36 北区施療院――責めちゃ駄目なんですか
午後には、書類が増えた。
南区施療院から、包帯はあるが煎じ薬が足りないとの知らせ。
東の孤児院から、王妃陛下御快癒祈願の名で届いた聖人伝三箱の礼状写しと、麦粉の照会。
西の修道院から、布と香油の受領報告、ただし麦不足。
北区施療院からは、エミールが宰相府へ出す再照会。
机の上に並べると、どれも善意にまつわる書面だった。
善意。祈願。祝い。礼。不足。
最後の言葉だけが、書面の下から顔を出している。
エミールは再照会の文を読み返した。
――王妃陛下御療養中の折、恐れながら申し上げます。
――例年春先に賜る薬代配分につき、本年分の確認を願いたく存じます。
――北区では咳熱の患者が増えており、熱冷ましおよび咳止め薬草の補充が急務です。
――王妃府より宰相府へ照会するよう御返答をいただきましたため、改めてお願い申し上げます。
丁寧すぎる。だが、これ以上荒くすると、王宮のどこかで止まってしまうのだろう。
「院長先生」
メリが横からのぞき込んだ。
「……そこ、『急務』じゃ弱くないですか?」
「強い言葉だ」
「こっちは明日の薬を薄める話をしてるんです」
「だが、そのまま書くと、責めているように見える」
「責めちゃ駄目なんですか!?」
エミールはペンを置いた。メリは、今度は引かなかった。
「王妃陛下が療養してるのは分かります。側妃様が入ったのも、それはこっちには関係ないことです。でも、薬が来ないのは関係あります。大ありです! 去年まで来てたものが来ないなら、誰かに言わないと」
「言うために書いているのだ」
「丁寧すぎて、読んだ人が困ってるって分からなかったら?」
「こういうものは、分かる者に届けば分かるのだ」
「分からない人だったら?」
「また書く」
メリは口を開きかけて、やめる。
薬房へ戻るかと思ったが、戻らず、棚の空き瓶を一つ持ってきて、どん、と机の横に置いた。
「これ、持って行かせます?」
「何処へ?」
「宰相府へ! 空です、って」
「やめなさい!」
「駄目ですか?」
「駄目だ!」
「でも、分かりやすいです」
「分かりやすく失礼だ」
メリは少しだけ笑った。疲れた笑いだった。
「……王妃陛下なら、瓶を見なくても分かったのに」
今度は小さな声だった。責めている相手がどこにもいない、行き場のない声。
エミールは、空き瓶を手に取った。軽い。中に残った薬草の匂いだけがある。
「王妃陛下は、去年ここへ来た」
「え」
「熱病の時だ。病室には入らなかったが、入口で話を聞いていった。薬房も見た。あの棚の前で、お前は薬草袋を落とした」
「……落としましたっけ」
「落とした」
「覚えてません」
「王妃陛下は覚えていたかもしれない」
メリは少し困った顔をした。
「そんな細かいことまで?」
「細かいことを見ていた方だったのだろう」
エミールは空き瓶をメリに返した。
「これは棚へ」
「はい」
「書面はこれで出す。ただし、最後に一行足す」
「何て」
エミールはペンを取った。少し迷ってから、文の下に書く。
――なお、昨年王妃府より御確認いただいた北区春先薬代増の件、今年も同様の状況にございます。
――王妃府。
その言葉を入れた。そうすれば、宰相府の誰かが、過去の写しを探すかもしれない。
探してくれれば、赤い印を見る。
――王妃府確認済み。
そこまで行けば、こちらがただ騒いでいるわけではないと分かるだろう。
「それで足ります?」
メリが訊いた。
「足りなければ、シスター・マルタが麦の話を書いてくれる」
「強そうですもんね、あの方」
「ああ、強いぞ」
吸い取り紙を乗せる。少し待って外すと、最後の一行だけ、まだかすかに光っていた。
乾くまで待つ時間が惜しい。だが、封筒の内側に写って読めなくなる方が困る。
エミールは指で書面の端を押さえ、もう一度吸い取り紙を当てた。
*
夕方、レーヴェ本家から届いた干し林檎を、熱の下がりかけた子供に少しだけ出した。
母親は何度も頭を下げた。
「こんな上等なもの」
「少しずつだ」
「お代は」
「いらない。王妃陛下御快癒祈願だそうだ」
母親は干し林檎を受け取る手を止めた。
「あの、王妃様、そんなに悪いんですか」
「療養中と聞いている」
「そうですか」
母親は子供の口元へ小さく裂いた林檎を持っていく。子供は少しだけ舐めて、やがて口に含んだ。
咳はまだ出る。だが、甘いものを口に入れた時だけ、目が少し開いた。
薬房では、メリが最後の樹皮を削っている。削った欠片は、小皿の底に薄く広がる程度だった。
表の机には、香紙の箱が置かれている。
上等な香紙。聖人伝の写し。布。干し林檎。
そして、宰相府へ送った再照会の控え。
メリが小皿を持ってきた。
「これ、夜の分です」
「薄くしたか」
「少しだけ」
「どのくらい」
「効かないほどじゃありません」
そう言って、彼女は小皿から目をそらした。
エミールは受け取った。苦い匂いが指先につく。
外では、日が落ちかけていた。
受付の若い男は、まだ戻らない。宰相府まで走ったのだろう。
帰りも、たぶん走っている。
施療院の廊下なら、誰も「歩きなさい」とは言わない。




