1-146 国境戦争 4
メイシアは看護師の右手首と胸ぐらを掴みニタニタ嗤いながら、嫌がる看護師を野戦病院のテントから引きずり出そうとする。それはまるで悪魔が罪人を地獄に引きずり込もうとしているかのようだった。
「メイシー!!」
メイシアは突然の呼び掛けにハッと我に返り声の主を目で追った。声の主はパーシーだった。
(パーシー、どうしてそんな目で私を見るの?)
親友の恐怖に満ちた視線の意味がメイシアには解らなかった。
「あなた・・・本当にメイシーなの?」
親友の思い詰めた言葉はメイシアを愕然とさせ、自分の手を見つめさせ、何をしようとしていたかを少しずつ思い出させていった。
メイシアは動揺を悟られないよう看護師を軽く突き飛ばすように離すと踵を返しパーシーに向き直る。
「パーシー。医療部の全員を一カ所に集めてもらえる?今後の行動方針について大切な話があるから」
「行動方針・・・って?」
パーシーはメイシアに猜疑的な目を向ける。親友にそんな目で見られた事はこれまで一度たりともなかっただけにとても悲しかった。しかしそんな感傷に浸る余裕はどこにもない。
「1人でも多くの負傷者を助ける。何の事はない、ただそれだけの当たり前の事よ。でもそのためには協力しあい一丸となる事が必要なの」
メイシアは親友の顔色を窺いながら言葉を続ける。
「そして、もう二度と私のような被害者を出したくないの。みんなで笑顔で故郷に戻るためにも、みんなの協力が必要なの」
パーシーは少し考えて口を開く。
「本当に信じていいんだよね」
メイシアをまだ信用しきれないふうの親友に、笑顔を振りまきながらメイシアは優しく語りかける。
「うん。さっきは嘗められると困るからああいう態度をとっただけ。たださっきはちょっとやりすぎて暴走気味になっちゃった。知ってるでしょ、私がすぐ暴走するの。でもパーシーがいれば安心。昔みたいに暴走を止めてくれるでしょ?」
パーシーはしばらくメイシアの顔を見ていたが、やがてフッと笑うとメイシアの肩をポンと叩く。
「判ったわ。信用する。そっちの会議用テントで待ってて。みんなを集めて来るから」
野戦病院のテントへ向かうパーシーを見送って、メイシアは支援部隊を引き連れて一足先に会議用テントへと向かった。
メイシアは留学生達と笑顔で雑談しながら、頭の中では別の事を考えていた。
私は親友のパーシーに嘘を吐いた。
あの看護師の胸ぐらを掴んだ時、嘗められないようになんて考えてもいなかった。
ただただ、憎かった。何故私だけがあんな目に遭わなければいけなかったのだ。何故あの時の事で私が責められなければならなかったのだ。
あの時と同じような前線のキャンプの光景に、メイシアにはあの時の記憶と感情が湧き上がってきていた。
あの時は『諦め』という感情が自分の全てを支配していた。『諦め』以外に何もないと思っていた。
そして今、『諦め』という蓋が外れてその下に隠れていた感情が露わになった。それは・・・
膨大な『怒り』と『憎しみ』だった。
メイシアは愕然とした。
私はこんな汚い感情に支配されていたのだ。
そして『怒り』と『憎しみ』が『復讐心』を生み出していることに気が付いた。
フランク達が言った事は正しかったのだ。
私は指揮官達に復讐しようとしていたのだ。
自分を苛めた看護師に復讐しようとしていたのだ。
自分を見捨てて貶めようとした者達全てに復讐しようとしていたのだ。
こんな私に、支援部隊を率いる資格があるのだろうか・・・
メイシアは思わず立ち止まって、会議用テントに入っていく留学生達を見渡す。
彼等の思いは一つだ。『母国の為に』ただそれだけだ。しかし、単純な願いだけに強く純粋で清らかだ。
そんな高潔な心を私は汚そうとしているのだ。私の醜い心で。
メイシアはサモンを見つめた。サモンもメイシアを心配そうに見つめていた。
今からでも遅くはない。指揮官の地位を辞退するのだ。何の称号も持たない私には過ぎた役目だったのだ。
メイシアがサモンに近づき口を開こうとしたその時だった。メイシアの脳裏に突然浮かび上がるものがあった。
それは、嘲笑うミリーの姿だった。
続けて、自分を信じて待ってくれている多くの人達の姿が浮かんでくる。
(駄目!ここで投げ出す訳にはいかない!)
メイシアは開きかけた口を強く結ぶ。
絶対に忘れてはいけない事があった。
私はあの人に勝たなければならないのだ!
私が勝つことを信じて今を耐えている仲間達のためにも絶対に途中で投げ出す事などできない!
私に資格があろうがなかろうが関係ない事だ。
私に汚い感情があろうがなかろうが関係ない事だ。
仲間達のためにもあの人に勝つ!そのためにはどんなものでも利用する。いや、全てを利用しなければ勝てない!私の汚い感情だって利用してやる!そして必ず勝つ!
「メイシア、どうしたのだ?何か相談事でもあるのか?」
「いえ、何でもありません。さぁ、行きましょう!」
心配そうに訊ねるサモンにメイシアは軽快に答えてテントに入っていく。
サモンは少々驚いていた。最初に目があって近づいて来たときのメイシアは今にも泣きそうな顔をしていた。正直、心が折れたのだと思った。
しかし、今、目の前でみるみる表情が変わっていった。迷いのない、決意に満ち溢れた表情になったのだ。サモンにはその理由が全く判らなかったが、取り敢えずホッと安堵の息を洩らしたのだった。
会議用テントには、フィスリニア王国からの支援医療スタッフと、モルーグ王国軍の医療部のスタッフが一堂に会していた。
メイシアは黙って全員を見渡す。案の定、モルーグ王国のスタッフは恐怖と猜疑心に満ちた目でこちらを見ている。
メイシアがゆっくりと口を開く。
「さて、まず始めにモルーグ王国の方々に言っておく事があります。あなた方はこれより、私の指揮下に入ります。これはあなた方の指揮官であるポーター医師も承諾済みです。そして治療に当たっては全てフィスリニアの支援部隊の指示に従って貰います」
モルーグ王国の陣営からはどよめきが起こり、メイシアを見る目がますます恐怖の色を濃くしていく。メイシアは構わず話を続ける。
「最大の理由はフィスリニアの医療技術がモルーグの20年先をいっているからです。モルーグの医療で助けられないものもフィスリニアの医療技術であれば簡単に助けられる事があるのです。ウィルファン様がそのよい例でした」
モルーグ王国の陣営から今度はどよめきが起こる。ウィルファン王子が政変の折に銃で撃たれたという話は広く伝わっており、医療関係者の間ではよく助かったものだと話題になっていたのだ。
「ならば、我々はもう用済みという事ですか?」
1人の看護師が恐る恐る質問する。勇気を振り絞って声を出したのは明らかだ。その事を理解しているメイシアは微笑みながら優しく答える。
「そんな事はありません。とても大切な仲間です。ここにいる支援部隊のスタッフは見ての通りモルーグからの留学生が殆どです。彼等は最新の技術は持っていますが実務経験が殆どありません。従って豊富な実務経験が強みのあなた方が必要なのです」
双方のスタッフがお互い顔を見合わせる。お互いの力量を測っているようだった。
「双方から2人ずつの4人1組のチームをここの全員で作ってください。作業は常にそのチームで動いて貰います。基本的に何を行うかはこちらのスタッフが決定します。そちらのスタッフはフォローに回ってください」
モルーグ王国のスタッフが明らかに不満そうな顔をする。しかしそれはメイシアの想定内だ。
「青二才に命令されるなどプライドが許さないでしょう。しかし、最初の2日間は我慢して指示に従ってください。その上でまだ文句があれば私に申し出てください。ただし、その時は私を納得させる事が出来なければ・・・それなりの処分を覚悟していただきます」
厳しい言葉に誰かがゴクリと喉を鳴らす音が聞こえる。メイシアはムチの後にアメを投下するのを忘れない。
「考えてみてください。これはあなた方にとっても先端技術を学ぶチャンスなのですよ。絶対に悪い話ではない筈です」
なるほど、確かに、という言葉があちこちから上がる。
「では、早速作業に取り掛かりましょう!パーシー、それからケイトさん、モルーグ側の取りまとめをお願いします!」
メイシアの指示に、パーシーは「ほいきた!任せて!」とご機嫌で返事をする。
その一方、ケイトという看護師は戸惑いの表情を見せていた。何故なら、彼女は先ほどメイシアに胸ぐらを掴まれた人間だったからだ。
「どうして、私に?」
戸惑いながら尋ねるケイトにメイシアは明るく答える。
「だって私が知る限り、この中ではパーシーとケイトさんが一番リーダーとしての能力が高いですから。そんな理由じゃ駄目ですか?2人にはいずれ両方のスタッフの面倒を見てもらうつもりなんですけど」
「ううん、やらせてもらうわ」
少し考えて、そう答えるケイトの表情は穏やかだった。
その後、騒々しく始まったチーム分けの様子を眺めながらメイシアは思う。
「私はまだスタート地点に立ったばかり。勝つためにはクリアすべきハードルいくつもある。外にも内にも」
メイシアは既に次になすべき事を考え始めていた。




