1-140 血塗れの看護師 8
メイシアは1人で歩くのはまだ覚束ないと言った様子で、フランクとベテラン看護師に支えられて、ようやくシャワー室に辿り着く。
さすがに女性用のシャワー室に入るのはマズいだろうと、フランクはメイシアに手を離すように告げた。
するとメイシアは、ショックを受けたような表情でフランクに訴えかける。
「い、いや・・・置き去りにしないで・・・お願い、ずっと側にいて・・・」
1人置き去りにされたショックからまだ立ち直れないのだろう。メイシアはさらに強くしがみつき懇願する。
「この看護師さんが一緒にいるから大丈夫。僕もシャワーを浴びて着替えたらすぐに戻って来るから」
その後、あれこれと何とか宥めるフランクにメイシアは渋々だがようやく頷いた。
フランクはベテラン看護師にあとをお願いすると、自室で着替えを用意し急いでシャワー室に駆け込む。
メイシアを抱きかかえた時にベッタリと付着した血はやはり気持ちの良いものではない。フランクはいつもの何倍もの労力を払ってその痕跡を消し去る。着ていた服は棄てるしかない。しかし・・・
フランクは付着した血の痕跡などもう何処にもない掌を見つめ、メイシアの事を想う。
あの子は自分とは比べ物にならない程の血を浴びていた。しかもそれは数々の目の前の相手から受けたものだ。それでもあの子は必死で耐えようとしているのだ。そして耐えるために自分を必要としてくれているのだ。その想いに応えなくてどうするのだ。
フランクは「よし!」と自分自身に気合いを入れるとシャワー室を後にした。
「ふざけるな!!正気か貴様ら!!」
ギルバートが真っ赤な顔に青筋を立て、基地中に響き渡るような怒鳴り声をあげる。
ギルバートが怒鳴りつけた相手の司令官と国境戦争の指揮を執っていた指揮官達は、一様に迷惑そうな表情で座っていた。
「騎士殿。これはひとえに国の為なのだ。『今回の国境戦争のこれまでの報告は全て嘘でした』などと言えば国民の国家に対する信頼が大きく揺らぐ事になるのは騎士殿にも判るだろう?」
罪の意識の欠片もない物言いにギルバートは憤る。
「それは全て貴様らのせいだろうが!それをたった1人の、しかも皆の命を命がけで救った少女1人のせいにすると言うのか!突然の敗北があの子のせいだと!私は断じて認めんぞ!」
「そう言われても。この事は騎士殿が救出に向かった後、話し合いで決まった事なのだ。医療部も喜んで歩調を合わせてくれると言っているのだ。あの看護師はどうせ死んでいるのだから最後に国の為に役立って貰おうとな」
司令官は一つ溜め息を吐いて言葉を続ける。
「それを騎士殿は助けてしまわれた。まったく余計な事をしてくれたものだ。まぁ、あの看護師には気の毒だがここは国家のために涙を呑んで貰うとしよう。と言うことで騎士殿にも話を合わせて頂くのでそのつもりで」
司令官の言葉に、同席していた指揮官達は満足げに頷く。ギルバートは怒りを通り越して呆れ果てていた。しかしそのお陰で今後どう動くべきかを冷静に考える事が出来たのだった。
「生憎だが私は天に恥じるような謀略に加担する気は一切ない。貴様らがあくまでもあの子を生贄にすると言うのなら、私は近衛騎士の名に賭けて徹底的に抵抗するまでだ」
「なんと愚かな!そんな事をしても無駄だぞ。侵攻軍も医療部もこの基地も、全ての者に話を合わせるよう通達済みだからな。抵抗すれば騎士殿の立場の方が危うくなるのだ。国家のためにもここは我々と歩調を合わせるべきだろう。考えなおすのだ。私は軍の上層部とは顔見知りなのだ。騎士殿に勝ち目はないぞ」
「それでも私は今回の件、看過できん。もうこれ以上の話し合いは無駄だな。これで失礼する」
そう言ってギルバートは後ろを振り返る事もなく司令官室を後にする。「後悔するぞ!」と後ろから怒鳴り声がするが無視だ。
どういう作戦でいくかは、もうギルバートの頭の中では出来上がっていた。
こっちには切り札がある。善は急げで早速そのカードを切らせて貰おう。
巷には、高圧的な奴らに自分の切り札をちらつかせて驚かせ悦に入る連中もいるが、ギルバートは阿呆ではないためそんな事はしない。手の内は隠してこそ最大限の効果を発揮すると知っているからだ。
「さて、フランクと作戦会議をする前に一仕事だな」
ギルバートはその足を速めるのだった。
女性用のシャワー室の前まで来たフランクは、中が随分と騒がしい事に驚く。
「フランクさん!フランクさんはどこ?!フランクさん!!」
騒がしいのはメイシアの叫び声のせいだった。
「何かあったんですか?!看護師さん!」
フランクがシャワー室の外から声をかけると、すぐに中から声がかかった。
「あんたかい?!丁度いい所に来た!すぐこっちに来てこの子を落ち着かせておくれ!」
「俺、男だからそっちに入れませんよ!」
「あたしが許可するからいいんだよ!サッサと入んな!」
怒鳴られたフランクは慌てて中に駆け込んだ。
メイシアはズラリと並んだ個室の1つに入っているようで姿は見えない。フランクはホッとしつつも少し残念な気分になる。
「そこからでいいから声かけてやっておくれ!」
その個室の1つからベテラン看護師が顔を出し訴えかける。その最中もフランクを呼ぶ声がシャワー室に木霊していた。
「メイシアさん!僕だ!フランクだ!ちゃんと側にいるから安心して!」
フランクが声をかけるとメイシアが一瞬静かになる。
(良かった。やっと落ち着いてくれたか・・・)
フランクが安心したのも束の間、
「フランクさん!フランクさん!」
と、メイシアがベテラン看護師の制止を振り切って泣きながら個室から飛び出して来たのである・・・産まれたままの姿で・・・
その姿をモロに見てしまったフランクは反射的にメイシアに背を向ける。その顔はまるで茹で蛸だ。
メイシアはそんなフランクにお構いなしに背後からガッシリとしがみついた。
「フランクさん!敵が近くにいるの!ガサガサ音がするの!私を捜してるの!助けて!私殺される!」
フランクはしがみついて泣きじゃくるメイシアから、震えと高鳴る心臓の音が背中を介して伝わって来るのを感じる。背後から回されたメイシアの手をしっかりと握り締めながら、フランクはメイシアに語りかけた。
「落ち着いて。敵なんかどこにもいないよ。今見回ってきたから間違いない。誰もメイシアを傷付けたりしないよ。大丈夫。僕が付いててあげる。守ってあげるから安心して」
本当なら、チャンと目を見ながら話せればよいのだが、彼女と面と向かったら絶対に目じゃなくて別の所を見てしまう。フランクはなけなしの理性を総動員して振り返りたくなるのをググッと堪えた。
幸か不幸か、メイシアは程なく落ち着きを見せる。
「ほら、早く身体を拭いて服を着なきゃ」
頃合いを見計らって、ベテラン看護師がメイシアをフランクから引き剥がし連れて行く。メイシアが離れてホッと気を抜いたフランクにベテラン看護師が声をかける。
「あんた」「はい?」
「・・・責任、取んなさいよ・・・」
「・・・えっ・・・」
フランクは、まだ後ろを振り返る事は出来ないが、ベテラン看護師は絶対今ニタニタ笑っていると確信するのだった。
今、ベッドの中でメイシアがスヤスヤと寝息をたてている。フランクはベッドの横で椅子に座ってメイシアの手を握り締めていた。
ここは基地に設置された病院の病室。メイシアはベテラン看護師から鎮静剤を投与されてようやく眠ったところだ。
フランクは幼さが残るメイシアの顔を飽きることなくジッと見つめ続けて溜め息を吐く。血塗れの時には暗かったせいもあり気付かなかったが、こうして綺麗に洗われて、明るい所で見てみれば、自分好みの可愛い顔をしている事が判った。こんな時に不謹慎であるが一言で言えば一目惚れと言うやつである。
(こんな可愛い子が本当に自分の彼女だったら良かったのにな・・・)
フランクの溜め息の理由はそこにあった。
シャワー室からここに来るまでの間もメイシアはフランクの腕にしがみついて離れなかった。ベッドに横になってからも、手を繋いでいて欲しいと泣きつかれた。
しかしそれは、決して愛しているからではない事をフランクは理解していた。置き去りにされたった1人で敵に追われた恐怖から逃げ出すための行為なのだ。
だから、精神的に落ち着きを取り戻せばフランクの事など見向きもしなくなる筈だ。
こんなに可愛いのだ。恋人の1人や2人いてもおかしくはないだろう。だから自分は、この子が今この時を乗り越える為だけの存在でいよう。そう心に決めた・・・筈なのだが・・・
「期待する気持ちがどうしても残っちゃうんだよねぇ。後が辛いだけなのにさ・・・」
そう呟いて、自嘲気味に笑うのだった。
「お、いたいた。すまんな、遅くなった」
そう言って病室に入って来たのはギルバートだった。
ギルバートはメイシアを起こさないように静かに近づく。
「今、薬で眠っているんです」
フランクの説明にギルバートは無言で頷き、そっとメイシアの顔を覗き込む。
「ほう、結構可愛いじゃないか・・・ふむ・・・この子、絶対お前の好みのタイプだろ」
フランクは返事をしなかったが、真っ赤になった顔が言葉以上に事実を物語っていた。
「本当にお前は判りやすいな!」
ギルバートがそう言って笑った時だった。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
突然メイシアが跳ね起き暴れ始める。
「いやぁ!来ないでぇ!誰か!敵が来る!助けてぇ!」
フランクが慌ててメイシアを抱きしめ、耳許で必死に声をかける。
「しっかり!大丈夫、敵はいないよ。安心して」
フランクの囁きかけに、やがてメイシアは大人しくなり、気付いた時には抱かれたまま眠っていた。
そしてベッドに横たえられたメイシアだが、その手は何かを探すように動いている。フランクが自分の手を添えるとメイシアの手はしっかりとフランクの手を握り締め、ようやく元のように静かにスヤスヤと眠ったのだった。
「さっきから何度もこうして・・・」
辛そうに語るフランク。ギルバートは険しい表情でメイシアを見つめる。
「もう何も心配する事はないのに」
「それがだな・・・」
フランクの呟きに答えるようにギルバートが重い口を開き、司令官室で行われた一部始終をフランクに打ち明ける。
「そんな滅茶苦茶な!どこまで軍は腐ってるんですか!」
おとなしいフランクがこれほどまでに激昂するのは珍しい事だった。
「ギルさん!何とか出来ませんか!このままじゃこの子は罪人にされちまう!俺、何でもしますから!何か手を!」
必死に懇願するフランクに、今まで渋い顔をしていたギルバートが突然ニヤリと笑う。
「そう思ってな。もう手を打って来た。そのせいで遅くなったんだ。忘れたか?フランク。俺たちにはとっておきの切り札があることを!」




