1.天才姉妹の小さな工房
ソレイア共和国の商業都市に、評判の魔導刺繍工房があった。経営しているのは、クララとエミリアのヴァルテン姉妹。姉は魔導刺繍の技術開発を、妹は服飾デザインと商品企画を担当している。
二人の作る魔導服飾品は人気があった。温度を調整する外套、衝撃を和らげる防護服、歩行を補助する靴。そして、着用者の動きに合わせて光の花を咲かせるドレス。注文は絶えず、工房の経営も順調だった。ただし、工房はいつまで経っても小さいままだった。
「お姉ちゃん! 起きて!」
「……んー」
「もうお昼だよ!」
「……まだお昼でしょ」
「今日はお客様がいらっしゃるの!」
「エミリアが対応すればいいじゃない」
「もちろんそうするけど、お姉ちゃんにも会いたいって」
「……私はいないことにして」
クララは毛布を頭までかぶった。かつて朝から晩まで魔導刺繍を作り続けていた姉は、独立してからすっかりぐうたらになっていた。仕事がない日は昼過ぎまで眠り、起きればお菓子を食べ、気が向くと研究を始める。そしてまた眠る。
エミリアは、そんな姉の生活を悪いことだとは思っていない。ただ、できればもう少しだけ働いてほしかった。
*
午後、工房に一人の青年が訪れた。名をレオンハルトという。共和国の有力な服飾商会に勤める青年で、身なりがよく、物腰も柔らかい。礼儀作法にも隙がなく、いかにも商家の子息という印象だった。
「お会いできて光栄です、エミリア様。以前から、ぜひ一度お話ししたいと思っておりました」
「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
レオンハルトは工房の商品を見て回り、魔導刺繍の美しさを絶賛した。エミリアも、自分の作品を褒められるのは嬉しかった。しかし、図案の仕組みについて説明し始めると、彼の関心は別の方向へ向かった。
「ところで、エミリア様は普段もこうしたドレスをお召しになるのですか?」
「いえ。普段は作業しやすい服を着ていますよ」
「それはもったいない。あなたほど美しい方なら、毎日でも素敵な衣装をお召しになればよいのに」
「ありがとうございます。でも、刺繍をするときは動きやすい服の方が便利ですから」
レオンハルトは笑顔で頷き、今度は彼女の手元へ視線を落とした。
「……指先に、少し傷がありますね」
「ええ。針を使う仕事ですから」
「お綺麗な手なのに。傷が残らないとよいのですが」
エミリアは、自分の指先を見た。そこには、小さな針の傷がいくつかあった。今では別に気にならないものだった。
しかし、レオンハルトは妙に長くその手を見つめていた。エミリアは何となく落ち着かなくなり、手を引っ込めた。
「そういえば、あなたが祖国の社交界で活躍されていた頃のお姿を、絵姿で拝見したことがあります」
「そうなんですか」
「淡い青のドレスをお召しになっていたでしょう。あの頃のあなたは、まるで一輪の花のようでした」
エミリアはその衣装を覚えていた。自分が作ったことになっていた、姉の作品だった。
「あれは、姉が作ったドレスなんです」
「そうでしたか。ご姉妹で協力されていたのですね」
「……ええ、まあ」
「今も十分お美しいですが、あの頃のように着飾れば、きっとまた社交界の注目を集めるでしょう」
エミリアは微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、今は魔導刺繍を作っている方が楽しいんです」
「……実にもったいない」
レオンハルトは、いかにも残念そうに言った。
エミリアは、早く帰ってほしいと思った。
作品を見ているときよりも、自分を見ているときの方が、男の目はずっと熱心だった。何を説明しても、話が自分の容姿や私生活へ戻ってくる。そのたびに、相手がこちらの言葉をほとんど聞いていないような気がした。
社交界では、そういう男性にも何度か会ったことがある。
もっと露骨な人もいたし、もっと上手に隠す人もいた。しかし、何となく分かるのだ。相手が自分を一人の人間として見ているのか、それとも、何か別のものとして眺めているのか。
エミリアは、接客用の笑顔を崩さないまま、商談を切り上げた。
*
「……お姉ちゃん、今日のお客様なんだけど」
「ん?」
夕方、ようやく起きてきたクララは、お菓子を食べていた。
「ちょっと、気持ち悪かった」
「……えっ」
クララは、珍しく手を止めた。
「何かされたの?」
「ううん。何もされてないんだけど……」
エミリアは少し考えた。
「あの人、こっちを見るときの目がちょっと……嫌なの。何て言えばいいんだろう」
「……ふうん」
「ずっと見られてる感じがして。何だか、服を着てるのに裸を見られてるみたいで」
クララは、顔をしかめた。
「……それは嫌だね」
「うん。もう会いたくないな」
「じゃあ、もう仕事受けなきゃいいんじゃない?」
「そうだね」
クララの返事は早かった。エミリアは社交界で培った勘から、クララは面倒な仕事を増やしたくないという理由から、二人ともその男には関わらない方がよいと判断した。
ところが数日後、レオンハルトから一通の手紙が届いた。
姉妹の工房に対する、大規模な事業提案だった。




