1-134 血塗れの看護師 2
「司令部からの指示は来たか?」
「まだ何も言って来ません」
「こっちへの指示を忘れてるんじゃないのか?」
「誰か司令部に確認に行かせて!」
野戦病院の天幕の下では、医師や看護師達の不安げな会話が飛び交う。メイシアは同僚達と共に心細そうに成り行きを見守っていた。
斥候が敵陣から戻り、司令部の天幕に消えてから、かなりの時間が経過していた。
司令部や部隊の天幕では撤収作業が進んでいるようだと、様子を見に行った者が皆に報告していた。
ならば、こちらも早く撤収作業を進めないと間に合わなくなる。指示を仰ぎに行った者が戻るのを待ちきれずにあちらこちらで撤収の準備が始まっていた。
「それは一体どういう事だ?!」
突然医師の怒鳴り声が響く。野戦病院の天幕にいる者達が一斉に声の方に顔を向ける。
負傷兵に鎮痛剤を与えていたメイシアも驚いて、他の者と同様に思わず声の方へ振り向いた。
そこには、指示を仰ぎに行った者を取り囲む医師や看護師長達の姿があった。
「だから、どういう事か私にも判りませんってば。とにかく司令部の指示は『撤収作業は不要。現状のまま待機』って事です。理由を聞いても『説明の必要はない!』の一点張りで」
「いつまで待機しろと言うんだ!」
「だから知りませんってば」
医師や看護師や負傷兵達から次々と上がる文句に、指示を貰って来た青年はうんざりしたように返答する。
しかし青年に詰め寄る医師達もそれが無駄な行為だとは判っているのだ。しかしそれでも文句をぶち上げなければ気が済まなかっただけなのである。
やがて、文句を言っていた者達も諦め顔でそれぞれ元いた場所へと帰り、いつも通りの風景に戻っていったのであった。
この時はまだ、皆、指揮官達を信じていたのである。
やがて、彼等の甘い考えは一蹴される事になる。
午後も中程まで過ぎた頃、指揮官の1人が数名の兵士を引き連れて野戦病院を訪れた。
野戦病院の皆が注目する中、指揮官は汚い物でも見るような目つきで負傷兵達を一通り眺めると、声高に通告を始めたのだ。
「我々はこの地より完全撤退し、今回の国境戦争を終結させる事とした!これより撤退を開始する!」
この言葉に野戦病院内がざわつく。
「今からですか?!準備が間に合いません!」
動揺した医師達が次々と異論を唱えるが、指揮官は聞こえていないとでも言うように通告を続ける。
「負傷兵の諸君!お前達は国王陛下のために敵を倒す義務があるにも関わらず負傷し、義務を全うしないばかりか味方に負担を強いる存在である。非国民との謗りを受けても仕方がないところだ」
「しかし、私にはお前達が国王陛下の為に働きたいと切望している事は判っているつもりだ。そこで、お前達負傷兵に汚名返上の機会を与える事とした」
そう言うと指揮官はドヤ顔で負傷兵達を見渡す。
「お前達はここで敵の追撃を食い止めるのだ。そうすればお前達は救国の英雄として賞賛されるだろう!」
指揮官は言葉を切る。野戦病院の中は一瞬静まり返った。言われた事を理解しかねているようであったが、次の瞬間には負傷兵達が身を乗り出し叫び始めた
。
「俺達に『死ね!』と言うのか!」
「そんなつもりがあろうはずはない。迫り来る敵を全て倒せばいいだけだ。簡単ではないか」
指揮官は馬鹿にしたように笑う。
「ふざけるな!」
1人の負傷兵がヨロヨロと立ち上がり指揮官に掴み掛かろうとするが、指揮官が引き連れていた兵士に銃で殴打され転倒する。
その様子を鼻で嗤いながら眺めていた指揮官に、今度は医師達がお伺いを立てる。
「我々は?我々医療従事者はどうなるのです?」
当然の質問であったが、指揮官はさも面倒くさそうに答える。
「ん?貴様等は負傷兵を診るのが仕事であろう。負傷兵どもが戦えるように最後まで治療を続けるのが当たり前ではないか」
質問した医師はさらに詰め寄ろうとしたが、兵士に銃を突きつけられては口をつぐむしかなかった。
「それでは、英雄諸君の勇戦を期待している」
指揮官は嫌みったらしくそう告げると踵を返して悠然と去っていく。一緒に来た兵士が残っているのは、負傷兵や医師達が問題を起こさないように見張っているものと思われた。
野戦病院は異様に静かだった。話をする者は誰もいなかった。医師や看護師はその場にへたり込み動こうとはしなかった。女性の看護師達は殆どが泣いていた。
皆が茫然とする中、淡々と治療を施して回る看護師がいた。メイシアである。
そんなメイシアに負傷兵の1人が声をかける。
「お嬢ちゃんは、平気なのかい?」
メイシアは、その負傷兵の包帯を取り替えながら力なく答える。
「全然平気じゃないです。でも、私に出来る事ってコレしかないですから」
負傷兵は新しい包帯を見つめながら、ポツリと呟く。
「しかし、もうすぐ死ぬんだ。こんな事をしてももう無駄だよ」
「何を言ってるんです。今はまだ生きてるんですから。生きている間は生きる為の努力をしないと!」
そう言ってメイシアは、負傷兵が少しでも元気になれるようにと目一杯の笑顔を作るのであった。
メイシアは自分の作業に没頭している最中も負傷兵や仲間を助ける手段はないか考え続けていた。
そして『全員』ではなく『1人でも多く』という観点であれば手段がある事に気付いた。ヒントは指揮官の話の中にあった。
要は撤収部隊が追撃を受けないようにすればいいのだ。だとすればここにいる全員が戦う必要はない。
足止めに必要な人数だけを残し、他は大急ぎで撤収すればよいのである。
しかしメイシアはこの考えを誰にも話さなかった。
内気な事に加えて、自分は意見具申出来るような身分ではないと考えていた。
そして何より一部の人間の犠牲を強いるような手段が嫌だったのである。
やがて、野戦病院を見張っていた兵士もいなくなった。最後に撤収していく部隊に合流したのである。
今、この陣地に残っているのは、野戦病院にいる者だけになってしまったのであった。
監視がいなくなった事で、医師達が集まりこれからどうするか話し合いが行われた。
話し合いの最中にも事件は起きた。
パンっと乾いた銃の音と悲鳴が上がる。本当に置き去りにされた事を認識した1人の負傷兵が自殺したのである。
また別の場所では、叫び声を上げながら銃を乱射する者が現れた。他の負傷兵に射殺されるまでに数名の犠牲者が出てしまったのだった。
やがて話し合っていた連中は1つの結論にたどり着いた。それはメイシアが早々にたどり着いていた結論と同じものだった。
しかし、ここで大きな壁に当たることになる。メイなシアが懸念していた「誰が犠牲になるか」と言うことだ。
「全部、兵隊に押し付けて、医療部は逃げ出すつもりじゃないのか!」
負傷兵が不満を口にする。
「そんな事はない!ここまで来たら兵士も医療部も代わりはない!それより、兵士であるなら非戦闘員を護るのが義務ではないのか!」
あちらこちらで主張の押し付け合いが始まる。
「このままじゃ埒があかん!まずは希望者を募ろう!誰か残ってもいいと言う者はいないか?!」
医師の掛け声に皆(そんな奴いるものか!)と思いつつ辺りを見回す。そして皆、驚愕の眼差しで1人の少女を見つめた。
その少女は控えめに手を挙げて弱々しい声でこう言った。
「私・・・残ってもいいです・・・」
その少女は・・・メイシアであった。




