはファウンディールの者は誰も逆らえんからな。我々を信用してくれてよいぞ。そうそうこんな事も言っておった。そうすれば胃も休まるだろう、とな」
(そんな事まで)と、メンディールは驚くとともに久し振りの安堵感にまた涙した。胃の痛みはいつの間にか消えていた。
グライゼはそんなメンディールの背中にそっと手をあて、ベトベトになった手を拭うのであった。
フィスリニア城での閣議から二日後、フィリア姫、アルベルト、シオンの三人は『シャドウクレス』を伴いフォリターナ宮殿に到着していた。
これに先立ち、フェルミール王国にも極秘裏に三国に降りかかる危機と今回の作戦を伝え共闘を約束していた。
しかしその際、当方が『シャドウクレス』を出す事を伝えると、フェルミール王国は所持する4つの騎士団の中から『ヴァルキュリア騎士団』を出すと宣言し、かつ、打ち合わせのために早く合流したいと申し出てきたのだ。
まさにミリーの予測通りとなった訳だが、ミリーはニヤニヤ笑うだけで理由を教えてくれない。そのため三人には理由がさっぱり判らないままフォリターナ宮殿へ赴く事になったのである。
一行がフォリターナ宮殿に到着して直ぐに動きがあった。ルミエラ女王が今すぐシオンと会見したいと言うのである。これにはシオンは目を丸くして驚くしかなかった。
「なぜ??私と??」
シオンはルミエラ女王とまったく面識がない。傭兵時代に敵対したとかいう記憶もない。使者にも理由は判らないらしいため、どう返事をすればよいのか判らないシオンは、困った顔でフィリア姫の顔をジッと見つめて判断を仰ぐ。
フィリア姫は、何か思い当たる節があるらしく難しい顔をして、使者に自分も同席したいと申し出たのだ。これは使者の想定内の申し出だったらしく是非にと快諾されたのである。
「私は今からグライゼ殿とこれからの予定についての会議になってしまうのですが・・・お二人だけで大丈夫ですか?」
心配そうに尋ねるアルベルトに、シオンは『ついて来てオーラ』をバンバン振りまいていたが、「必要ない!」とフィリア姫に断言され、その思いは断ち切られたのであった。
広くて豪華な応接室に通され、シオンは落ち着かない。呼び出された理由が判らないと言う事もあるが、何より部屋の豪華さが慣れないのだ。
「これが普通。うちが質素なだけよ。いい機会だから慣れなさい」
平然とソファーに座りお茶を飲むフィリア姫に「はぁ・・・」と生返事をし落ち着かないシオン。
やがて、扉が開かれ一人の女性が入ってきた。フィリア姫とシオンは立ち上がって出迎える。
「フィリア!」「姉上!」
フィリア姫とルミエラ女王は手を取り合って互いの健勝を喜ひ合う。屈託なく笑いながら話をする二人を見てシオンは微笑ましく感じつつ、ルミエラ女王に見とれてしまう。容姿、会話から零れる知性に気品、才色兼備とは正にこの女王のためあるのだろう。決してフィリア姫が劣る訳ではない、ないのだが・・・、
「シオン、大丈夫?」
心配そうなフィリア姫の声にシオンは我に返る。気が付けばフィリア姫とルミエラ女王がシオンを見ていたのだ。きっと随分間が抜けた顔でルミエラ女王を見ていた事だろう。シオンは慌てて「大丈夫です!」と言いながら居住まいを正す。しかし、恥ずかしさで心臓はバクバクし顔は真っ赤になっていた。
「あなたが、シオン=サーサさんね。ううん、私にもフィリアのように、シオンって呼ばせて。巷の噂で聞くのと違って優しそうな方ね。嬉しいわ」
優しく笑い、そう言いながら、ルミエラ女王はシオンにズンズン近づいて来る。
気圧されながらもシオンは、
「お初にお目に」
かかります、と言いながら敬礼しようとしたが、間近までせまったルミエラ女王にその手をガシッと掴まれ、さらに顔もキスされると思わんばかりに近づけられ、シオンは固まってしまう。そんなシオンにルミエラ女王は真剣な眼差しで語りかけた。
「お願い、シオン。私の所に来て。フェルミール王国に来て、我が国の4つの騎士団を束ねる筆頭騎士になって頂戴!『シャドウクレス』と共に!」




