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「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


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57 国王エルヴィス――退位勧告

 白い封筒は、侍従長室を通って届いた。


 その時点で、もう気に入らなかった。マリーシアから私への文である。

 なぜ、侍従長室を通る。なぜ、封の状態を書いた控えが添えられている。

 なぜ、妻でも母でもない側妃からの私信が、まるで国境伯からの報告のように盆に載せられている。

 私は封筒を手に取った。白い。

 マリーシアなら、黄色を選びたがったはずだ。

 南の離宮では、彼女は黄色い花、黄色いリボン、明るい窓掛けを好む。白い封筒は、彼女らしくない。

 封蝋は少し流れていた。端が歪んでいる。

 書いた時、手が震えたのだろう。

 それを見ただけで、胸の奥が熱くなった。


「これは誰が調べた」


 私は訊いた。侍従長は、いつものように一礼した。


「侍従長室でございます」

「私宛の文をか」

「南の離宮から陛下へ向かう御文につきましては、現在、必要な確認を」

「誰が必要と決めた」

「王太后陛下の御指示でございます」


 ――母上。


 また母上だ。私は封を切った。中の書面を取り出す。

 最初に目に入ったのは、下の方にある小さな水の跡だった。


 ――涙だ。


 マリーシアは泣きながら書いた。それを侍従長室で開け、写しを取り、王太后の机に載せた。泣いた女の文を。

 私は書面を広げた。


 ――最近、王宮の皆様の御様子が少し変です。

 ――わたくしには何も教えていただけません。

 ――王妃様へのお見舞いも、公爵夫人から冷たいお返事が来ました。

 ――わたくしは、悪いことをしたのでしょうか。

 ――この子のことも、皆様あまり口にしてくださいません。

 ――わたくし達は、歓迎されているのでしょうか。

 ――陛下だけは、どうか本当のことを教えてくださいませ。


 ――本当のこと。


 その字だけ、少し太い。

 ペンにインクが多くついたのだろう。いや、手に力が入ったのかもしれない。そのすぐ下に涙の跡。

 私は書面を机の上へ置いた。置いたはずだったが、指はまだ書面の端を押さえていた。

 誰がこの子を、ここまで追い込んだ? マリーシアは明るい女だった。

 笑う。すぐ喜ぶ。少し拗ねる。甘い菓子を欲しがり、花を見て声を上げ、私の袖をつまむ。

 それが今、白い封筒で、涙の跡がついた文を寄越している。


「セレスタは何をしていた」


 侍従長が答える前に、私は続けた。


「コリンナ殿は。女官長は。母上は。そなた達は、あの子を守るためと言って囲んでいたのではないのか」

「側妃様の御身は、皆でお守りしております」

「守っている女が、なぜこんな文を書く」


 侍従長は答えなかった。答えないのは、答えられないからではない。答えを選んでいる。

 その顔が、また腹立たしい。


「言え」

「側妃様は、御自身が隔てられていることに気づかれたのだと思われます」

「隔てているのは誰だ」

「御身を守るため、王宮内の情報を制限しております」

「それを隔てていると言うのだ」

「はい」


 あまりに素直に認めたので、私は一瞬言葉を失った。


「なら、やめればよい」

「すべてをお知らせすることはできません」

「なぜだ」

「側妃様が、不安定になっておいでだからです」


 私は机を叩きそうになった。だがやめた。かわりに、手紙を持ち上げる。


「この文を読んで、その言葉が出るのか」

「はい」

「泣いているのだぞ」

「だからでございます」

「泣いている女を、証拠扱いするのか」


 侍従長の顔は変わらない。だが、視線だけが少し暗くなった。


「陛下。この御文は、側妃様が現在、公的な重さに耐えきれていないことを示しております」

「耐えきれていない?」

「はい」

「王宮があの子へ重くしているからだろう」

「側妃というお立場そのものが、重いのでございます」

「だから支えればよい」

「支えております」

「支えられているはずの女が、私に『本当のことを教えて』と泣いている」


 私は文を机に戻した。

 涙の跡が、光の角度で少し濃く見える。この跡を、あの男達は控えに書いたのか。


 ――水濡れ跡。

 ――文書状態。


 そう書いたのか。


「側妃様は、御自身が()()()遠ざけられているのかをご存じありません」


 侍従長が言った。


「それなら教えろ」

「何をでございますか」

「本当のことだ」


 言ってから、私はマリーシアの字を見た。


 ――本当のこと。


 彼女は、それを求めている。陛下だけは、と書いている。

 ならば、私が答えるべきではないか。


 ――夫人達がなぜ遠いのか。

 ――王妃の療養がどう扱われているのか。

 ――なぜ公爵家が文を止めたのか。

 ――なぜ母上や侍従長が、マリーシアを公の場から下げようとするのか。


 いや、そこまでは言わなくてよい。彼女をさらに傷つける必要はない。

 ただ、そなたは悪くない、と。私が守る、と。王宮はそなたと子を歓迎すべきだ、と。

 それが本当のことだ。


「返事を書く」

「陛下」

「止めるな」

「止めるのではございません。文面を」

「文面まで見るのか」


 侍従長は頭を下げた。


「現在、南の離宮へ向かう御文は、王太后陛下より」

「母上はどこまで私の文を見るつもりだ!」


 声が大きくなった。扉の外で、誰かが動く気配がした。

 侍従長はそれでも下がらない。

 この男は、昔からそうだ。父の代から王宮に仕える家の男。礼儀を崩さない。

 だから余計に邪魔な時がある。


「私は、マリーシアへ返事を書く。誰も隔てていない、そなたは悪くない、安心しなさい、と」

「それは、事実と異なります」


 私は侍従長を見た。


「何が異なる」

「側妃様は、現在、()()()()()()()()()()()()()

「だから、やめると言っている」

「やめられません」

「なぜ」

「王宮が、側妃様の御感情に合わせて動けば、さらに混乱するためです」


 ――感情。


 その言い方。


「マリーシアの涙を、混乱の原因と言うのか」

「原因の一つではあります」

「侍従長」

「はい」

「そなた、自分が何を言っているか分かっているのか」

「はい」


 即答だった。

 私は椅子から立った。文を手に取り、窓辺へ歩いた。

 南の離宮が見える。遠い。あの屋根の下で、マリーシアが返事を待っている。

 今すぐ行けばよい。文など要らない。私が行って、言えばよい。


 ――そなたは悪くない。

 ――皆が難しくしている。

 ――王妃のことは、王と王太后と公爵家で話す。

 ――そなたは子を守れ。

 ――そして、この子は祝われるべきだ。


「南の離宮へ行く」


 私が言うと、侍従長が一歩前へ出た。


「陛下、本日は王太后陛下との御面会が」

「後にしろ」

「王太后陛下より、至急とのことでございます」

「マリーシアも至急だ」

「側妃様には、セレスタ夫人が」

「セレスタ夫人がいるから、この文になったのだろう」


 私は手紙を振った。紙が音を立てる。

 薄い紙の音。泣いた女の文を、こんなところで振るなと、どこかで思った。

 でも止まらなかった。


「陛下」


 扉の向こうから声がした。侍従が入ってきた。顔が少し青い。


「王太后陛下がお越しです」


 母上は、返事を待たずに入ってきた。イルマ叔母上も一緒だ。


 ――イルマ叔母上が。


 その顔を見た瞬間、今日の話が軽いものではないと分かった。

 母上だけなら、まだ止める、叱る、諭すで済む。イルマ叔母上がいるなら、《《王家の話》》になる。


「陛下」


 母上は私を見た。それから、私の手にある手紙へ視線を落とした。


「読まれたのですね」

「読みました」

「なら、こちらへ」

「私は今、南の離宮へ行くところです」

「行かせません」


 即答だった。

 母上の声は、冷たくはない。ただ、扉のように閉じていた。


「なぜです」

「この文を理由に陛下が動けば、側妃殿は今後も泣いて陛下を動かすことを覚えます」

「母上」

「言葉を飾らず申し上げます」


 母上は、私の前へ進んだ。


「側妃殿は、今、公の重さに耐えられていません。御身を守るためにも、腹の子を守るためにも、王宮の中心へ出してはなりません」

「それは、あの子を閉じ込めるということか」

「違います。下げるのです」

「同じだ」

「同じではありません」


 イルマ叔母上が口を開いた。静かな声だった。


「閉じ込めるのは罰です。下げるのは保護です。ですが、側妃殿がその違いを理解できていないのは事実でしょう」

「理解できるように教えればいい」

「誰が」

「セレスタ夫人やコリンナ殿が」

「すでに疲弊しています」

「ではフレイアが」


 言った瞬間、部屋の空気が変わった。

 母上の表情の強ばる。イルマ叔母上の目が、はっきり鋭くなった。侍従長が、わずかに頭を下げた。

 私は自分の言葉を反芻する。


 ――ではフレイアが。


 それの何が悪い。フレイアは王妃だ。

 側妃の扱いを教えるのも、王妃の務めではないのか?


「陛下」


 イルマ叔母上が言った。


「今の一言を、もう一度おっしゃいますか」

「フレイアなら、分かると言っただけです」

「分かるから使うのですか」

「使うとは言っていない」

「言っているのです」


 叔母上の声は、まだ低い。だが、そこには鋭い刃があった。


「教える、きちんとさせる、戻れば落ち着く。言葉を替えているだけです。中身は同じ。療養中の王妃を、王宮の穴埋めに戻そうとしている」

「穴埋めではない。王妃として」

「王妃として働かせるのですね」

「当然だろう?」


 言ってから、また冷えた空気が部屋に落ちた。


 ――当然。


 私は、当然と言った。

 母上が目を伏せた。イルマ叔母上は、しばらく私を見ていた。


「今ので、充分です」


 叔母上は言った。


「……何がです?」

「王太后陛下」


 叔母上は、母上へ向き直った。


「もう、先延ばしはなりません」


 母上は頷いた。何を頷いている? 何が、もう、なのだ?


「陛下」


 母上が言った。


「本日の御面会では、王妃陛下の帰還についてではなく、陛下御自身のお立場について話します」

「私の立場?」

「王としての」


 私は笑いそうになったが笑わなかった。――笑える話ではない。


「私が王です」

「はい」


 母上はまっすぐ答えた。


「だからこそ、話します」


 イルマ叔母上が、侍従長へ目を向けた。


「アレクシス殿下は?」

「王太后陛下のお部屋にてお待ちです」

「宰相、儀典長、外務官は」

「同じく」


 私は侍従長を見た。

 いつの間に。いつから。私の知らないところで、誰が何を集めていた。


「会議ですか?」


 私が言うと、母上は首を振った。


「会議ではありません」

「では何だ」

「勧告です」


 その言葉は、すぐには意味を持たなかった。

 勧告。誰へ。何の。

 イルマ叔母上が、静かに続けた。


「退位の勧告です」


 手の中の手紙が、かさりと鳴った。

 マリーシアの文だ。涙の跡がある。

 本当のことを教えてくださいませ、と書かれた文。

 私はそれを握りしめていた。

 書面の端が、少し曲がった。



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