表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/67

44 ルブラン公国随行書記官マティアス――王の一瞬の失言

 王都の門をくぐった時、最初に見えたのは花ではなく、布だった。


 馬車の窓から、迎えの一団が持つ箱の上に掛けられた灰青の布が見えた。

 山岳修道院の祭壇布に近い色である。

 派手ではない。春の使節を迎える色としては、むしろ地味に見えるだろう。

 けれど、私はその布を見て、まず羽ペンを手帳の上に置いた。


 ――覚えていた。少なくとも、この王国の誰かは覚えていた。


 去年、ルネ卿の婚約者が亡くなった。秋口の熱だった。

 公国では婚約が公にされていたため、婚礼はなかったが喪は立った。赤い花、双鳥の意匠、婚礼菓子。そういうものは、こちらではまだ避ける。

 喪の正式な期間は明けている。

 だが、だからといって、明けた翌年に祝いの鳥を向けられて笑えるかどうかは別である。

 隣に座るルネ卿も、その布を見ていた。

 表情は変えない。若いが、公弟殿下の名代である。馬車の中で指先を膝の上に置き、肩を動かさずに外を見ている。


「灰青だな……」


 小さく言ったのは、使節長のオルヴァン伯爵だった。伯爵は向かいの席で、手袋の親指を直していた。


「はい」


 私は答えた。


「昨年の山岳修道院への返礼にも、同じ色が使われております」

「王妃府の手配か」

「例年なら」

「今年は王妃がいないのだろう」


 ――いない。


 伯爵は、そう言った。療養中、と言わなかった。

 私は手帳へ、短く書いた。


 ――贈答箱、灰青布。喪への配慮あり。


 手帳の端に、馬車の揺れで線が少し曲がる。

 王宮に近づくにつれ、道の両側に立つ衛兵の間隔が狭くなった。槍の穂先は磨かれている。旗の位置も悪くない。

 表はきちんとしている。

 ただ、出迎えの列の後ろで、若い侍従が一人、別の者に何か耳打ちされていた。彼は手に黄色い花の小束を持っていた。すぐに年配の侍従がそれを受け取り、後方へ下げる。

 黄色そのものは悪くない。だが、灰青の箱の横に置くには明るすぎる。

 私は手帳に書くのをやめた。書くほどのことではない。

 ただ、それでも目にはした。


 *


 王宮の広間は春の使節を迎えるには少し静かすぎるほどだった。

 壁際に置かれた花は白と薄い紫。香りは弱い。中央の卓には、鉱山の無事を祈る小さな銀の燭台が置かれていた。

 これはよい。山の民は、銀の光を好む。

 フェリクスという外務官が、迎えの列から一歩出て、私達に礼をした。

 年は私より少し上だろう。顔色は良くない。だが、目はよく動く。

 彼は使節長へ挨拶し、ルネ卿へも短く言葉を添えた。


「昨年の御不幸に際し、改めてお悔やみ申し上げます。また、今年の山道と鉱山の無事を、王宮一同お祈りしております」


 長すぎない。短すぎない。喪をまだ引きずらせず、忘れてもいない。

 ルネ卿が、初めて少しだけ顎を下げた。


「御心遣い、痛み入る」


 その一言で、最初の段は越えた。

 フェリクス外務官の背後で、儀典長らしい男がわずかに目を伏せた。安堵ではない。次の段を見ている顔だった。

 王太后陛下が、女主人役としてお出ましになる。

 王妃席は空いていた。空席には、白い小花が置かれている。小さい。香りはない。

 席を隠さず、そこが空いていることを隠すことなく。

 王妃陛下が療養中であることは、事前に知らされている。春祭礼も控えめに行われたと聞いていた。

 だが、空の椅子に白い花を置くなら、この王宮は王妃の不在を見せることを選んでいる。

 隠すよりはよい。しかし、見せるほどには事情が重い。

 私は手帳の内側に、爪で軽く印をつけ、後で書くことにし、今は、顔を上げておく。

 国王陛下は、少し遅れて広間に入られた。

 背は高い。装いの乱れもない。こちらへ向ける笑みは、悪くない。人好きのする方だと思う。

 ただ、王太后陛下が椅子へおつきになる前に、一度だけ南側の扉へ目を向けた。

 そこには誰もいない。いや、正確には、扉の向こうに女官の気配があった。

 淡い黄色の袖口が一瞬見え、すぐ引いた。

 フェリクス外務官の手が、後ろでわずかに動いた。儀典長が、半歩だけ扉側へ立ち位置を変える。

 小さい。本当に小さい動きだった。

 だが、私達は使節である。小さい動きを見るために来ている。


「遠路、よく参られた」


 国王陛下が言った。オルヴァン伯爵が礼を返す。


「公王殿下より、春の御挨拶をお預かりしております」


 挨拶、書簡、贈答。それらは滞りなく進んだ。

 灰青の布に包まれた箱が開かれる。

 中には染織品と、写本用の上質な羊皮書面、それから山岳修道院へ送る乾燥薬草の小箱が入っていた。

 悪くない。むしろ、よく()()()

 直した、と思ったのは、箱の隅に小さな跡があったからだ。

 そこに一度、別の紐がかかっていた。細い金紐の跡だろう。

 灰青の布には合わない。外したのだ。

 最初から完璧だったわけではない。誰かが途中で見つけて、外した。

 外せる者がいるなら、まだ大丈夫だ。

 ただ、最初にそれがあったことは、書いておかねばならない。


 *


 昼の会食は、短めに整えられていた。

 赤い果実の菓子は出ない。白い鳥の菓子もない。

 食後の甘いものは、蜂蜜を薄く使った丸い焼き菓子だった。悪くはない。強い祝いの意匠もない。

 王太后陛下は、ルネ卿へ一度だけ、山の春はまだ寒かろうと声をかけた。

 ルネ卿は、山道の雪解けは遅いと答えた。

 よい会話だった。

 フェリクス外務官は、会食中ほとんど口を挟まない。ただ、給仕が皿を置く位置を一度だけ目で止めた。皿はそのまま、半歩ずれて置かれた。

 儀典長は、王妃席の空位が目立ちすぎないよう、花の高さを途中で少し下げさせた。

 細かい。細かいが、必要なことだ。

 国王陛下は、朗らかに話された。鉱石の買い付け、山道の安全、今年の春の祭礼が静かに行われたこと。そこまではよかった。

 その後、陛下は少し表情を明るくされた。


「我が王宮()()、近く()()()()()()が増えるだろう」


 王太后陛下の指が、茶碗の受け皿に触れた。

 音は小さい。だが鳴った。

 フェリクス外務官が、すぐに言葉を継いだ。


「王妃陛下の御快癒を王宮一同願っております。また、王太后陛下の御差配により、春の行事も滞りなく」


 国王陛下は、少しだけ外務官を見た。遮られたと思われたのかもしれない。

 だが、外務官は顔を変えない。

 オルヴァン伯爵は焼き菓子を小さく割った。ルネ卿は茶を飲んでいる。私も手帳には手を伸ばさなかった。

 今は書かない。


 ――明るい知らせ。


 王宮内にいる側妃のことだろう。御懐妊の噂は、こちらにも届いている。

 正式な通達はまだない。ならば、こちらから触れることではない。

 国王陛下が触れかけ、外務官が止めた。王太后陛下は、止められたことを咎めなかった。

 つまり、王宮内でもこの件は慎重に扱われている。

 その後の会話は、王太后陛下が引き取られた。


 ――山岳修道院の写本交換の話。

 ――昨年送った羊皮書面の質。

 ――こちらの修道士が好むインクの濃さ。


 王太后陛下がそこまで詳しいとは思わなかった。おそらく誰かから控えを受け取っている。

 王妃陛下か。外務官か。今はどちらでもよい。

 会食は、表面上は穏やかに終わった。


 *


 宿舎へ戻る馬車の中で、オルヴァン伯爵はしばらく黙っていた。ルネ卿も、窓の外を見ている。

 王宮から少し離れたところで、伯爵がようやく口を開いた。


「灰青の布はよかった」

「はい」


 私は答えた。


「弔意も、長すぎなかった」

「はい」

「王太后と外務官は働いている」

「そのように見えました」

「儀典長もだ」

「はい」


 伯爵は手袋を外した。指の関節を一つ鳴らす。


「王は」


 そこで言葉が止まった。私は手帳を開いた。


「朗らかな御方でした」

「そう書くのか」

「公的な記録には」


 伯爵は少し笑った。ルネ卿も、窓の外を見たまま口元だけを動かした。


「私的な控えには」


 伯爵が訊く。私はペンを取った。馬車の中なので、字は少し崩れる。


 ――贈答、修正の跡あり。

 ――王妃不在は隠さず。

 ――王太后、外務官、儀典長が補う。

 ――国王、側妃または懐妊に触れかける。外務官が遮る。

 ――王宮内、意思統一に乱れあり。


 そこまで書いた。ルネ卿が、初めてこちらを見た。


「祝賀の赤い花はなかったな」

「はい」

「双鳥も」

「ありませんでした」

「なら、礼は通っている」

「通っています」

「だが、通した者が苦労したのだろう」


 私はペンを止めた。ルネ卿は、窓の外へ視線を戻す。

 若いが、見るところは見ている。


「そう記してよいですか」

「私の名は出すな」

「もちろん」


 私は私的控えの端に、小さく書き足した。


 ――礼は通る。ただし通す側に疲弊あり。


 オルヴァン伯爵は、その文字をのぞき込んだ。


「疲弊か」

「弱いですか」

「いや、よい」


 伯爵は手袋を膝に置いた。


「ただし、今後の山道税の交渉では、相手の返答が遅れる可能性を見ておけ。王妃府が触れていた修道院筋の話も、外務府だけでは拾いきれぬかもしれん」

「では、こちらの修道院経由でも確認を」

「そうしろ」


 公国は小さい。だから、こういうところは早い。

 王国の中央が少し乱れているなら、こちらは自分の道を増やす。

 それは敵対ではない。備えである。

 王宮の門が遠ざかる。

 南側の窓に、午後の光を受けた離宮らしき屋根が見えた。そこだけ、白く明るい。

 馬車が角を曲がると、屋根は見えなくなった。

 私は手帳を閉じた。

 灰青の布のことは、公的報告に入れる。黄色い袖口のことは、私的控えにだけ残す。

 外務官が外した赤い布の跡も。王が明るい知らせと言いかけたことも。

 ルネ卿が、通した者が苦労している、と言ったことも。

 書面を閉じると、表書面の角に小さな菓子の粉がついていた。

 会食の焼き菓子のものだろう。

 指で払うと、馬車の床へ落ちた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ