1-133 血塗れの看護師 1
メイシアは前回の、すなわち2年前の国境戦争について語り始める。
「私は従軍看護師の1人として、フランクは従軍整備士の1人として国境戦争の開始時から参加していました」
メイシアは話をしながら(どうしてこんな話をする気になったんだろう)と考える。
戦争に参加した者の生の声は、疑似体験としてこれから初めて戦場に行く者達に有効だろう。
それに今回の国境戦争も軍の指揮官は前回と同じ顔ぶれだと言う話だ。だとすればまた今回も同じ事を繰り返す可能性が高い。ならば留学生達に警告する意味でも話をしておいた方がいい。
私が『血塗れの看護師』である事も話しておいた方がいい。向こうには私の事を知っている人達がきっといる。であれば向こうでバラされるよりも先に打ち明けておいた方がいいのだ。後ろめたい事は何もないのだから・・・
・・・後ろめたい事はない?・・・ずっと後ろめたかった筈だった。自分からは絶対に表に出せない程に。なのにどうして・・・
メイシアの脳裏に、ミリーの「評価している」と言った言葉が浮かぶ。メイシアは心の中で舌打ちをし、(違う!あの人の言葉なんて関係ない!)とミリーを全否定するのだった。
「戦況は最初から惨憺たるものでした。敗走につぐ敗走。戦闘を行う度に増える負傷者、いえ、戻って来ない人の方が多かった。そして陣地も3日を待たずに撤収と後退を繰り返していました」
「それはおかしくないですか?あの時は毎日のように勝利と進軍の報告が発表されていましたよ。その・・・あなたの事で作戦が失敗し大きく後退するまでは」
顔色を窺いながら反論する留学生に、メイシアは軽く鼻を鳴らして笑いながら答える。
「あんなの大嘘よ。そのうち挽回出来るだろうと指揮官達は嘘の報告を続けたのです。自分の名声に傷がつかないようにね。そして嘘は膨れ上がり、にっちもさっちもいかなくなったのです」
「でも何か挽回する作戦が合ったのでは?」
「そんなもの何もなかったわ。指揮官達の指示はただ毎回『突撃』だけ。そして敗走し負傷して戻って来た兵士達に『貴様等は儂らの顔に泥を塗るつもりか!』と怒鳴り散らすだけ。指揮と呼べるものは何もなかったのよ」
「でも指揮官は第二世代や第三世代なのですよね。そんな方々が無策だなんて事あり得ません!」
「この際だからみんなに言っておくわ。モルーグでの第二世代や第三世代と言った称号は金で買うただの飾り。威張り散らす為の道具に過ぎないの。金で能力が買える訳じゃないのよ。だからキチンと教育を受けているあなた達の方が能力は遥かに上なのよ」
メイシアは心の中で舌打ちをしていた。
これは殆どあの人の言葉のパクリだ。留学生達を納得させるためとはいえ、なんであの人の言葉を使わなきゃいけないんだ。悔しい!悔しい!
メイシアの想いを知る由もない留学生達は自分達の価値観を覆す一言に動揺しざわめいていた。
メイシアはそのざわめきを無視して話を続ける。
「陣地の後退を繰り返し、とうとう我が軍は森林地帯にまで追い込まれました。その時点でまだ戦える兵の数は3分の1にまで落ち込んでいました。死んだ者も3分の1に達していましたから、負傷者はやはり3分の1にも上ったのです」
メイシアの話が進むにつれ、ざわめきは段々と小さくなっていく。
「陣を設営すれば野戦病院のスペースが半分以上になると言った有り様です。もうとても戦える状態ではなかったのです。敵の総攻撃も近いとの噂でした。みんな完全撤退の命令を今か今かと待っていたのです。そしてあれが起こったのです」
留学生達のざわめきは消え、皆がメイシアの話に聞き入るのであった。
「メイシア!こっちもお願い!」
「はい!ただいま!」
あちらこちらから上がる先輩の従軍看護師の指示にメイシアは休む暇もなく包帯やら消毒液やらを山のように抱えて負傷者の間を駆け回る。
ここはモルーグ王国とレンザリア公国との間に横たわる小さな山脈の狭い谷間の森に設えられた陣地である。
戦争が始まる時には、この谷を抜けて東へ行った所の湿地帯に陣が設営されていた。なぜならそこが国境だったからだ。それが今ではこの谷間の森林地帯にまで大きく後退してしまったのだ。
メイシアは1人の負傷者の応急手当てを済ませて立ち上がると、無意識に辺りを見回した。
幾つもの天幕を繋げて作り上げられた野戦病院の広いスペースに所狭しと横たわる負傷兵。そしてその間を駆け回る従軍看護師。いずれも疲れ切った顔をしていた。
何度も陣地の設営と撤退を繰り返していたせいだ。野戦病院の設営と撤収の手間もさることながら、負傷兵の移動が一番の負担となっていた。しかも負傷兵の数も移動の度に増えており、移動そのものが困難になっていたのである。
メイシアは、以前にも北の砦の攻防戦や西の紛争にも従軍看護師として参加した事がある。しかし、ここまで悲惨な状況は経験した事がなかった。
レンザリア公国との国境戦争だけがいつもこんなに悲惨なのか?
前回の国境戦争にも参加した事がある古参の従軍看護師に聞いてみた。しかし、古参は首を横に振る。
「前回は指揮官がもっと早い時期に敗戦を決めていたから、こんな事にはならなかった。しかし前回の時にゴルジア王から酷く叱責を受けたらしくてな。そのため今回はそう簡単に負けを認める訳にはいかんのだろうよ。自分の名誉の為にな」
「まさかそんな事はないでしょう?だって指揮をなさっている方々は第二世代や第三世代といった立派な方々です。きっと何かお考えがあっての事だと思います」
メイシアの純朴な反論に古参は苦笑いしながら黙って静かに首を横に振るだけだった。
当時のメイシアは今の留学生と同様『称号』を盲信していた。しかし、これはメイシア1人が愚かだった訳ではない。モルーグ王国の社会全体がそうだった、いや、いまだにそうなのである。
この時の古参の従軍看護師は、その事に気付いていた数少ない者の1人であるに違いなかった。
その日は朝から何の戦闘もなかった。
銃撃や砲撃の音は一切なく、負傷兵も1人も運び込まれて来なかった。
だからといって平和だった訳ではない。
野戦病院の中は呻き声と喧騒に包まれていた。今朝から今までに3人の負傷兵が死に、少し離れた場所に埋められた。
それでも「今日は平和だ」と感じてしまうのはこの状況に神経が麻痺してしまっているからに違いなかった。
「そろそろ撤収命令が出るかも」
「少しずつ荷物をまとめておく?」
従軍看護師達の間でのんびりとそんな話が囁かれ始めるには訳があった。
偵察に出ていた斥候が先程戻って来たのだ。
その斥候によると、山脈の麓に敵が陣を張り、兵を集結させている最中だと言うのである。敵は兵が纏まり次第、一気にこちらを全滅させる気なのだろう。そうと解れば司令部が完全撤退を指示するのは時間の問題という訳だ。
野戦病院内はすっかり撤収ムードになっていた。負傷兵も生きて帰れると確信して笑みを漏らした。医師や従軍看護師も笑顔で「もうひと頑張りだ」と励ましあった。
しかし、野戦病院にいる者達もメイシアもまだ知る由もなかった。
この後、彼等が絶望の淵に立たされる事を。
メイシアにとって、長い地獄の一夜となる事を。




