2.もったいない才能
クララは机の上に広げられた書類を見た。新しい工房の建設計画、設備投資、職人の採用、販売網の拡大。どれも、現在の工房とは比べものにならない規模だった。
「はい。お二人の技術なら、十分に実現できると考えています」
レオンハルトは自信たっぷりに説明した。新たに十数人の職人を雇い、製造工程を標準化する。販売には自分の商会の取引網を使い、資金も援助するという。
エミリアは資料に目を通した。提案そのものは悪くなかった。現在の工房では、二人が作れる量しか販売していない。比較的単純な魔導刺繍なら、ほかの職人に製造を任せることもできるだろう。そうすれば、もっと多くの人に魔導刺繍を使ってもらえる。
「製造をほかの職人さんにお願いするのは、いつかやってみたいと思っています」
「でしょう! やはり、エミリア様ならご理解いただけると思っていました」
レオンハルトは嬉しそうに身を乗り出した。その勢いに、エミリアは思わず背筋を伸ばした。
「あなたの作品が共和国中に広まるところを、ぜひ私も見てみたいのです。いえ、見るだけではありません。私自身の手で、その夢を叶えて差し上げたい」
「ありがとうございます。でも、今すぐ工房を大きくするつもりはないんです」
「もちろん、最初は不安もおありでしょう。ですが、経営は私が引き受けます。あなたには、何の心配もせず好きな仕事をしていただきたいのです」
レオンハルトは微笑んだ。
「私は、あなたの才能を誰よりも大切にしたいと思っていますから」
エミリアは、また嫌な感じがした。
これは事業の話のはずだ。なのに、どうしてこの人は、まるで自分との将来を約束するような口調で話すのだろう。
「……お気持ちはありがたいのですが、経営についても私たちで決めたいんです」
「ええ、もちろんです。私は、ただあなたの力になりたいだけなのです」
レオンハルトは、今度はクララへ向き直った。
「クララ様はいかがでしょう。あなたは新技術の開発に専念し、製造は雇用した職人たちへ任せればよいのです」
「……その職人さんたちに、私が教えるんですよね?」
「もちろんです」
「何人くらい?」
「まずは十人ほどを想定しています」
「……嫌です」
レオンハルトは言葉に詰まった。
「ですが、収益は大幅に増加するはずです」
「私の仕事も増えますよね」
「最初のうちは、多少は」
「じゃあ嫌です」
クララはあっさり答えた。レオンハルトには理解できなかった。才能があり、商品も売れている。なのに、事業を拡大する気がない。
「……もったいないとは思われませんか?」
「何がですか?」
「これほどの才能をお持ちなのに、この小さな工房で仕事を続けることが、です」
「……別に。今の方が楽ですよ?」
レオンハルトは思わずエミリアを見た。彼女は苦笑している。
「姉は以前、ずいぶん働きすぎていたので。今は自分の時間を大切にしたいんです」
「……なるほど」
レオンハルトは頷いたが、納得した様子ではなかった。
*
結局、姉妹は出資を断った。レオンハルトは残念そうにしながらも、丁寧に頭を下げて帰っていった。
「……やっぱり、あの人嫌だな」
エミリアが言った。
「うん。面倒くさいね」
「何だか、私が断ってるのに、断られてると思ってないみたい」
「……うん。そんな感じだったね」
「それに、あの人の言い方……。私の夢を叶えてあげたいとか、誰よりも大切にしたいとか。商談であんなこと言われても困るよ」
エミリアは、嫌そうに眉を寄せた。
「普通に出資の話をしてくれれば、それはそれで検討できるのに」
「……でも、製造をほかの人に任せるのは、ちょっと面白いかもね」
「そうなの! 私もそれは考えてたんだ」
二人はしばらく、どんな商品ならほかの職人にも作れるかを話し合った。いつか実現できたらいい。そんな話だった。
一方、帰路についたレオンハルトは、商談を思い返していた。
エミリアは、自分の提案に興味を示していた。もっと多くの人に作品を届けたいとも言っていた。それなのに、最後には断られてしまった。
理由は明らかだった。
あの姉だ。
仕事が増えるから嫌だ、今の方が楽だと、そればかりだった。エミリアのような才能ある女性が、怠惰な姉のために可能性を閉ざされている。
レオンハルトは、エミリアを気の毒に思った。
自分なら、彼女の夢を叶えてあげられる。工房を大きくし、優秀な職人を集め、誰もが羨むような生活を用意できる。
そうすれば、彼女もきっと分かってくれるだろう。
自分がどれほど彼女のことを大切に思っているのか。
そして、誰よりも彼女を幸せにできるのが、自分なのだということを。




