5 王妃付き侍女リーナ――「フレイア様は、お疲れです」
「王妃陛下は、ディート公爵閣下へ私信をお出しになっただけでございます。私は、陛下のご様子を見て、急ぎと判断いたしました」
フレイア様の唇が少し動きました。
私は机の上の帳面をそっと閉じました。施療院の帳面です。赤いインクの線は、まだ端に残っております。
「東部の施療院へは、午後に私が下書きを整えます。陛下は確認だけなさってくださいませ」
「茶会は」
「西方侯爵夫人には、庭の白い花を多めに。昨日、お好きだと仰っておられました」
「北方伯爵家の返礼は」
「銀細工の方に。真珠は避けます」
「礼拝の席順……」
「控えはございます。私が儀典長へ届けます」
フレイア様は、机の上を見ました。
積まれたものは減っておりません。けれど、どこに手を伸ばすかは決まります。今日くらい、私が先に手を出してもよろしいでしょう。
そう思ったところで、扉の外に控えていた若い侍女が身じろぎしました。私は振り向きます。
「マルクを呼んで。公爵家から来た馬丁のマルクです。王妃府の厩ではなく、西の小厩へ。馬は軽い方を。途中で替えを取るように言ってください」
「はい」
「それと、厨房へ。王妃陛下のお昼は、温かいものを。噛まずに済むものがいいです。卵と鶏のスープを」
若い侍女は、そこで一瞬だけフレイア様を見ます。私は少しだけ声を低くしました。
「急ぎなさい」
「はい」
侍女が走ります。廊下で靴音が遠ざかっていきます。
フレイア様は、封じた赤い蝋のあたりを見ておられました。もう手元にはないのに、そこにあるように。
「リーナ」
「はい」
「大げさにしないで……」
私は封書を両手で持ちました。赤い蝋が、まだ少し温かい。
「大げさではございません」
そう申し上げてから、礼をしました。
「遅すぎるくらいでございます」
フレイア様の返事を待つ前に、私は扉へ向かいました。
廊下に出ると、王宮はいつもの音で満ちていました。侍従の足音。遠くの笑い声。銀盆にカップを置く音。次の謁見へ向かう誰かの声。
その中を、封書を抱えて歩きます。
走れば、誰かが見る。誰かが見れば、誰かが尋ねる。尋ねられれば、答えを作らねばなりません。
だから歩きました。背筋を伸ばし、封書を胸に当て、いつも通りの足取りで。
西の小厩へ曲がる廊下に入ったところで、裾を少しだけ持ち上げました。靴音が速くなります。角を曲がると、馬の匂いがしました。
マルクは、もう鞍を出していました。若い侍女が先に伝えたのでしょう。早いですね。よいことです。
「公爵家へ」
私が封書を差し出すと、マルクは自分の手を見ました。
馬丁の手は大きく、爪の間に土が入っております。その手が、封蝋の紋を見るなり、腰の布で拭われました。汚れた手で受け取るものではないと思ったのでしょう。
ええ、この王宮で、わかっている者はまだおります。
「公爵閣下へ、直接。途中で誰にも渡さないでください。王妃府からの公文ではございません。フレイア様からディート公爵閣下への私信です」
「承知しました」
「道中で宰相府の使いに会っても止まらないように」
マルクの眉が動きました。
「《《そこまで》》ですか」
「《《そこまで》》です」
馬が鼻を鳴らしました。
私は封書を渡します。マルクは胸の内側へ入れ、上着の留め具をかけました。
「替え馬は」
「南門を出て二つ目の宿場で取れます。公爵家の印を見せれば」
「よろしい。日暮れ前に」
「飛ばします」
「馬を潰してはなりません」
「潰しません」
短い返事でした。こういう返事は信用できます。
私はうなずきました。マルクは馬の腹帯を締め、手綱を取ります。蹄が石を打つ音がして、小厩の扉が開きました。
外の光が入ります。馬が一歩、外へ出ました。
その背が門の方へ向かうのを見ながら、私は両手を前で重ねました。手袋の中で、指がまだ熱い。
――フレイア様は、お疲れです。
その一言を、ようやく外へ出せた気がいたしました。




