4.君のための工房
ある日、レオンハルトから大きな封書が届いた。中には、立派な建物の図面と事業計画書が入っていた。
広い展示室、応接室、制作室、職人用の作業場。どうやら、レオンハルトは新しい工房を借りたらしい。
「……私たち、頼んでないよね?」
「うん」
「勝手に借りたの?」
「そうみたい」
さらに、エミリアを中心とした新しいブランドの計画まで添えられていた。しかし、エミリアはその内容を読んで眉をひそめた。
彼女の役割は、ブランドを代表する美貌の魔導刺繍師として社交界や展示会へ出席し、商品を宣伝すること。実際の制作は、雇用した職人たちが担当する。
広告用の衣装案には、かつてエミリアが社交界で着ていたドレスにそっくりなものまで含まれていた。
エミリアは、その絵を見て、思わず書類を伏せた。
「……嫌だ」
クララが顔を上げた。
「……何?」
「この人、私に何をさせたいんだろう」
エミリアは、気味の悪い衣装案を姉に見せた。
「私、こんなの着たいなんて一度も言ってないのに」
クララは書類を覗き込んだ。
「……これ、昔のドレス?」
「うん。しかも、この計画だと私が刺繍する仕事、ほとんどないの」
「……本当だ」
クララは首を傾げた。
「……何のための工房なんだろうね」
*
後日、レオンハルトは自信満々で工房を訪れた。
「資料はご覧いただけましたか? 素晴らしい工房になるでしょう」
「ですが、私たちは以前からお断りしています」
「ええ。しかし、実際に計画をご覧になれば、お考えも変わるかと」
「変わりません。それに、この計画では、私はほとんど魔導刺繍を作らないことになっています」
レオンハルトは嬉しそうに頷いた。
「はい。そこが重要なのです」
「……重要?」
「あなたほど美しい方が、毎日机に向かって針仕事をする必要はありません。制作は職人たちに任せればよいのです」
エミリアは、動きを止めた。
「あなたには、もっとふさわしい仕事があります。美しい衣装を身にまとい、人々の前に立つ。あなた自身が、商会の象徴となるのです」
エミリアは自分の指先を見た。小さな針の傷がある。
昔、父親はその手を見て、針を持つなと言った。美しい手を傷つけるな。お前は着飾っていればいい。魔導刺繍は姉に作らせればいい。
まさか、こんなところで同じことを言われるとは思わなかった。
エミリアは、男を見た。
レオンハルトは、満足そうに微笑んでいた。
その表情が、たまらなく気持ち悪かった。
自分がどれほど嫌がっているか、まるで分かっていない。目の前にいるエミリアではなく、自分の頭の中にいる誰かを見ているのだ。
「……私は、魔導刺繍を作りたいんです」
「もちろん、そのお気持ちは分かります」
「いいえ。分かっていらっしゃらないと思います」
エミリアは、まっすぐに相手を見た。
「私は、自分で考えて、自分で針を動かして、作品を作るのが好きなんです」
「ですが、あなたの才能なら、もっと大きなことが――」
「それは私が決めます」
レオンハルトは、困ったように笑った。
「どうか、落ち着いてお考えください。私は、あなたのためならどれほどの資金を投じても構わないと思っています。すでに建物も借りましたし、設備の手配も進めています」
「……あの」
クララが口を挟んだ。
「それ、全部あなたが勝手にやったことですよね?」
「……ええ。お二人のために、できる限りの準備をいたしました」
「じゃあ、私たちには関係ないですよね」
レオンハルトの表情が固まった。
「……関係ない、とは?」
「頼んでませんので」
「ですが、今さら取りやめるとなると、相当な損失が……」
「それ、私たちが払うんですか?」
「いえ、そういう意味ではありません! 私は、ただエミリア様に喜んでいただきたくて……」
レオンハルトは、エミリアへ向き直った。
「あなたを初めて見たときから、ずっと考えていたのです。どうすれば、あなたにふさわしい人生を用意できるだろうと。私なら、あなたを誰よりも幸せにできる。そう信じています」
エミリアは、黙って聞いていた。
「私の商会の力も、財産も、あなたのために使いたいのです。これほどのことをしてでも、私はあなたのそばにいたい。どうして、その気持ちを分かっていただけないのでしょうか」
レオンハルトの声には、切実な響きがあった。
彼は本気なのだろう。
本気でエミリアを好きになり、本気で彼女のために尽くしているつもりなのだ。
しかし、その思いを聞かされるほど、エミリアは嫌悪感を覚えた。
この男は、いったい誰の話をしているのだろう。
自分が何をしたいのか、何を望んでいるのか、何度も説明した。なのに、この男が語る理想の未来には、エミリア自身の希望が何一つ含まれていない。
それでも彼は、それを愛情だと信じている。
エミリアは、もう愛想笑いをする気にもなれなかった。
「……レオンハルトさん。私は、あなたと一緒に仕事をするつもりはありません。個人的にお付き合いするつもりもありません」
男の表情が変わった。
「……なぜです?」
「私には、その気持ちがありません」
「ですが、私はこれほど……」
「あなたが何をしてくださっても、私の気持ちは変わりません」
「……どうしてですか?」
エミリアは、少し迷った。
しかし、もう曖昧な言葉を使うべきではないと思った。
「……正直に申し上げると、とても気味が悪いんです」
レオンハルトは、固まった。
「……何ですって?」
「私が何度お断りしても、あなたは聞いてくださいません。私の知らないところで勝手に計画を立てて、私が喜ぶはずだと決めつけて……」
エミリアは、目を伏せた。
「私、あなたに何もしてほしくありません。もう、関わりたくないんです」
レオンハルトは、しばらくエミリアを見つめていた。
やがて、絞り出すように言った。
「……本当に、それがあなたの望みなのですか?」
「はい」
「お姉様に遠慮されているのでは?」
「していません」
「ですが、あなたはもっと大きな仕事をしたいと――」
「それと、あなたと一緒にいたいかどうかは、別の話です」
エミリアは、静かに告げた。
「これ以上、私たちに関わらないでください」
レオンハルトは、何か言いたそうに口を開いた。しかし、クララがじっと見ていることに気づくと、やがて一礼して帰っていった。
その日のうちに、姉妹は職人ギルドへ相談した。レオンハルトの商会とは何の契約も結んでいないこと。そして、今後の接触を望まないこと。ギルドからも正式にその意思を通知してもらうことになった。
*
レオンハルトは、新しい工房にいた。
広い展示室には、エミリアのために用意した衣装が並んでいる。どれも、彼女の美しさを引き立てるために選び抜いたものだった。
この場所で、彼女と一緒に仕事をする。彼女が考案した商品を、自分の商会が世界中へ届ける。やがて彼女は、自分の隣で笑ってくれるようになるだろう。
そうなるはずだった。
なのに、エミリアは来ようとしない。
それどころか、気味が悪いとまで言われた。
レオンハルトには、理解できなかった。
自分がどれほど彼女を想っているか。どれほどの金と時間を費やしたか。あの怠惰な姉とは違い、自分なら彼女にどれほど素晴らしい未来を与えられるか。
それを、なぜ分かってくれないのだろう。
レオンハルトは、展示室に並んだ衣装を見つめた。
せめて、一度ここを見てもらえれば。
きっと彼女も分かってくれる。
自分がどれほど、彼女のことを愛しているのか。




