1-37 モルーグの事情 8
鼻先に長剣を突き付け、王と王子に対する不敬を問い詰めるミリーに対し、デロンは顔を真っ赤にしながらも一言も反論する事が出来ずにいた。
耐え難い沈黙と緊張が続き、いつデロンの首が跳ねられてもおかしくはないと皆が思ったその時、動いたのはアレキサンドル公であった。
「ミーア=リーア殿。もう許してもらえないだろうか?」
動かないミリーに、アレキサンドル公はさらに言葉を続ける。
「この男は確かに色々と言動に問題は多い。此度の事も、こやつの行動に非がある事は明白だ。しかし死なすには惜しい人材である事も事実なのだ。こやつは私がキツく叱責しておく。こやつの行いには私から謝罪する。だから私に免じて許してもらえないだろうか?」
そう言いながら頭を下げるアレキサンドル公をミリーはジッと見つめていた。
アレキサンドル公は頭を下げながらもミリーの突き刺すような視線を感じていた。いや、そんな生易しいものではなかった。氷の刃をズブズブと身体に差し込まれるような強烈な悪寒が全身を襲った。鳥肌が立っていながら冷や汗が止まらなかった。アレキサンドル公自身、これほどの恐怖を感じた事はなかった。気配だけでこれほどの恐怖をかき立てるミーア=リーアとは一体どういう人物なのだ?!
アレキサンドル公はそんな事を考えながら顔を上げようとするが、本能がそれを拒否し身体を起こす事が出来ない。そればかりか、もはや立っている事も出来なくなり膝が崩れ落ちそうになった時、ようやく厚い霧が一瞬で晴れたかのように恐ろしい気配は消え、身体が自由動くようになったのである。
アレキサンドル公は身体を起こして大きく息をついた時にようやく、息を止めていた事に気付いたのであった。
「判りました。この場はアレキサンドル公を信じてお任せしましょう。しかし!」
ミリーは長剣をマントの内側に仕舞いながら、さらに大きな声で宣言する。
「しかし、この先またウィルファン様に何かあったならば、フィスリニアを、いや、旧フォルデベルグ三国を敵にまわすと覚悟して頂きたい!!」
アレキサンドル公は大きくしっかりと頷く。ミリーはそれを確認すると、今度はゴルジア王の下へと歩んでいく。ゴルジア王は相変わらず食べ物を握り潰したまま小さく震えていた。
ミリーは、玉座の後ろで腰を抜かしている王のおそば付きから王のマントを受け取ると、ゴルジア王の下半身を隠すために膝にそっと掛けた。ゴルジア王はその時初めて自分が盛大に失禁していることに気が付いたのであった。
「す、すまぬ」
「いえ、ご無事でなによりでした」
珍しく礼を言うゴルジア王に、ミリーは優しく微笑み、いたわりの声をかける。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。力を抜いていいんですよ」
ミリーはそう言いながら、ゴルジア王の強張った指を一本一本優しく開いてナプキンで拭っていく。
「兄上!大丈夫ですか?!」「父上!お怪我は?!」
アレキサンドル公、ウィルファン王子、フィリア姫が、ゴルジア王の下に詰めかけた。
「お、おう・・・」
まだ、ショックから立ち直っていないゴルジア王の返事は心もとない。
「余は・・・助かったのか?・・・」
「はい。賊は討ち取りました」
ゴルジア王の呟きに、ミリーが優しく答える。
「余が・・・襲われたのか?・・・」
「はい。陛下と・・・ウィルファン様が襲われたのです」
ミリーの返事は、ウィルファン王子が襲われた事を、陛下にそして周りにいる者にしっかりと刻み付けようとしているようだった。
フィリア姫は反射的にミリーの顔を見た後、ウィルファン王子とアレキサンドル公の顔を見た。二人ともミリーの言葉を疑う素振りは見せていない。
「余と・・・ウィルファンが・・・」
ゴルジア王はミリーの言葉を復唱していたが、ハッとした表情になり、左右の玉座を見た。そこに座っていたはずのガリアン王子とベラ王妃はとっくに逃げ出し戻って来ることはなかった。
「まさか、ガリアンとベラが!・・・いやいや、それはない。あの二人は余を愛しておるからな」
ゴルジア王は、理由にならない理由でガリアン王子とベラ王妃を容疑者から外す。
「とすれば・・・まさか!」
ゴルジア王はアレキサンドル公を睨みつける。
嫌疑をかけられた事を悟ったアレキサンドル公は、慌てて疑いを晴らそうとした。
「あ、兄上!私達は二人きりの兄弟!私の気持ちはご存知でしょう!兄上のお命を狙うなど考えた事もございません!信じてください!兄上!」
アレキサンドル公は必死に無罪を主張するが、ゴルジア王は疑いの眼差しでアレキサンドル公を睨むばかりであった。もはやアレキサンドル公の弁明は叶わぬかと思われた時、アレキサンドル公を救った者がいた。ミリーである。ミリーがゴルジア王にこう話しかけたのである。
「陛下。陛下の鋭きご推察、誠に見事でございます。されど、ここで一つ思い出して頂きたい事がございます。本日、アレキサンドル様はご子息であるシーザー様をお連れです。果たして自分が謀略を行う姿を我が子に見せたいものでしょうか?人が殺される様を我が子に見せたいものでしょうか?陛下にあられましては是非その事もご推察の片隅にお置きになり、さらなるご賢明な判断の助けとしていただきたいと願う所存でございます」
そう言って頭を下げるミリーに、ゴルジア王は少し考えてから口を開く。
「お、お主もそう思うか。余もその事を考えておったのじゃ。信頼のおけるお主もそう言うのじゃから間違いなかろう。我が愛する弟よ。決してお前を疑った訳ではないぞ。お主が潔白である事は最初から判っておったぞ」
ゴルジア王の白々しい言い訳に、四人は(嘘をつくな!)と思ったが、話をややこしくする気はないので口には出さなかった。
アレキサンドル公は「お分かりいただけて何よりです」と言いながら命の恩人であるミリーに軽く頭を下げる。
フィリア姫とウィルファン王子はミリーをよく知るがゆえに同じ事を考えていた。
ゴルジア王はミリーの事を『信頼のおける』と言った。と言うことはミリーは先程のゴルジア王への気配りで一気に信頼を勝ち取っていた事になり、そのお陰でアレキサンドル公は助かったのだ。
いや、そうではない。アレキサンドル公が疑われる事が判っていたからこそ、アレキサンドル公を助けるために、先にゴルジア王の信頼を勝ち取っていた。ミリーに関してはそう考えるのが自然なのである。
フィリア姫とウィルファン王子は黙って顔を見合わせた。
「陛下、先程の騒動でお召し物に飲み物をおこぼしになったでしょう。冷たくはございませんか?」
突然ミリーに尋ねられたゴルジア王は一瞬キョトンとしていたが直ぐに真意を汲み取り、ワザとらしく大きな声で返事をする。
「おお、そうであった。ズボンに飲み物を盛大にこぼしておったわ。部屋へ戻る。余はもうこのまま休むぞ!」
ゴルジア王が席を立つに合わせてミリーがマントを持ち上げ肩に掛けて差し上げる。ゴルジア王は満足げにミリーに大きく頷くと、おそば付きを従えて会場を悠然と去って行ったのだった。
「ミーア=リーア殿。先程は・・・」
改めて礼を言おうとするアレキサンドル公の言葉を片手で遮り、ミリーが提言する。
「そんな事より、この晩餐会をお閉めになった方がよろしいのでは?来賓の方々もどうしてよいか判らず途方に暮れておりますよ。我が主達も先程の騒動で疲れ果てておりこのまま退席させて頂きますので、後をお願い出来ますか?」
アレキサンドル公が「確かに」と同意して、来賓へのお詫びと閉会を宣言する中、フィリア姫達三人は自室へと戻って行ったのであった。
「ミリーさん。お聞きしたい事があるのですが、よろしいですか?」
フィリア姫に用意された部屋に戻った三人は、晩餐会での事件を聞きつけ動揺するマーサに出迎えられた。三人は取り敢えずマーサを落ち着かせ、お茶を淹れてもらいホッと一息ついたところで、ウィルファン王子がミリーに質問を投げかけたのであった。
「どうぞどうぞ。遠慮はいりませんよ」
応接間の長ソファーに身体を任せてお茶を楽しみながらミリーが答える。ミリーの隣では一緒にと誘われたマーサがお茶を飲んでいた。
「ミリーさんは、あの男が行動に移す前から刺客であると判っていましたよね。事前にそうした情報を入手していたのですか?」
フィリア姫もウィルファン王子の疑問に同調する。
「私もずっと疑問に思ってたの。謁見者に紛れた刺客を判っていたり・・・もし、差し支えなければ聞かせてもらえないかしら?」
ミリーは頭を掻きながら微笑む。
「そうですねぇ・・・」
どう説明しようか迷っている、そんな様子でミリーは言葉を続けた。
「例えば・・・水面に水滴を落とすと波紋が生じます。裏返せば、波紋を細かく観察すれば、いつ、どこに、どんな水滴が落ちたか判断できます」
ミリーはお茶で喉を湿らせ話を続ける。
「例えば、何かが動けば空気が動き風が起きます。裏返せば、風を細かく観察すればいつ、どこを、どんなものが通ったか判断できます」
フィリア姫とウィルファン王子は頷きはしたが、何の話かよく判らないでいた。
「人は何かを考えれば、その影響が無意識に筋肉の動き、ひいては行動に現れます。裏返せば、全身の筋肉の動きを細かく観察すればその者が何を考えているのか判ります。服を着ていても無駄です。筋肉の動きは服の動きに表れるからです、数百程度の観察点の観察でそれが可能です」
ミリーは一呼吸入れて、さらに恐ろしい事を言った。
「私は・・・師にそのように訓練された人間なのです」
フィリア姫とウィルファン王子は驚愕の余り息をのむ。聞いてはいけない事を聞いたしまった気がして話題を変えようとしたが、さらに恐ろしい事実を知ることになった。
「でもよく刺客が観察が出来ましたね。もし別の人を観察していたら今頃・・・」
「何を言ってるんですか。全員を同時に観てましたよ」
「えっ?でも、あの場には百人以上・・・」
「はい、その程度しかいませんでしたからね。簡単なものです」
フィリア姫とウィルファン王子は、目を大きく見開きミリーを見つめた。なぜミリーの師はミリーにそんなとんでもない力を持たせたのか皆目見当がつかなかった。ミリーはそんな二人を横目に平然とお茶を楽しんでいた。
ふと、ミリーが思いついたようにウィルファン王子に声をかける。
「そうだ、ウィルファン様。私達は明日帰国しますが、一緒にフィスリニアへいらっしゃいませんか?」
フィリア姫もミリーの意見に同意する。
「そうですよ!ウィル様!もうモルーグを離れてフィスリニアへいらっしゃるべきです!是非そうして下さい!」
フィリア姫の懇願をウィルファン王子は微笑みながらやんわりと拒否する。
「そういう訳にはいきません。色々公務もありますしね。大丈夫です。これからは注意して行動しますよ」
フィリア姫が心配そうに見つめるなか、ミリーがウィルファン王子に忠告する。
「ご自身の身を守る事だけに専念してください。調査はゴルジア陛下に任せるのです。よいですね」
「判りました。ミリーさんの指示に従いましょう」
ウィルファン王子は、ミリーの忠告を受け入れた。
その後、他愛のない会話を楽しんだ後、ウィルファン王子が、「では、また明日」と退室すると、フィリア姫はミリーに真剣な顔で向き直る。
「ミリー、二人きりで話がある。私の寝室へ来て」
「ミリー、あの時命を狙われたのは私だった。どうして嘘をついたの?」
「姫、もし狙われたのが姫だと判ったら、ウィルファン様はどうなさると思いますか?」
フィリア姫の詰問に、ミリーは質問で答える。
「えっ?!そ、それは・・・」
言葉に詰まるフィリア姫に、ミリーは模範解答を披露する。
「ウィルファン様はご自身が狙われたと思っていらっしゃるので、先程ご自身を守る事に専念すると約束して下さったのです。もし、狙われたのが姫だとお知りになったら、刺客を放った犯人を探すのにやっきになられるでしょうね。しかしそうなれば」
ここまで聞けばフィリア姫にも解答は判った。
「あ、そうなれば今度こそ本当にウィルファン様が命を狙われる事になる、と」
「その通り。お分かり頂けて何よりです」
ミリーは嬉しそうに笑った。
「ミリーは黒幕が誰だか判っているの?」
ミリーは暫しの沈黙の後、漸く口を開く。
「情報は刺客の動きだけですから判りません。フィリア姫とウィルファン様の危険は回避されました。ですからこれ以上の追求や干渉は致しません」
「でも・・・」
「最初に約束したはずです。他国に干渉しないと」
ミリーは無表情に言い放つ。フィリア姫は知っている。ミリーはこうなるともう・・・
フィリア姫はこう確認するしかなかった。
「とにかく、ウィルファン様は大丈夫なのね?」
「はい、ウィルファン様に何かがあれは戦争になると脅しましたから大丈夫でしょう」
フィリア姫は判った。やはりミリーには黒幕が判っていてそいつはあの場にいた、しかもモルーグ王国の者のだと。しかし、ミリーが私にも話さないと判断したのだ。今はミリーの判断を信じるしかなかった。
ミリーはフィリア姫に嘘をついた。挙動に問題があったのは給仕だけではなかった。
まずゴルジア王やフィリア姫の周囲にいた衛兵全て。彼らはゴルジア王とフィリア姫、特にフィリア姫の様子を異常なまでに意識していた。そして無意識にフィリア姫から離れゴルジア王の周りに集まるような動きになってしまったのである。彼らは刺客からゴルジア王を守る振りをしてフィリア姫の警備を手薄にし、フィリア姫を殺させる予定だった、その気持ちが無意識に事前に行動に表れたのだ。
そして、デロンとその部下。彼らの動きと唇を読んだ結果、首謀者はデロンと判断出来た。手法は現れた給仕の殺気で確定した。そして、その後の展開と目的は、騒動前後のデロンの発言がキーとなって確定する。
最終目的は、アレキサンドル公を王位につける事。そのために邪魔なウィルファン王子を追い落とそうと考えたのである。
国民の人気はアレキサンドル公とウィルファン王子が二分している。例えウィルファン王子がフィスリニア王国の王位に就いた後でも、王位を簒奪したアレキサンドル公許すまじとフィスリニア王国を従えて攻めてくる可能性がある。
かといってウィルファン王子を殺せば、国内の信奉者とフィスリニア王国を敵にまわす事になる。
そこで考えたのは、フィリア姫を殺し、その罪をウィルファン王子自身またはその側近に押し付ける方法だ。動機はウィルファン王子自身がモルーグの王となるためにフィリア姫との婚約を反故にしようとした、とするのだ。そしてそれを証言する予定だったのが、生きて捉えられるはずの刺客だったのである。
だからミリーは証言者となる刺客を殺し、狙われたのはウィルファン王子だと公言して、敵の狙いの目を摘んだのである。
ミリーはゴルジア王に首謀者を告げても良かったがそうはしなかった。理由は二つ。
一つはアレキサンドル公を失いたくなかった。もし、事が公になればアレキサンドル公も責任を取らされ死罪となる可能性がある。それは避けたい。アレキサンドル公の方がモルーグ王国に必要な人材なのだ。
そしてもう一つの方がミリーには重要な理由だ。これは他人事なのである。フィリア姫とウィルファン王子の安全が確保された以上、これ以上の干渉に興味はなかったのである。
「小娘がぁぁぁ!!!」
デロンは次々とグラスを床に叩きつけて割っていく。
「計画を全て台無しにしおってぇぇ!!何も判っとらん小娘のくせにぃぃぃ!!」
小娘に全て看破されていたとは気付いていないデロンは、祝杯用に用意していた高級酒まで床に叩きつける。
「デロン様、計画は如何致しましょうか?」
集まった部下の間の抜けた質問に、デロンは怒りを隠せない。
「馬鹿者!一から練り直しに決まっているじゃろうが!!」
「しかもあのバカ娘が『ウィルファン様狙われた』などといい加減な事をほざきおったせいで、アレキサンドル様や我々が疑われておるのだ!アレキサンドル様からも『無関係だろうな』と念押しされたわい!暫くは息を潜めておくしかない!全くあの忌々しい小娘のせいだ」
全てミリーの反撃だと知らない馬鹿なデロンは、自分の邸宅で夜更けまで部下を相手にミリーをなじり続けたのであった。
「聞いたか?フランク!」
「晩餐会での話ですね」
晩餐会の騒動はギルバートとフランクの耳にも入っていた。ミリーの武勇伝もである。
「ミリーさんの懸念が当たりましたね。ミリーさんに頼まれている事、ウィルさんに言いますか?」
フランクの提案にギルバートは少し考えて首を振る。
「いや、止めておこう。ミリーは『絶対に教えるな』と念を押していた。きっと理由があるんだ。だからミリーから許可が出るまでは約束通り秘密にしておこう。それよりもう一つの頼まれ事の方はどうだ?」
「18のチェック項目ですね。それぞれ変化があった時に変化の内容を逐一報告して欲しいというあれ。ちゃんとやってますよ。今のところ変化なしですけどね。でも何なんでしょうね。他愛のない事ばかりで、
しかも一つ一つの繋がりがよく判らないんですけど」
首を傾げるフランクの肩をポンポンと叩いてギルバートは笑う。
「ミリーの依頼に余り頭を使わん方がいいぞ。あいつの頭は特別っぽいからな。考えるだけ無駄だ」
フランクは「そうですねぇ」と言ってため息をつくばかりであった。
翌朝、フィリア姫達一行は無事モルーグ王国を後にする。
見送りに来たウィルファン王子に、フィリア姫は涙目で「気を付けて下さいね。無茶しないで下さいね」を連呼し、ミリーに引っ剥がされるまで離れようとしなかった。
ようやく乗り込んだ飛行機の窓から見えたモルーグ王国の首都は、ねとつくような穢れた靄に包まれていた。フィリア姫はその様子を目を背ける事なくしっかりと見続けるのであった。




