3.頼りになる男性
それからというもの、レオンハルトは何度もエミリアの前に現れるようになった。展示会へ行けば偶然を装って声をかけてくる。商業組合の催しでは、いつの間にか近くにいる。食事に誘い、贈り物を申し出て、帰りの馬車を手配しようとする。
エミリアはすべて断った。しかし、相手は一向に諦めない。
特に嫌だったのは、会うたびにレオンハルトの態度が親しげになっていくことだった。エミリアにとっては会うたびに嫌悪感が増しているのに、相手はまるで、少しずつ距離が縮まっているとでも思っているようだった。
「……あの人、全然駄目だね」
ある日、クララが言った。
「うん。最近は顔を見るだけで嫌になってきちゃった」
「……しつこいね」
「本当に。私のことをよく知ってるみたいな話し方をするのも嫌なの。全然知らないくせに」
クララは少し考えた。
「……男の人が一緒にいたら、諦めるんじゃない?」
「そうかなあ」
「恋人がいるって分かれば、さすがに引き下がるでしょ」
「……あの人、そんなことで諦めるかな」
「まあ、試してみようよ」
クララは、以前使っていた身体変化の魔導刺繍を取り出した。顔も体格も声も、身体そのものを変化させる高度な魔導刺繍。かつて姉妹が祖国から逃れたときにも使った技術だ。
*
翌日、エミリアの隣には、背の高い若い男性が立っていた。
整った顔立ちに落ち着いた服装。少し眠そうな目をしている。以前クララが使っていた、ルカという姿だった。
「……どう?」
「お姉ちゃん、男の人になっても眠そうだね」
「眠いからね」
「もう少し頼りになりそうな顔はできないの?」
「……面倒くさい」
エミリアは笑った。
ルカは、別の街で仕事をしている恋人ということにした。今回は数日間だけエミリアを訪ねてきた、という設定だ。これなら滞在を終えて帰っても不自然ではないし、その後も遠距離で交際していることにすれば、別れた理由を説明する必要もない。
「じゃあ、行こうか」
エミリアは楽しそうにルカの腕を取った。
「……どこへ?」
「お買い物!」
「……えー」
「せっかく男の人になったんだから、ちゃんとエスコートしてよね!」
結局、エミリアが店を選び、商品を見て回り、ルカは荷物を持ってついていくことになった。
「……もう帰らない?」
「まだ一軒しか見てないよ!」
「疲れた」
「お姉ちゃん、虫除けする気ある?」
「……今はルカだよ」
そんな二人の姿を、レオンハルトが見つけた。
*
「エミリア様。奇遇ですね」
聞き慣れた声に、エミリアは内心うんざりした。しかし今日は、いつもと少し事情が違う。
「あら、レオンハルトさん。こんにちは」
エミリアは、隣のルカに寄り添った。
「ご紹介します。こちらはルカさん。今、お付き合いしている方なんです」
「……お付き合い?」
「はい。普段は別の街にいるんですけど、今は私に会いに来てくれているんです」
レオンハルトの視線が、二人の組んだ腕へ落ちた。
その顔から、一瞬だけ笑みが消えた。
「……そうでしたか」
しかし、すぐにいつもの柔らかな表情へ戻った。
「それは存じ上げませんでした。初めまして、レオンハルトと申します」
「……どうも。ルカです」
「エミリア様には、以前から大変お世話になっております。あなたのような方がいらっしゃるとは知らず、これまで少々馴れ馴れしくしてしまったかもしれませんね」
レオンハルトは、申し訳なさそうに笑った。
「いえ、お気になさらず」
エミリアは、少しだけほっとした。これで引き下がってくれるなら、それに越したことはない。
「では、お二人のお時間を邪魔してはいけませんね。どうぞ、よい一日を」
レオンハルトは丁寧に一礼し、その場を去っていった。
クララは、男の背中を見送りながら小さく呟いた。
「……あれ、結構あっさりだったね」
「……そうだね」
「うまくいったかな」
エミリアは、少し首を傾げた。
「……どうだろう」
「え?」
「あの人、最後にルカさんのこと、すごく見てたでしょう?」
「……そう?」
「うん。何だか、嫌な感じだった」
クララは、もう一度レオンハルトの去った方を見た。
しかし、男の姿はすでに見えなくなっていた。
*
翌日、工房へ一通の手紙が届いた。
宛名は、ルカだった。
「……えっ、私?」
差出人はレオンハルト。旅の滞在中にぜひ一度、二人きりで話をしたいという内容だった。
エミリアは、露骨に顔をしかめた。
「……やっぱり」
「……何の話だろう」
「お姉ちゃん、行かなくていいよ」
「……うーん」
クララは少し考えた。
会うのは面倒くさい。しかし、このままエミリアにつきまとわれるのも、それ以上に面倒くさい。
「……一回だけ、話してみようかな」
「大丈夫?」
「……まあ、何か言われても断ればいいし」
こうしてクララは、再びルカの姿になってレオンハルトと会うことになった。
場所は商業地区の喫茶店。クララが指定した、人目のある店だった。
*
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
レオンハルトは丁寧に頭を下げた。
「……いえ。それで、お話って何ですか?」
「実は、エミリア様のことなのです」
レオンハルトは、まず姉妹の工房について話し始めた。
現在の工房がいかに小規模で、エミリアの才能がどれほど大きな可能性を秘めているか。自分の商会には十分な資金と販路があり、彼女の才能をもっと広く世に知らしめることができるという。
クララは、お茶を飲みながら聞いていた。
「……なるほど」
「彼女は、もっと多くの人に魔導刺繍を届けたいと考えていらっしゃいます。しかし、お姉様が今の規模に満足しておられるために、なかなか実現できないようなのです」
「……そうなんですか」
「ええ。クララ様も優秀な職人なのでしょうが、少々、仕事に対する意欲が乏しいようで」
ルカは、黙ってお茶を飲んだ。
「私は、エミリア様の可能性をあの小さな工房に閉じ込めておくのが、どうしても忍びないのです」
「……でも、本人たちが決めたことですよね?」
「もちろんです。しかし、才能のある方が必ずしも経営に長けているとは限りません。私なら、彼女が才能を発揮できる環境を用意して差し上げられます」
レオンハルトは、そこで少し声を落とした。
「……それに、これは単なる仕事の話ではないのです」
クララは顔を上げた。
「私は、エミリア様を心からお慕いしています。彼女の才能を支え、その人生に寄り添う存在になりたいのです」
「……そうですか」
「ですから、あなたにお願いがあります」
レオンハルトは、真剣な表情でルカを見つめた。
「大変失礼なお願いだということは承知しています。しかし、もしあなたがエミリア様との将来を真剣にお考えでないのでしたら、どうか彼女から身を引いていただけないでしょうか」
クララは、しばらく黙っていた。
「……えっ?」
「もちろん、突然このようなことを申し上げて、困惑されるのは当然です。しかし、私には彼女を幸せにする自信があります」
レオンハルトは、続けた。
「あなたにも、ご迷惑をおかけするつもりはありません。お仕事や生活の面でお困りでしたら、私の商会でお力になれることもあるでしょう」
「……あの」
「はい」
「……それ、エミリア本人には話したんですか?」
「もちろんです。しかし、まだ十分に気持ちが伝わっていないようでして」
「……断られたんですよね?」
「ええ。ですが、彼女の置かれた環境を考えれば、すぐに決断できないのも無理はありません」
クララは、少し考えた。
「……じゃあ、答えはもう出てるんじゃないですか?」
「……答え、ですか?」
「エミリアは嫌だって言ってるんですよね?」
「ええ。しかし、私は彼女のために――」
「……本人が嫌だって言ってるなら、仕方ないんじゃないですか?」
レオンハルトは、困ったように微笑んだ。
「あなたは、少し誤解されているようです。私は彼女に何かを強制したいわけではありません。ただ、彼女が正しい選択をできるように、少しでも障害を取り除きたいのです」
クララは、ようやく理解した。
この人の言う正しい選択とは、エミリアが自分を選ぶことなのだ。
エミリアが断れば、姉に遠慮している。
恋人がいれば、その恋人が障害になっている。
だから、どちらも取り除けばいい。
本人がどう思っているかは、そのあとで考えればいい。
「……すみません」
ルカは、飲み終えたカップを置いた。
「私、そういう話に協力する気はないので」
「ですが、エミリア様の将来を考えれば――」
「……エミリアが決めることだと思います」
クララは立ち上がった。
「……それじゃあ、失礼します」
レオンハルトは引き止めようとしたが、ルカはそのまま店を出た。
虫除け作戦は、どうやら完全に失敗だった。
*
「……あー、疲れた」
工房へ戻ったクララは、変身を解除すると椅子に倒れ込んだ。
「お姉ちゃん、お疲れさま。それで、何の話だったの?」
「……エミリアと別れてほしいんだって」
「……えっ?」
「なんか、私がエミリアの将来の邪魔になってるらしいよ。仕事とかで困ってたら、援助もしてくれるって」
エミリアは、思い切り顔をしかめた。
「……気持ち悪い!」
「……うん」
「何それ! 私には何度断られても諦めないのに、恋人には別れてほしいって頼んだの?」
「……うん。しかも、私の悪口まで聞かされちゃった」
「お姉ちゃんの?」
「……怠け者なんだって」
エミリアは一瞬吹き出しかけたが、すぐに真顔へ戻った。
「……もう、本当に嫌」
クララは、妹を見た。
「……うん。あの人、ちょっとおかしいね」
「ちょっとじゃないよ。私が何度も嫌だって言ってるのに、何でほかの人にお願いするの? 私のことなのに」
エミリアは、腕を組んだ。
「しかも、仕事の援助まで申し出るなんて……。ルカさんがお金で身を引いたら、私が喜んであの人と付き合うと思ってるのかな」
「……どうなんだろうね」
「私がどうしたいかなんて、全然考えてないんだよ」
エミリアは深くため息をついた。
「……あの人、私のことを好きだって言うけど、いったい何を好きになったんだろう」
クララは、少し考えた。
「……エミリアのこと、あんまり知らないんじゃない?」
「うん。私もそう思う」
エミリアは頷いた。
「……でも、もう知ってほしくもないな」
クララは、椅子の背にもたれかかった。
「……男になったら諦めると思ったのに、余計に面倒なことになっちゃった」
「だから、あの人はそんなことで諦めないと思うって言ったでしょう?」
「……うん」
「もうやめよう。あの人のために、お姉ちゃんが男の人になる必要なんてないよ」
「……そうだね」
クララは、大きく伸びをした。
「……じゃあ、ルカは帰ったことにしよう」
「うん。最初から数日間の予定だったしね」
こうして、ルカは予定どおり別の街へ帰ったことになった。
エミリアとの交際がどうなったのかについては、誰にも説明しなかった。そもそも、他人に説明する必要などないのだから。
もっとも、実際のルカは、いつもの姿に戻って寝室で昼寝をしているだけだった。




