1-152 国境戦争 10
「メイシアさん、遅いなぁ・・・そろそろ出発しないと・・・」
「何かあったのかしら・・・」
車で待機している2人が心配そうに呟く。
3つ目の森に入ったメイシアがまだ森から出て来ないのだ。森に大きさからしてとっくに出て来ていい時間なのにである。
さらに暫く我慢して待っていた2人であったが、戻らないメイシアにさすがに何かあったのだと確信する。そして探しに行こうとした矢先だった。メイシアが森の端から姿を現したのである。
「メイシアさ~ん!もう時間が!・・・?!」
大声で声を掛けた従軍看護師の青年だったが、メイシアの非常事態に気づき、声を詰まらせる。
「メイシアさんが『ハシリバチ』の群れに襲われている!」
目を護りながらゆっくりと歩くメイシアの周りを『ハシリバチ』の群れが飛び回っているのを、青年は確認した。
「そんな!メイシアさん!今助けに!」
留学生の少女が叫ぶとメイシアはゆっくりと右手の掌を広げお供の2人の方に突き出す。「来るな!」と合図を送っているのである。
「早く助けに行こう!」
「ダメだ。ここで待つんだ」
メイシアの意図を理解した青年は首を振り少女の意見を否定する。
「どうして!メイシアさんを見殺しにするつもり?!もうあんなに弱々しくしか歩けないのに!精神だってもうやられてるかもしれないのよ!」
動揺し、くってかかる少女の肩を青年はガシッと掴み「落ち着け!」と一喝する。大人しくなった少女に青年は優しく説明を始めた。
「いいかい。観る限りメイシアさんは弱ってもいないし頭もしっかりしていらっしゃる。『ハシリバチ』は慌てたり急いで逃げたりすると何処までも追いかけて来る習性を持っているんだ。ああやってゆっくり巣から離れるのが『ハシリバチ』から解放される一番の近道なのさ」
「じゃあ、どうしてメイシアさんはこっちに歩いて来ないの?」
「俺達のためだよ。もし『ハシリバチ』がなかなか離れなかったら、俺達が被害に遭うかもしれないだろ?」
「じゃあ、待つしかないのね」
つらそうな顔の少女に青年は頷くのだった。
実際にはそんなに長い時間ではなかったろうが、待つ身のお供の2人には耐え難い程の長い時間に感じられた。しかしそんな時間にも必ず終わりはやってくる。
やがて、メイシアは目を庇っていた腕を下ろし、車へ向かって歩き出した。お供の青年は、それを『ハシリバチ』がいなくなった合図だと判断し、急いで車をメイシアの下へ走らせた。
「大丈夫ですか?!メイ・・・」
2人はメイシアに声をかけようとして絶句する。
露出している顔や手は無数の紫色の斑点に覆われていた。『ハシリバチ』に刺された痕だ。服の上からも刺されているに違いなく、一体どれだけ刺されているか判らない有り様だった。
車の後部座席に震えながら座り込むメイシアに、留学生の少女が注射器を手に叫ぶ。
「頑張って下さい!今すぐ薬を!」
「駄目!!」
メイシアは叫びそれを拒む。
戸惑う少女達にメイシアはさらに叫ぶ。
「今はまだ眠る訳にいかないの!大急ぎで戻って!!」
「そんな!もう症状が出始めているんじゃないですか?このままじゃメイシアさんの心が壊れてしまいます!」
「まだやらなきゃいけない事があるの!なんとか持ちこたえてみせる!」
彼等が言う通り、メイシアは既に精神に異常をきたし始めていた。再現無い恐怖が滝のように襲いかかってくる。お供の2人がとても恐ろしいものに思え、今すぐにでも大声を上げてここから逃げ出したかった。
しかしメイシアはありったけの理性を総動員し、恐怖を克服しようとする。
こんな恐怖などなんだ!こんなもの紛い物に過ぎないじゃないか!私は本物の恐怖を知っている。あの人がリナイアさんの暗号を見破った時に見せた悪魔の笑顔に勝る恐怖があるものか!
メイシアはミリーの恐ろしい表情を思い浮かべる事で、『ハシリバチ』の毒が作り出す恐怖を克服しようとしていたのであった。
必死に毒を克服しようとするメイシアの姿に、青年もハンドルを握る手に力がこもる。
「スピードを上げます!振り落とされないようにしっかり捕まってて下さい!」
そう言うと青年はアクセルを踏み込み、なけなしの運転技術を駆使して平原を疾走するのであった。
「・・・遅いな・・・何かあったのではないか?」
腕を組み、ボソッと呟くアレキサンドル王。
メイシアが座る筈の空席を見つめながらアレキサンドル王が心配そうに尋ねる。
「申し訳ありません。普段は約束を違える事などないのですが・・・」
フランクが申し訳なさそうに頭を下げる。
午後に始まるはずの会議であったが、まだ始まっていない。最後の空席が埋まるのを待っていたのだ。
「まったく、時間にルーズな人間は困りますな。どうせ居ても居なくても同じなのですから、さっさと会議を始めて早く終わらせたた方が良いのではありませんかな?守る以外に策はないのでしょう?」
総指揮官が苛立ちながらアレキサンドル王に進言する。アレキサンドル王は総指揮官の無礼な物言いを諫めようとしたが、非はメイシアにあるため「そうだな」と一言だけ返して会議を始めるのだった。
会議は総指揮官の言葉通り、どう守るかに終始し会議も終盤に差し掛かろうとしたその時だった。
会議室となっているテントの入口が俄に騒がしくなり、会議の面々が注目すると突然、室内に乱入する者があった。両側を2人のお供に支えられたメイシアである。
「どうした?!何があった?!」
「『ハシリバチ』に襲われました」
アレキサンドル王の言葉にお供の2人が答える。どれだけ危険な状態かは無数の刺し痕で一目瞭然であり会議は騒然となる
「薬は投与したのか?!」
「それがまだ・・・」
フランクとお供のやり取りの間に、メイシアはテーブルに近づき大きな音を立てて両手で叩き叫ぶ。
「陛下!作戦を進言致します!!」
一瞬気圧されるアレキサンドル王であったが、気を取り直してメイシアに声をかける。
「それより早く治療を!このままではお主の命が・・・」
「私のチンケな命よりモルーグの方が大切でしょう!!!」
メイシアの迫力にアレキサンドル王は観念したとばかりに口を開く。
「判った。どのような作戦だ」
メイシアはテーブルに広げられていた地図に目を落とす。そして3つの森の自陣寄りの端を繋ぐように一本の線を引く。
「次に奴らが攻めてきた時に、ここまで戦線を下げます。決して戦略的後退と思わせてはいけません」
「むざむざ敵に森を渡すのか!あり得ん!」
驚き非難する指揮官達を無視してメイシアは説明を続ける。
「そして、敵が森の周辺まで来た時、敵兵が森に陣取るように足止めするのです。そして、頃合いを見計らって・・・」
メイシアは『蜂塚』の位置を詳細に記した地図をテーブルに広げる。
「ここに記した『蜂塚』を全てスナイパーライフルで攻撃するのです」
「そうか!『ハシリバチ』に敵兵を襲わせるのか!」
メイシアの説明にアレキサンドル王は感心したように納得する。
「しかしそれでは敵が後退してそれまでだ。装甲車だってあるのだから簡単に逃げられるぞ!」
文句をいう指揮官達に対し、口を挟んだのはメイシアを抱きかかえ来た従軍看護師の青年だった。
「いえ、普通に逃げたのでは『ハシリバチ』は何処までも追いかけて行きます。装甲車で走って逃げても『ハシリバチ』の機動力には敵いませんよ。・・・そうか!敵は『ハシリバチ』の事を何も知らないから、そんな状態で本陣へ逃げ込もうものなら、敵の本陣は・・・」
「同士討ちで壊滅です」
青年の言葉を継いだのはメイシアだった。
毒のせいで苦しそうに喘ぎながらも口許で笑うその表情は、皆をゾッとさせるものがあった。
メイシアの迫力に押されていた総指揮官がここで慌てて反論する。
「そんなものは机上の空論!上手くいくわけがない!」
「机上の空論すら出せない者に反対する資格などない!」
アレキサンドル王の叱責に総指揮官は黙り込む。
「余はこの作戦が気に入ったぞ!しかしメイシアはもう限界だ!誰か代わりに指揮を執りたい者はおらぬか!」
「私がやります!」
アレキサンドル王の言葉にフランクがすぐに名乗りを上げる。その様子にアレキサンドル王は満足そうに黙って頷いた。
そのやり取りを見ていたメイシアであったが、一気に気がゆるんだのだろう。メイシアは突然床に倒れ込み白目をむき口から泡を吹きながら全身を痙攣させていた。もう意識はなかった
「いけない!」
留学生の少女が慌てて注射器を取り出し薬を投与するが症状が収まる気配はない。
「急いで野戦病院へ運ぶんだ!誰か!担架を!」
従軍看護師の青年が叫ぶ。
その様子を見ていたフランクだったがアレキサンドル王に向き直り、
「では直ちに作戦にかかります」
と告げる。アレキサンドル王は心配そうにメイシアとフランクを見比べていたが、フランクに怒鳴りつけたのは留学生の少女だった。
「フランクさんはメイシアさんのご主人じゃないですか!死ぬかもしれないんですよ!どうしてそばに居てあげないんですか!」
泣きながら訴える少女にフランクはつらそうに答える。
「僕だってメイシアのそばにいてあげたい。しかしメイシアはそれを望まない。メイシアの望みは作戦の成功だ。だから僕は行く。メイシアの事は君達に任せたい」
留学生の少女は納得出来なくとも頷くしかなかった。そして一言だけ告げるのだった。
「必ず成功させてください!メイシアさんの為に!」




