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「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


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4 王妃付き侍女リーナ――私の判断でございます

「リーナ」

「はい」


 フレイア様は、便箋の一行目を見ておられました。


 ――お父様。


 それだけです。

 それだけで、私はもう、公爵閣下のお顔を思い浮かべておりました。


 ディート公爵閣下は、無駄に声を荒げる方ではございません。

 フレイア様が公爵家にいらした頃、私は何度か遠くから拝見しております。広間でお声をおかけになる時も、庭で犬を呼ぶ時も、だいたい同じ高さの声でした。

 ただ、フレイア様が十六の時、乗馬の帰りに手袋を片方失くされたことがございました。白い手袋です。探しても見つからず、フレイア様は謝っておられました。公爵閣下はしばらく手袋の片方を見て、それから馬丁へ「道を戻れ」とだけお命じになりました。馬丁はすぐ走りました。

 その時の声を、今も覚えております。

 低い声でした。

 けれど、怒鳴るよりずっと、人を動かすことができる声でございました。

 ……今は、あの声が必要です。


「陛下」

「何かしら」

「お手紙は、事実だけでよろしいかと存じます」


 フレイア様の指が、ペンの軸を撫でました。


「……事実」

「はい。陛下が側妃をお迎えになること。入内が十日後であること。マリーシア様がレーヴェ伯爵家の分家にあたる子爵家の御令嬢であること。すでに御子を宿していると陛下が仰せであること。王宮医の診断がまだであること。南の離宮を望まれていること。準備を王妃府へ一任されたこと」


 並べながら、自分の声の端が固くなるのがわかりました。

 私は頭の中で適切な言葉を探します。

 侍女の言葉は、刃物ではございません。けれど刃物でなくとも、切れることはございます。


「叔母君、イルマ殿下へ前例のご確認を願いたい、と添えれば、公爵閣下には通じます」


 フレイア様は、そこで私を見ました。目元に疲れが出ております。

 今朝の化粧で隠したはずの薄い影が、昼前には戻ってきていました。昨夜も遅くまで北方伯爵家への返礼品を見ておられたからです。

 真珠ではなく銀細工にした方がよい、とお決めになったのは、北方伯爵家の若奥様が金属の強い飾りを好まないからでした。

 ……そんなことまで覚えておられる方が、今、ご自分のことをどこに書けばよいかわからずにいる。


「リーナ」

「はい」

「お父様は、怒るかしら」

「お怒りになります」


 フレイア様の指が、ペンの軸で止まりました。

 私は膝を折りました。床へ近づくと、机の下に小さな紙片が落ちているのが見えます。昨日の封筒の端でしょう。フレイア様は昨日、封蝋を剥がす時に指を切られました。爪の横に、まだ赤い筋が残っています。


「公爵閣下は、お怒りになります」


 もう一度申し上げました。


「王妃陛下が何かをなさったからではございません」


 そこは間違えさせてはなりません。フレイア様は、すぐご自分の仕事へ話を戻す方です。

 怒られる理由すら、自分の手落ちに変えてしまうことがあります。

 南の離宮の準備が遅れたから。王太后陛下への報告順が悪かったから。伯爵家本家への根回しが足りなかったから。そういうところへ持っていこうとなさる。

 ――持っていかせません。


「陛下が、助けをお求めになる前にここまで削られたことに、お怒りになります」


 ペンの先が、紙に落ちました。点がひとつ、白い便箋にできました。

 フレイア様はその点を見つめ、それから小さく息を吸われました。


「……そう」

「はい」

「では、事実だけ」

「はい」


 フレイア様は、ゆっくり書き始めました。

 字は細いままでございます。けれど、今度は続きました。


 ――陛下が、側妃を迎えられます。

 ――入内は十日後とのこと。

 ――お相手はマリーシア様。レーヴェ伯爵家分家の子爵家の御令嬢です。

 ――すでに陛下の御子を宿していると、陛下より伺いました。

 ――王宮医の診断は、まだ受けておられません。

 ――南の離宮を望まれています。

 ――準備は、王妃府へ一任されました。


 ペンが止まります。次の一行を待つ間に、廊下から侍従の声が聞こえました。

 陛下ではございません。次の謁見の準備に走る者たちです。いつも通りの王宮。誰もまだ、何が折れたか知りません。

 フレイア様はペンを持ち直しました。


 ――可能でしたら、イルマ叔母様に前例をご確認いただけますでしょうか。


 そこでペンが置かれました。


「これで」

「はい」

「封を」

「承知いたしました」


 便箋を乾かします。吸い取り紙でインクを取り、紙を折る。そして公爵家へ出す私用の折り方をします。

 王妃府の正式文書とは違います。嫁がれた日に、公爵家の家令から私が教わりました。


 ――フレイア様からご実家へ出すものは、この折り方で。


 家の者は、それで急ぎかどうかわかります。今日ほど急ぎのものが、これまであったでしょうか!

 封蝋を温めます。公爵家から持参された小さな印章を、フレイア様へ差し出しました。フレイア様はそれを取ります。指先が白くなっていました。

 蝋に印が沈みます。公爵家の紋が、赤い蝋の中に出ました。

 私は封を受け取り、胸の前で一度礼をしました。


「すぐに出してまいります」

「王妃府の使いで」

「いいえ」


 フレイア様が顔を上げます。私はもう一度、礼を深くしました。


「公爵家から付き従っております者を使います。王妃府の使いでは、途中で宰相府に寄ります。宰相府に寄れば、誰かが読む理由を探します」

「リーナ」

「私の判断でございます」


 ここだけは、先に申し上げました。

 責められるなら、私の判断です。フレイア様のせいにさせません。


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