40 王太后――王宮が少しずつ痩せている
茶会は、つつがなく終わった。セレスタからの報告には、そうあった。
つつがなく。
ここ数日、その言葉を何度聞いたか分からぬ。
側妃マリーシアは失言を控え、陛下を人前で御名では呼ばず、菓子への不満も口にせず、高位夫人三名へ礼を述べた。
ローレン侯爵夫人、カッセル伯爵夫人、グライス夫人は、陛下の招待に応じて南の離宮へ参上した。
茶を飲み、菓子に手をつけ、側妃へ祝いの言葉を述べ、王太后である私への礼も欠かさなかった。
そして、茶会の後、そのまま修道院へ向かった。
女官が報告を読み上げる声は、そこで少しだけ遅くなった。
私は手元の茶碗に指を添える。
「三人ともか」
「はい。馬車は王宮を出た後、西の修道院へ向かったとのことでございます」
「何をしに」
「王妃陛下御快癒祈願の寄付相談、と」
寄付相談。その言葉が、このところやけに多い。
茶会。礼拝。側妃。王の子。
それらの後ろで、布と麦と薬代が動いている。
以前なら、王妃府から書類が来た。
どの修道院へ、どの施療院へ、どの夫人から、何を、どの名目で、どれだけ出すか。私はそれを見て、必要なら印を押した。
たいていは、印を押すだけで済んだ。フレイアは、その前に整えていた。
「北区施療院の薬代は」
「宰相府より、急ぎ支出の手配を進めているとのことです。ただ、グライス夫人とカッセル伯爵夫人からも直接、薬草園支援の名で送金があったそうで」
「宰相府を通さずにか」
「はい」
茶碗の蓋を少し動かす。小さな音がした。
「西の修道院は」
「ローレン侯爵家から麦が出るとのこと。レーヴェ本家からの干し果物も、一部修道院と施療院へ回されております」
「東の孤児院は」
「聖人伝が三箱届いた後、麦粉の照会を宰相府へ。今朝、デュラン男爵家から塩漬け肉と豆が入ったそうです」
善意は動いている。物も動いている。止まっているよりは、ずっとよい。
だが、その流れの中心に王宮がない。王妃府がない。
宰相府は追っているだけだ。
王宮の机に届いた時には、もう夫人達の間で話がついている。
「セレスタは何と言っている」
「側妃様は、茶会に高位夫人がお出ましになったことを喜んでおられるとのことです」
「そうであろうな」
それは、よかったと言うべきか。
マリーシアは、ようやく迎えられたと思っているのだろう。
実際、夫人達は失礼をしなかった。礼は尽くした。言葉も選んだ。
ただ、心を置いては行かなかった。
それが分からぬ者には、あれは成功に見える。陛下にも、おそらく。
「陛下は」
「茶会後、南の離宮へお出ましに。側妃様より、高位夫人方が来てくださったと嬉しそうにお話しがあったそうです」
「それで」
「陛下も、安堵なさった御様子と」
私は茶碗を取った。
口をつける前に、茶の色を見た。少し濃い。
フレイアがいた時は、この時刻の茶はもっと薄かった。誰かが、私の眠りに差し障ると覚えていたのだろう。
今の女官が悪いのではない。聞かれれば答える。ただ、聞かれなければ薄くならない。
「下げなさい」
私は茶碗を戻した。女官がすぐに膝を折る。
「お口に合いませんでしたか」
「少し濃い。夜の祈りの前は、薄く」
「申し訳ございません」
「謝らずともよい。覚えておきなさい」
「はい」
女官は茶器を下げる。盆の上で茶碗がかすかに鳴った。
その音を聞きながら、私は椅子の肘に手を置いた。
――これも、フレイアの仕事だったのか。私の茶の濃さまで。
いや、王妃が自ら茶を淹れていたわけではない。だが、誰かへ伝えたのだ。
この時刻は薄く。頭痛の日は香を控える。礼拝後の茶は少し冷まして。
高齢の夫人には小さな菓子を。膝を悪くしている者には踏み台を。
どれも王妃の大事ではない。
しかし、その小さなものが積もって、王宮は王宮の顔を保っていた。
それが一つずつ抜けている。
壊れたのではない。痩せている。
王宮が、少しずつ痩せている。
*
一月が過ぎた。
南の離宮は明るいようだ。
マリーシアは、庭の花を増やしたがった。王宮医が香りの強いものを止め、セレスタが花の種類を選び、コリンナ殿が持ち込みの鉢を二つに絞った。
陛下は、それを「うまくいっている」と見ていた。
側妃は落ち着き、腹の子も順調。
高位夫人達も、二度目の茶会には出た。施療院への薬代も、宰相府が処理した。
西の修道院には麦が届いた。東の孤児院にも豆と塩漬け肉が入った。
形だけ見れば、確かに回っている。
けれど、私の部屋に届く書類の量は増えた。
王妃府を通さず、宰相府から直接来るもの。夫人方から礼状の写しだけが届くもの。
女官長が判断に迷い、私へ上げてくるもの。儀典長が王妃席の扱いについて、毎回確認してくるもの。
侍従長が、陛下の御意向をどこまで文面に残すか、事前に知らせてくるもの。
どれも、以前はこの形では来なかった。フレイアが受け、分け、あるいは止めていたのだ。
……私はそれを知らずにいた。
知らずにいた、という言い訳はできる。王太后の部屋にまで届かなかったのだから。
だが、届かなかったのは、誰かが届く前に始末していたからだ。
それを「当然」と受け取っていたのは、私である。
「王太后陛下」
セレスタが入ってきた。この半月で、彼女の顔は少しやつれた。もともと細い顔立ちだが、頬のあたりがさらに落ちたように見える。
「側妃様は」
「本日は、午前中に少しお泣きになりました」
「何があった」
「三度目の茶会について、ローレン侯爵夫人より欠席のお返事が」
「また御快癒祈願か」
「今回は、北区施療院の薬草園支援の視察でございます」
「視察」
「はい」
私は手元の書面を見た。そこにも同じ名がある。
――北区施療院。
最近、よく見る。
「マリーシア殿は何と」
「なぜ自分の茶会の日にばかり皆様お忙しいのか、と」
セレスタは、そこで少し言葉を選んだ。
「その後、陛下へお文を」
「出したのか」
「侍従長室を通しました。内容は確認済みです」
「泣き言か」
「寂しい、というものです」
泣き言より厄介だ。
――寂しい。
その言葉は、陛下に届く。
「陛下は」
「南の離宮へ向かわれました」
――やはり。
私は目を伏せそうになって、やめる。閉じれば、疲れが顔に出そうだった。
「セレスタ」
「はい」
「……そなたを、あそこへ置いたことを悪いと思っている」
セレスタはすぐに膝を折った。
「そのようなことは」
「言わずともよい。悪いと思っている」
彼女の手が、膝の上で少し重なった。




