1-137 血塗れの看護師 5
レンザリア公国の最前線のキャンプでは、指揮官が大層不機嫌そうな顔でテーブル上の地図を睨み付けていた。
予定では今日、太陽が沈みきる前に敵陣を急襲、殲滅する予定だった。そのために先遣隊が敵の陣の位置と守備の状況を報告してくる筈だった。
しかし結果はどうだ。
最初に送った分隊からも、増援として送った分隊からも、何の報告も上がって来ず、全滅したものと推測出来た。しかし全滅の理由が判らなかった。
そこで次に送り込んだ分隊には任務を敵の守備方法の確認に留め生還し報告するよう厳命したのだ。
そして戻って来たのは2名。そしてその報告内容は予想外のものだった。
これまでのモルーグ軍の戦術は愚かな程に単純だった。
兵士達は岩や土を積み上げた簡易トーチカか、もしくは壕に分隊単位で立てこもり、そこから動こうとはせずその場から動くものに攻撃を加えてくるのだ。そのため、立てこもっている場所が判れば後はどうとでもなった。
しかし、今回は様子が違う。
まず分隊を出迎えたのはトラップだったのだ。これはモルーグ軍がこれまで使った事がない手法だった。それゆえ最初は近くから手榴弾を投げつけられたと勘違いをしたほどだった。そして別のトラップに掛かりそうになってようやくトラップの存在を認識出来たのである。
分隊は2、3人ずつの3つのグループに分かれて左右に距離を置いて進んで行く。万一トラップに掛かった時に被害を最小限にするためだ。しかしその用心を逆手に取られる。
右側の端を進んでいたグループが銃撃されたのだ。しかも閃光と音から察するに、マシンガンによるゼロ距離射撃だった。
「いた!逃げたぞ!」「逃がすな!」
中央を進んでいたグループが敵を見つけ追った。しかしすぐに彼等は爆発に巻き込まれた。トラップに誘い込まれたのだ。
そして最後に残ったグループは来た道を大急ぎで引き返して来た次第だった。
「君達は敵の姿を見たのかね?」
「いえ、逃げる影を一瞬認識した程度です」
「逃げた敵の人数は判るか?」
「いえ、判りません。しかし、銃声からすれば撃ったのは1人と判断します」
ふむ。と指揮官は腕を組む。
結局、敵の人数も配置もまるで判らなかった。いや、トラップが仕掛けられている事と敵の戦い方が判っただけでも良しとせねばなるまい。
敵にはゲリラ戦専門の特殊部隊が合流したと見るべきか。しかもこちらの兵の動きを全て把握できるような・・・しかし、それであれば何故銃撃の時に、全てのグループに同時に攻撃を仕掛けなかったのだ。順番に潰していく理由がない、理由が・・・いや・・・
(まさか・・・敵は1人?!)
指揮官は青ざめる。それはこの指揮官が継承者であったがゆえだ。その継承者の指揮官はある可能性に思い当たったのだ。
(ま、まさか!『リンドの悪魔』ではあるまいな!)
指揮官は継承者になった時に師から聞かされ忠告を受けた話を思い出す。
指揮官は青ざめながらも首を左右に振る。
(い、いや、違うな。この戦争は『リンドの悪魔の介入条件』を満たしていない。それに『リンドの悪魔』は長いこと生死不明と聞く)
指揮官は無理矢理自分を納得させた。
とにかく、敵は1人かそれに近い少人数。
しかし、月が出ていない闇夜が敵に有利に働いている。いや、敵はこの状況を利用した作戦を立ててきたのだ。そして、こちらが小さな分隊で様子を見にくると予想しての作戦なのだろう。
まんまとしてやられた。むざむざと3個分隊を犬死にさせてしまった。
それが指揮官の率直な感想だった。
何時までも敵の思うようにさせておく事は出来ない、しかし問題はどれほどあるか判らないトラップだ。種類も一種類とは限らない。
一番の安全策は夜明けを待ってトラップを解除しながら進む事だ。
しかしそれは出来なかった。今夜中に敵の本隊を急襲し全滅させると総司令部に確約してしまったのだ。
被害を出した上にもし約束を果たせないとなれば一時雇いのこの身、報酬減額の口実にされ経歴にも傷が付く。
従ってどうしてもこの闇夜の中を進まねばならなかったのである。
腕を組み、ジッと目を閉じたまま動かない指揮官。それを見守る部隊長達。
暫しの沈黙のあと、指揮官は目を開きこう告げた。
「これより3個中隊を持って進軍する。一気に敵を押し潰すぞ!私も共に出る!」
もうメイシアにはどうする事も出来なかった。
六百人以上の軍勢が縦に列を作って突き進んでくる。先頭の集団は、身体が隠れる程の鉄製の盾を構え、盾の後ろから差し出された数本の長い棒で地面を叩きながら進んで来るのだ。乱暴な方法ではあるが、これにより隊列の前方に仕掛けたトラップはことごとく爆発させられていった。指揮官は少人数で複数種類のトラップを仕掛ける余裕はないという考えに賭けたのだ。
強引に突き進んで来る敵に対しメイシアも抵抗しようとは試みた。しかし敵は数多くのサーチライトで前方の森を余すところなく照らし出してくるためまるで近づくことは出来ない。
メイシアが選んだ武器は少人数による接近戦に特化したものだ。従って、この期に及んでメイシアに出来る抵抗は手榴弾による攻撃くらいだが、この規模の敵を相手には焼け石に水である。
もはやメイシアはすぐに逃げ出すべきであった。しかし、メイシアにはそれが出来なかった。
メイシアのボロボロになった心を辛うじて支えていたのは『仲間を助けたい』と言うただ1つの想いだけだったからである。だがその想いはさらにメイシアの心を壊していった。
メイシアは少しでも敵の足を止めようと離れた位置から手榴弾を投げ込む。しかし、遠くからの投擲は余り効果がなく、逆に敵のサーチライトに姿を曝す事になり、敵の隊列から集中砲火を浴びて命からがら身を隠す羽目になった。それでもまだトラップを怖れて深追いして来ないうちは良かった。
「棒にトラップの反応がなくなったな。敵のトラップ原を抜けたか。よし!各員に告げる!今、先頭がいる位置を抜けたら散開し一気に前進せよ!」
敵の隊列は速度を速め、ある一点から先は扇型に広がっていく。
「いたぞ!あそこだ!赤い服を着た奴だ!」
メイシアは完全に狩られる立場になっていた。
メイシアは後退しながらも、サーチライトを除け、追っ手に手榴弾の投擲やサブマシンガンの掃射を繰り返し一人でも敵兵を倒そうとした。
敵兵には遠目から不屈の戦士と見えただろう。しかし、メイシアの顔は恐怖に歪み1つの言葉を繰り返し呟いていた。
「助けて」と・・・
メイシアは陣地にまで追い立てられていた。
サブマシンガンの弾倉は空になっていた。
手榴弾の手持ちは底をついた。
脚は疲労と恐怖でガクガクと震え、立っているのがやっとだった。
呼吸は乱れ肩で息をしていた。
そんなメイシアの姿を幾つものサーチライトが照らし出し、取り囲むように敵兵が銃を構えて立っていた。
敵兵はメイシアを遠巻きに取り囲んでいた。近づい来ない理由としては、メイシアが手にサブマシンガンを持っていた事と散々投げつけられた手榴弾をあとどれだけ持っているか判らない事もあっただろう。しかし一番の理由はメイシアに対する恐怖心からだった。
目の前にいる敵は彼等にとって想像からかけ離れたものだったのだ。
目の前にいるのは、か弱げな少女が1人だけ。それだけでも想定外であるのに、さらに全身に血を被り、何かをブツブツ呟いている。
このあまりにも異様な光景に兵隊達は怖じ気づいていたのである。
「赤い服ではなかったのか・・・」
そう呟き、思わず唸ったのはその場にやって来た指揮官だった。
メイシアのおぞましい姿を直視する事に堪えかねた指揮官は思わず目をそらし、もぬけの空となった敵陣地を眺めまわす。陣地を捜索している兵士からは敵兵発見の報は上がって来ていない。
指揮官は心の準備を整えて、再びメイシアを直視し尋問を始める。
「他に仲間は何人いる?!」
しかし、メイシアは聞こえていないかのように変わらずブツブツ独り言を繰り返す。
「貴様が1人でモルーグ軍を逃がしたのか?!」
この問い掛けにもメイシアは反応しない。指揮官は少女を目を細めて見つめる。
少女の目は泳いでいた。血で染まった表情からは恐怖以外の何も読み取る事は出来なかった。
(この娘はもう・・・なんと哀れな・・・)
指揮官は溜め息をついて首を左右に振ると、静かに優しい声で兵に指示を出した。
「もう、楽にしてやれ」
兵士達はその命令を聞くと、メイシアに向かって改めて銃を構え直すのだった。




