54 国王エルヴィス――備品などではない
公爵家からの文を読んだ時、最初に目に入ったのは最後の一行だった。
――王妃陛下は、王宮の欠損を埋めるための備品ではありません。
備品――?
私は、その字をしばらく見た。
誰がそんなことを言った。私はフレイアを備品などと思ったことはない。王妃だ。
私の妻であり、この国の王妃であり、五年のあいだ王宮を支えてきた女だ。
仕事ができる。儀礼も寄付も夫人達の扱いも、よく分かっている。だから必要だと言った。
それが、なぜ備品になる?
机の上には、公爵家からの文が広げられている。
――側妃マリーシアから王妃宛に見舞いの文が届いたこと。
――王妃には見せていないこと。
――今後、王妃宛の文、見舞い、王宮関連報告は、公爵家当主がすべて確認すること。
――王妃の療養を妨げる内容は通さないこと。
――王妃の帰還について、医師の診断なく語ることを控えるよう求めること。
――側妃教育、王宮運営、茶会、礼拝、寄付、外交その他一切を理由に、王妃の療養を短縮することは認めないこと。
そして、備品。
怒りにまかせてペンを取ったが、すぐには書けなかった。
インクがペン先に重く乗る。私はそれをインク壺の縁で落とした。
「侍従長」
「はい」
侍従長は扉の側に控えていた。この男は最近、私の執務室にいる時間が長い。
用があるからではない。私が何か書く前に、止めるためだ。
そう思うと、また腹の底が熱くなる。
「公爵は、私を侮辱しているのか?」
「公爵閣下は、王妃陛下の療養を守るために申し上げているものと存じます」
「備品と書いてある」
「はい」
「私は、フレイアを備品などと言っていない」
「はい」
「なら、これは侮辱だ」
侍従長は、すぐには答えなかった。
答えない。最近、誰もすぐに答えない。
母上も、宰相も、外務官も、侍従長も。
まるで私が先に間違うのを待っているように、言葉を置く。
「何だ」
「公爵閣下は、陛下の御言葉そのものではなく、王宮が王妃陛下を必要とする理由について述べておられるのかと」
「王宮に必要だと言って、何が悪い」
「悪い、とは申し上げておりません」
「なら」
「療養中の御方へ向ける言葉としては、重すぎるのでございます」
――重い。
また、そのような言い方をする。
私は手元の書面を指で押した。備品の字の下あたりに、折れ目がついた。
「フレイアは王妃だ。王妃が王宮に必要なのは当然だろう」
「はい」
「王妃府は、彼女がいた時には動いていた」
「はい」
「今は止まっている」
「一部は、別の部署に移しております」
「移せば済むなら、なぜこの二月、皆困っていた」
侍従長は、また黙った。
ほら見ろ。移せば済むわけではない。フレイアが戻れば済むのだ。
「王妃陛下の御務めが、王妃陛下一人へ寄りすぎていたためでございます」
侍従長は静かに言った。
「それを戻せば、同じことになります」
「戻ることが悪いのか」
「戻し方の問題でございます」
「また問題か」
私は椅子から立った。窓の外を見る。南の離宮の屋根が、少しだけ見える。
あちらにはマリーシアがいる。公爵家にはフレイアがいる。
母上は、自分の部屋で書面を並べているのだろう。王宮の中で、皆がそれぞれの書類を持っている。
私は王であるのに、私の前にだけそれが後から来る。
「フレイアは、もう二月休んでいる」
私は言った。
「公爵家の文では、焼き林檎を食べたとも聞いた」
侍従長の視線が、わずかに下がった。
「それは、公爵家から陛下へ」
「母上から聞いた」
正確には、母上の部屋で誰かが口にしたのを、後で侍従から聞いた。
――焼き林檎を半分。
皆、《《そのようなこと》》を大事にしている。
それはそれでよい。食べられるようになったなら、回復しているということだ。
「半分とはいえ食べられるなら、少しずつ文も読めるだろう」
「陛下」
「何だ」
「医師の診断では、王宮関連の文書は避けるように、と」
「見舞いもか」
「側妃様の御文は、茶会、礼拝、夫人方への御指南、王宮の安定、御帰還について触れております。見舞いの形であっても、王宮関連の内容でございます」
「マリーシアは悪気で書いたのではない」
「存じております」
「彼女は、フレイアに教えてもらいたいと思っただけだ」
「はい」
「それを、公爵家はあのように」
私は机へ戻り、マリーシアの文の写しを手に取った。
丸い字。少し幼い。だが、優しい文ではないか。
――王妃様がお戻りになりましたら、茶会のこと、礼拝のこと、夫人方とのおつきあいのことなど、ぜひ教えていただきとうございます。
――陛下も、王妃様が戻られれば王宮が落ち着くとおっしゃっておりました。
――この子も、王妃様にお目にかかれる日を楽しみにしていると思います。
マリーシアは、王妃を拒んでいない。むしろ、迎えようとしている。
側妃が正妃を敬い、教えを乞おうとしているのだ。
それの何が悪い?
「陛下」
侍従長が、低い声で言った。
「側妃様の御文は、王妃陛下が健康でいらしたなら、また別の受け止め方もあり得たかもしれません」
「なら」
「しかし、王妃陛下は療養中でございます」
分かっている。誰もがそれを言う。
療養中、療養中、療養中!
その言葉で、王妃は王宮から切り離され、私は公爵家に文も通せなくなる。
「では、いつまで療養なのだ」
私は言った。
「公爵家がよいと言うまでか。医師がよいと言うまでか。母上がよいと言うまでか。フレイア本人はどうなのだ。彼女は王妃だぞ」
「王妃陛下御本人の御意向は、御体調が戻られてから伺うことになるかと」
「今は聞かないのか」
「お聞きすれば、王妃陛下は王妃として答えようとなさるでしょう」
「それの何が悪い」
侍従長は、少しだけ目を伏せた。今度は、はっきりと。
「今は、王妃として答えなくてよいようにすることが、療養でございます」
その言葉が、妙に静かに部屋へ落ちた。私はすぐに返せなかった。
――王妃として答えなくてよいようにする?
では、フレイアは今は何だというのだ。公爵家の娘か。病人としてか。ただの女としてか。
それでよいのか? 王妃なのに。
「返事を書く」
私は言った。侍従長が顔を上げる。
「公爵へだ。王妃への見舞いを公爵がすべて止めるのは行き過ぎだ。少なくとも、私の文は通すべきだ」
「王太后陛下へ、先に」
「必要ない」
「陛下」
「私は夫だ」
声が大きくなった。扉の外にいた者にも聞こえただろう。
もう構わない。
「王妃へ文を出すのに、母上と公爵の許しを取るのか」
「許しではございません。療養を守るための確認でございます」
「同じだ」
私はペンを取った。今度は、インクを落としすぎないようにした。
紙に書く。
――ディート公爵へ。
――王妃への見舞い文を公爵家がすべて検めるとの件、行き過ぎと見る。
――王妃は我が妻であり、この国の王妃である。
――療養は認めるが、王宮との縁を断つものではない。
そこまで書くと、侍従長が一歩前へ出た。
「陛下、その文は」
「止めるな」
「王太后陛下より、陛下から公爵家へ出る文は」
「止めるなと言った」
侍従長は、それでも止まらなかった。
机の前に立つ。手は出さない。しかし、立つ。
「陛下。その文をお出しになれば、公爵家の態度はさらに硬くなります」
「すでに硬い」
「これ以上です」
「それでどうなる」
「王妃陛下への御文は、すべて返されるでしょう。公爵家は、王太后陛下へ写しを回します。イルマ殿下にも。宰相府にも、必要なら」
「脅しているのか」
「事実を申し上げています」
事実、事実、事実! 事実ばかりだ。誰も、私の《《気持ち》》を言わない。
王として。夫として。父になる者として。
マリーシアは泣いている。王妃は実家にいる。王宮は痩せている。
私はそれをどうにかしようとしているのに、皆が止める。
「出す」
私は言った。侍従長は、少しだけ息を吸った。
「かしこまりました」
引いた。
引いたが、従ったようには見えない。彼はきっと、この文を母上へ上げる。
それでもよい。私は書き続けた。
――王妃の帰還については、医師の診断を尊重する。
――しかし、王妃本人の意思を確認せず、公爵家のみで王宮との接触を断つことは認め難い。
――近く、王妃への正式な見舞いの使者を送る。
吸い取り紙を乗せ、外す。認め難い、の字が少し太く写った。
私は文を折り、侍従長へ差し出す。
「公爵家へ」
侍従長は受け取り、礼をした。その顔は変わらない。
変わらないが、この文がそのまま公爵家へ行かないことは分かっていた。
分かっていて、それでも渡す。もう、誰がどこで止めるのかを見ればよい。
私は椅子に座った。
机の端には、マリーシアの淡い花柄の封筒が置かれている。
その封筒だけが、この部屋でただ一つ柔らかなものだった。




