1-17 想い人 1
「貴君のご来訪を心より歓迎致します。案内人をお付けしますので、学院と我がフィスリニア王国を心行くまでご見聞下さい」
ここはフィスリニア城の『謁見の間』。学院や王国に訪れた者の挨拶や陳情をフィリア姫がちょうど処理しているところだ。
フィリア姫の優美で洗練された立ち居振る舞いと教養溢れる言葉使いは国の内外で評判を呼び、完璧な淑女として姉のルミエラ女王と並び称されるようになっていた。もっともそれは貴族社会の風習を知り尽くすマーサの特訓の成果であることは言うまでもない。
淑女の仮面を被ったフィリア姫が座る玉座の向かって右側にはミリーが、左側にはレオンが立っている。レオンは自分はもうお役御免でしょう、と訴えたが、玉座に威厳を持たせる飾りが欲しいというミリーに却下された。因みにアルベルトは執務室にこもっているか、国中を飛び回っているかのどちらかである。内政が落ち着くまでの辛抱と割り切っているようだ。
次の謁見者の入室を待つ間、フィリア姫は溜息を一つついてミリーに不満をぶつける。
「ねぇ、後どんだけいるの?もう疲れた」
「そうですねぇ、今日は結構いるようですから、午前だけでは終わりませんね。午後もあらかた潰れそうですね」
にこやかにミリーが宣告した最悪の情報にフィリア姫は一気にげんなりした。
「え~っ、じゃあ今日はずっとこの窮屈な格好してなきゃいけないの?冗談じゃないわ」
フィリア姫は、王族らしく美しいドレスを纏いティアラを付けているが、窮屈なのがお気に召さないようである。フィリア姫は村娘のような楽な服が好みなのだが、マーサから「服装も義務の一つです!」と一喝されては従うしかない。
「ミリーはいいわよね!楽な格好で!」
フィリア姫はとうとう八つ当たりを始めた。
「これは、シュタインロードの正装です」
と反論したミリーは、首からふくらはぎの下まである黄土色のマントで覆われていた。エンジ色の幅広のラインで縁取られているのが特徴的だ。
「もう、後は任せるから適当に処理しておいて頂戴!」
席を立とうとするフィリア姫にミリーが澄まし顔で釘を差す。
「ほう、また昼食はいらないと」
フィリア姫はその言葉を聞き、苦虫を噛み潰したような顔で「うっ」と呻き、また玉座に体を埋める。以前に謁見をサボった事があり、その時はマーサの怒りを買って昼食抜きにされたのである。相手が王族であろうとも礼を失する者に対しては容赦をしないマーサであった。
マーサは建国祭の流れから女官長に収まり城の雑務一切を任され、また、フィリア姫の身の回りの世話も任されていた。旧ダリスタン帝国での実績を考えれば当然の人選である。
しかし、フィリア姫には少々気に食わない点があった。とにかく口うるさいのである。しきたりや礼節を重んじるマーサの言っていることには間違いはない。確かに言うとおりにしてフィリア姫の評判も上がっている。しかし、窮屈な事が嫌いで必要な事以外はサボりたがろうとするフィリア姫はしょっちゅうお小言を貰っているのである。
フィリア姫が、この不満を周囲の人間に訴えても、「やはり最高の人選ですな」と言われてしまうのだった。
「だいたい、なんでくだらない自慢話やおべんちゃらを一人一人いちいち聞かないといけないわけ?もう全員そこに並べて一斉に喋らせて終わりにすればいいのよ。ミリーならそれでもその内の二人や三人の話は理解出来るんじゃない?」
「以前に似たような事を38人同時でやりましたがその時は全員大丈夫でした。それ以上は試した事がないので何人まで大丈夫か判りません」
いけしゃあしゃあと予想の斜め上の回答をするミリーに、フィリア姫は返す言葉が見つからない。しかし、その直後に却下の判定がミリーから下される。
「よいですか?姫。一人一人謁見を行うのは一人でも多くの味方を作るためです。1対1で会話する事で親近感を植え付けるのです。とにかく、自分の主張を姫が真剣に聞いて下さっていると印象付けるのが大事です」
落胆するフィリア姫を見て、ミリーは少し助け船を出す事にした。
「あくまでも、聞いているように見える事が大事なのです。内容の吟味は私がやりますから、姫は聞いているふりをして他の事を考えていてもよいのです。例えば・・・そうですねぇ・・・来月いらっしゃる事になったあの御方の事とか・・・」
ミリーが意地悪げに微笑みながらそう言うと、フィリア姫の顔はみるみる真っ赤になっていく。フィリア姫は慌てて反論しようとするが、
「お・・・え・・・あ・・・ほぇ・・・いや・・・ひょ・・・」
とテンパリまくって会話にならない。
ミリーがニンマリ笑って、
「楽しみですねぇ。私もお会いするのを楽しみにしているんですよ。とても評判の良い御方ですから」
と言うと、フィリア姫は真っ赤な顔のままうつむき加減にしおらしく、コクリと頷いた。
ウィルファン=ファース=モレード。19歳。
隣接する友好国、モルーグ王国の第二王子である。
3年前に、ウィルファン王子を迎え入れるという条件でフィリア姫との婚約が成立していた。
モルーグ王国は、フィスリニア王国及びレンザリア公国と接している東部から南東部にかけた国土の7%程が砂漠化している事を除けば、肥沃で豊かな大地を抱いた恵まれた国である。
しかし、そのようなモルーグ王国も幾つかの問題点があった。その一つが国を治める王であった。
モルーグ王国のゴルジア=ファース=モレード国王は、政に興味も才覚もなく享楽に耽り、何かといえば国内外の諸侯を招いては派手な饗宴を開きモルーグ王国の豊さを鼓舞して自己満足に酔いしれるだけの存在であった。
そんなモルーグ王国を支えていたのは、王弟のアレキサンドル=ファース=モレード公である。アレキサンドル公は兄に代わり、国内の様々な政を処理し兄が浪費により切迫させた財政を建て直し、諸外国との様々な実務者レベルの交渉を成功させてきたのだ。
この状況は公然の事実として国民全体が知るに至っており、『愚兄王』と『賢弟』として広く国民に密かに囁かれ、「アレキサンドル公を王として戴くべき」と考える者も多い。
アレキサンドル公はこの事に関して
「誰にでも向き不向きという物がある。俺は兄上が苦手な事を代わりにやっているだけだ。王様なんて大変なことは兄上に任せるさ。俺には今の楽な形が一番だ」
と、何の不満も欲も見せずにいるためとりあえず政変までには至っていない。
しかし、問題は次の代にある。王の兄弟関係の図式が遺伝のように王の息子達にも当てはまっているのだ。
第一王子であるガリアン=ファース=モレードは、父王の性格をそのまま受け継いだと言ってもよい。面白くない公務は何かと理由を付けてサボりたがり、華美と享楽を好み、我が儘放題で周囲を振り回してばかりいた。
それに引き替え第二王子であるウィルファン王子は質素倹約を好み聡明で思慮深く周囲への気配りも充分にできていて人気が遥かに高い。ガリアン王子がサボった公務の代役も快く引き受け人目に触れる事も多かったせいで、さらに人気に拍車がかかっていた。
これは遺伝というよりも、王と王妃が世継ぎであるガリアン王子ばかりを可愛がり、王と王妃に疎外されていたウィルファン王子はどちらかと言えばアレキサンドル公に育てられていた事が原因と言えるかもしれない。
いずれにしても、「次代の王にはウィルファン王子を」と望む声が上がってき始めた事は事実であり、当然、王の耳にも入ってくる。これが面白くない王は、この世論を封ずるためにウィルファン王子をこの国から追い出しにかかった。これがフィリア姫とウィルファン王子の婚約にまつわるモルーグ王国側の事情であった。フィリア姫の父である旧フォルデベルグ王国の故ガーランド王にとっては当時まだ極秘だったフィスリニア王国の国王に相応しい優秀な人物が手に入るということで喜んで相手の思惑に便乗したのである。
当時9歳だったフィリア姫ではあったが、故ガーランド王からはこれが政略的な結婚であることは言い聞かされていたし、これが自分の役目と割り切ってもいた。割り切っていたつもりだった。初めて会うまでは・・・
初めてウィルファン王子に会いその人となりを知ってしまったフィリア姫が、本当に心の底からウィルファン王子に恋してしまうのに時間はかからなかった。
最初は少女にありがちなただの憧れだったかもしれないし今もそうかもしれない、とフィリア姫は思っているが、年に数度ではあるが会う度に募る想いは本物だと確信していた。
「ほれ、二人とも、次の謁見者が入って来ましたぞ。姫ももう少し姿勢を正して締まった表情をしてくだされ」
レオンの声に二人は姿勢を正した。そのいでたちから旅の商人と思われる次の謁見者が既に案内されて近づいて来ていた。
「まったくです姫。にやけている暇はありませんよ。こんな事があるから謁見を一組ずつにしているのです。これは衛兵の教育をやり直さないといけませんね」
ミリーの口調と表情が徐々に険しさを増す。
「衛兵!ソイツのボディーチェックをやり直せ!」
ミリーが怒鳴ると同時に、行商人風の男はチッと舌打ちをし、フィリア姫に一気に駆け寄りながら、二本また二本と立て続けに投げナイフを投げつけてくる。その素早さに誰も動けないかと思われたが、既にナイフとフィリア姫の間にミリーが立ちはだかっていた。
ミリーのマントに投げナイフが突き刺さったと思った瞬間には既に暗殺者は、フィリア姫の正面に移動したミリーの左側を抜けフィリア姫の左横に移動し、手に持った短刀振りかざしてフィリア姫に飛びかかっていた。この瞬間、ミリーもフィリア姫も誰もかもがまだ正面を向いたままで誰も暗殺者の動きを捉えていなかった。
暗殺者は成功を確信したが、その手はフィリア姫にとどかなかった。何かが胸に当たりその動きを封じたのだ。それは長剣だった。長剣が暗殺者の心臓を貫いていたのである。長剣を握っていたのはミリーだった。ミリーが左手に持った長剣をマントの下から斜め後方に水平に構えていたのだ。そしてミリーの反撃は、ミリーが剣を暗殺者に突き立てたというよりも、ミリーがかざした剣に暗殺者が自ら突き刺さりにいったという感じだったのである。
皆が暗殺者に目を向けた時には、暗殺者は絶命して転がり、ミリーのマントが返り血で汚れた後だった。
「午前の謁見はこれで中止だ!午後には再開出来るように片付けろ!謁見希望者は再度チェックしろ!今度は見逃すな!」
謁見の間にいた全ての者が思わぬ展開に呆然としていたが、ミリーの怒鳴り声で我を取り戻し一斉に動き出した。フィリア姫も我を取り戻し、起こった事を思い出して慌ててミリーに声をかける。
「ミリー!大丈夫?!」
「えぇ、大丈夫ですよ。このマントは血の汚れは水洗いで簡単に落ちるんですよ。便利でしょ」
と、とぼけた回答を繰り出すミリーに対して、「そうじゃなくて」と言いかけて、フィリア姫がミリーの足下を見ると、投げナイフが全て転がっていたのだった、ミリーのマントに全て弾かれていたのだ。
フィリア姫は悟った。ミリーの正装はこうした事態に備えたものでもあることを。
「いつまで続くのかしら、こんな事」
落ち込みながらぼやくフィリア姫に、ミリーは優しく答える。
「国政が整えばすぐなくなりますよ。そのためにアル様は急いでいるのです。それに立て続けの失敗で簡単にいかない事が判ったでしょうから、もうないかもしれませんね。あと、いい機会ですから謁見者ももっと条件を絞り込んで減らす事にしましょう」
ニッコリ微笑むミリーに、フィリア姫は安心した顔で頷く。その顔を見たミリーは今度はいつもの明るい笑顔でこう言った。
「良かったですね。とりあえず午前はこれで終わりですよ」




