表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/67

36 北区施療院――責めちゃ駄目なんですか

 午後には、書類が増えた。


 南区施療院から、包帯はあるが煎じ薬が足りないとの知らせ。

 東の孤児院から、王妃陛下御快癒祈願の名で届いた聖人伝三箱の礼状写しと、麦粉の照会。

 西の修道院から、布と香油の受領報告、ただし麦不足。

 北区施療院からは、エミールが宰相府へ出す再照会。

 机の上に並べると、どれも善意にまつわる書面だった。

 善意。祈願。祝い。礼。不足。

 最後の言葉だけが、書面の下から顔を出している。

 エミールは再照会の文を読み返した。


 ――王妃陛下御療養中の折、恐れながら申し上げます。

 ――例年春先に賜る薬代配分につき、本年分の確認を願いたく存じます。

 ――北区では咳熱の患者が増えており、熱冷ましおよび咳止め薬草の補充が急務です。

 ――王妃府より宰相府へ照会するよう御返答をいただきましたため、改めてお願い申し上げます。


 丁寧すぎる。だが、これ以上荒くすると、王宮のどこかで止まってしまうのだろう。


「院長先生」


 メリが横からのぞき込んだ。


「……そこ、『急務』じゃ弱くないですか?」

「強い言葉だ」

「こっちは明日の薬を薄める話をしてるんです」

「だが、そのまま書くと、責めているように見える」

「責めちゃ駄目なんですか!?」


 エミールはペンを置いた。メリは、今度は引かなかった。


「王妃陛下が療養してるのは分かります。側妃様が入ったのも、それはこっちには関係ないことです。でも、薬が来ないのは関係あります。大ありです! 去年まで来てたものが来ないなら、誰かに言わないと」

「言うために書いているのだ」

「丁寧すぎて、読んだ人が困ってるって分からなかったら?」

「こういうものは、分かる者に届けば分かるのだ」

「分からない人だったら?」

「また書く」


 メリは口を開きかけて、やめる。

 薬房へ戻るかと思ったが、戻らず、棚の空き瓶を一つ持ってきて、どん、と机の横に置いた。


「これ、持って行かせます?」

「何処へ?」

「宰相府へ! 空です、って」

「やめなさい!」

「駄目ですか?」

「駄目だ!」

「でも、分かりやすいです」

「分かりやすく失礼だ」


 メリは少しだけ笑った。疲れた笑いだった。


「……王妃陛下なら、瓶を見なくても分かったのに」


 今度は小さな声だった。責めている相手がどこにもいない、行き場のない声。

 エミールは、空き瓶を手に取った。軽い。中に残った薬草の匂いだけがある。


「王妃陛下は、去年ここへ来た」

「え」

「熱病の時だ。病室には入らなかったが、入口で話を聞いていった。薬房も見た。あの棚の前で、お前は薬草袋を落とした」

「……落としましたっけ」

「落とした」

「覚えてません」

「王妃陛下は覚えていたかもしれない」


 メリは少し困った顔をした。


「そんな細かいことまで?」

「細かいことを見ていた方だったのだろう」


 エミールは空き瓶をメリに返した。


「これは棚へ」

「はい」

「書面はこれで出す。ただし、最後に一行足す」

「何て」


 エミールはペンを取った。少し迷ってから、文の下に書く。


 ――なお、昨年王妃府より御確認いただいた北区春先薬代増の件、今年も同様の状況にございます。


 ――王妃府。


 その言葉を入れた。そうすれば、宰相府の誰かが、過去の写しを探すかもしれない。

 探してくれれば、赤い印を見る。


 ――王妃府確認済み。


 そこまで行けば、こちらがただ騒いでいるわけではないと分かるだろう。


「それで足ります?」


 メリが訊いた。


「足りなければ、シスター・マルタが麦の話を書いてくれる」

「強そうですもんね、あの方」

「ああ、強いぞ」


 吸い取り紙を乗せる。少し待って外すと、最後の一行だけ、まだかすかに光っていた。

 乾くまで待つ時間が惜しい。だが、封筒の内側に写って読めなくなる方が困る。

 エミールは指で書面の端を押さえ、もう一度吸い取り紙を当てた。


 *


 夕方、レーヴェ本家から届いた干し林檎を、熱の下がりかけた子供に少しだけ出した。

 母親は何度も頭を下げた。


「こんな上等なもの」

「少しずつだ」

「お代は」

「いらない。王妃陛下御快癒祈願だそうだ」


 母親は干し林檎を受け取る手を止めた。


「あの、王妃様、そんなに悪いんですか」

「療養中と聞いている」

「そうですか」


 母親は子供の口元へ小さく裂いた林檎を持っていく。子供は少しだけ舐めて、やがて口に含んだ。

 咳はまだ出る。だが、甘いものを口に入れた時だけ、目が少し開いた。

 薬房では、メリが最後の樹皮を削っている。削った欠片は、小皿の底に薄く広がる程度だった。

 表の机には、香紙の箱が置かれている。

 上等な香紙。聖人伝の写し。布。干し林檎。

 そして、宰相府へ送った再照会の控え。

 メリが小皿を持ってきた。


「これ、夜の分です」

「薄くしたか」

「少しだけ」

「どのくらい」

「効かないほどじゃありません」


 そう言って、彼女は小皿から目をそらした。

 エミールは受け取った。苦い匂いが指先につく。

 外では、日が落ちかけていた。

 受付の若い男は、まだ戻らない。宰相府まで走ったのだろう。

 帰りも、たぶん走っている。

 施療院の廊下なら、誰も「歩きなさい」とは言わない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ