表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
35/67

35 北区施療院――今年の配分表が来ない

 今年の配分表が、まだ来ない。


 北区施療院の院長エミールは、朝の診察前にそれを三度確認した。

 一度目は、机の右の引き出し。二度目は、受付横の書類棚。三度目は、薬房の壁に吊ってある昨年の控えの裏。

 来ていない。

 来ていないものは、どこを探しても出てこない。

 薬房の方で、瓶の触れ合う音がした。いつもならメリはもっと静かに棚を扱う。だが今日は、瓶の底が棚板に当たる音が少し強い。


「院長先生」


 戸口から顔を出したメリの髪は、後ろで乱れていた。

 朝から何度も薬草袋を下ろしたり戻したりしているからだろう。袖口にも乾いた葉の粉がついている。


「咳止めに使う方、昨日の夜の分を除いたら、もう大きい瓶の底が見えてます。熱冷ましの樹皮も、南区から分けてもらった分まで削りました。向こうには返すって約束しているんですけど、たぶん向こうも待ってないと思います」

「向こうも足りていないか」

「足りていたら、あんな薄い包みで寄越しませんよ」


 メリはそう言って、すぐに口を閉じた。言い過ぎたと思ったのだろう。

 だが、間違ってはいない。南区施療院から届いた包みは、確かに薄かった。

 分けてくれた、というより、こちらが頼んだので削ってくれたという量だった。


「昨日、王妃府へ出した返事は、もう戻ってきたんでしょう?」

「戻ってきた」

「何て」

「王妃陛下御療養中につき、新規執務確認は受けられない。宰相府へ照会せよ」


 メリは棚の上を見た。そこには、空き瓶を三つ並べてある。

 割れたわけではない。中身がなくなっただけだ。布をかけて隠していたが、何度も開け閉めするうちに布がずれて、瓶の口が見えている。


「王妃陛下が療養なさるのは、仕方ないです。そこは分かります。でも、配分表って、前もって作ってあるものじゃないんですか。去年なんて、春になる前に来ましたよね。北区は薬代多め、南区は布と包帯、西の修道院は麦、って。あれ、誰がやってたんですか」

「王妃府だ」

「王妃府って、王妃陛下お一人じゃないでしょう」


 メリはまた言ってから、苦いものを飲んだような顔をした。エミールは椅子の背にかけていた上着を取る。


「お一人ではない。だが、最後にどこを増やしてどこを減らすかを見ていた方が、今いない」

「書面くらい、残ってないんですか」

「写しはあるだろう。宰相府に」

「じゃあ宰相府が送ってくれればいいのに」

「それを頼んでいる」


 表の待合から、子供の咳が聞こえた。一度では終わらない。胸の奥に引っかかったような咳が、続けて三つ出た。

 メリの顔が薬房の方へ戻る。


「……あの子、昨日の夕方の子ですよね」

「先に診る」

「熱冷まし、薄くします?」

「今は薄くしない。夜の分を考える」

「夜までに返事が来なかったら」


 そこでメリは黙った。答えは分かっている。

 来なかったら、夜の薬を薄くする。そういう話になる。

 エミールは机の上の去年の配分表を見た。

 赤い印がついている。


 ――北区施療院、春先薬代増。王妃府確認済み。


 その下に、王妃府の細い字で、短い添え書きがある。


 ――前年より咳熱多し。薬草園支援を先に。


 その一行のおかげで、去年は春を越えられた。

 表の咳が、また聞こえた。


 *


 昼前、西の修道院からシスター・マルタが来た。

 馬車ではない。

 外套の裾に泥がついている。膝のあたりまで跳ねていたから、ずいぶん早足で歩いたのだろう。


「院長先生、これを先に受け取ってください」


 挨拶もそこそこに、彼女は包みを机の上へ置いた。結び目は固い。布は上等だった。


「包帯にできます。うちは今年、布ばかり来ました。ええ、それ自体は本当にありがたいのです。ありがたいのですが、上等な布を抱えていても、子供の粥は煮えません」

「麦が足りないのか?」

「足りません。去年は王妃府の表で、うちは麦を多めに回されました。布は南区へ、薬はそちらへ、薪は東の孤児院へ。あれがあったから、こちらも余った布を施療院へ回せたんです」


 シスター・マルタは包みを開いた。白い布が畳まれている。

 礼拝堂の祭壇布にしてもよさそうな質だった。包帯にするには上等すぎる。


「ローレン侯爵夫人からも、グライス夫人からも、王妃陛下御快癒祈願として布が届きました。別の方からは香油も。側妃様御入内祝いを兼ねて、という札つきで」

「西の修道院に香油か」

「使えなくはありません。礼拝堂には。けれど、今ほしいのは麦です。孤児達が香油を舐めるわけにはいきませんから」


 冗談の形にしていたが、目は笑っていなかった。

 エミールは布を一枚持ち上げる。さらりとしている。洗えば、何度か使える。


「こちらは受け取る。代わりに出せるものが、今は」

「薬は駄目です」


 シスター・マルタはすぐに言った。


「施療院から薬を取るつもりで来たのではありません。こちらに布を置きに来たのと、宰相府へもう一度届け出を出すつもりで、その前に状況を合わせに来ました」

「そちらも宰相府へ?」

「王妃府へ出したら戻りました。女官長のところへ聞け、と言われ、女官長からは、王妃陛下御療養中につき宰相府へ、と。施療院も同じでしょう?」

「同じだ」

「では、同じ書面を二枚出しましょう。施療院から一枚。修道院から一枚。東の孤児院にも書かせます」

「宰相府の机が埋まるな」

「埋まれば、どなたかが見ます」


 シスターは、さらりと言った。上品な声ではあったが、中身はなかなか荒い。


「西の修道院も、少し気が立っているらしい」

「麦が足りない時に、礼儀を噛んで食べる子はいません」


 表の待合で、子供がまた咳をした。

 シスター・マルタもそちらを見る。彼女は包みをもう一つ机に置いた。


「こちらは、干し林檎です。レーヴェ本家から、側妃様への祝いの一部を回すと届きました。王妃陛下御快癒祈願として、と札がついています。うちだけでは多いので、半分持ってきました」

「レーヴェ本家が?」

「はい。コリンナ様のお名前でした。文も丁寧でした。丁寧でしたけれど、あれは謝っている文ですね」


 エミールは包みの札を見た。


 ――王妃陛下御快癒祈願として。

 ――また、側妃マリーシアの入内に際し、王都の皆様へ御迷惑のなきよう。


 王都の皆様へ御迷惑のなきよう。たしかに、謝罪に近い。


「本家は分かっているのだな」

「分かっている方がいるのでしょう。だから、まだ助かります。でも、果物では薬草は煎じられません」

「宰相府へは、今日中にもう一度出す」

「うちも出します。東にも寄ってから戻ります。あちら、聖人伝が三箱来たそうです」

「聖人伝」

「子供達は喜んだそうです。喜んだあと、お腹が空いたと」


 エミールは返事をしなかった。できなかった。

 シスターは椅子に座らず、また包みの紐を締め直した。


「院長先生、書面には丁寧に書きます。でも、どこかに一つくらい、急ぎ、と入れてください」

「入れている」

「もっと大きく」

「大きく書くと、品がない」

「薬がなくなる方が、ずっと品がありません」


 今度は少し笑ってしまった。シスターも、ほんの少しだけ口元を動かす。

 それからすぐ、待合の方へ目をやった。


「先ほどの子、咳が深いですね」

「今日から薬を出す」

「なら、布はここに置いていきます。包帯にしてください。うちは、古いシーツを裂きます」

「そちらも要るだろう」

「要ります。でも、咳の子に布を巻くより、傷の子に巻いた方がよいでしょう」


 彼女は外套の前を直すが、泥のついた裾を払うことはしなかった。

 払っても、また東の孤児院まで歩けば汚れるからだろう。


「返事が来たら、写しをください」

「そちらも」

「もちろん」


 シスター・マルタは頭を下げ、出ていった。

 戸口で、待合の母親に声をかけているのが聞こえた。


「もう少しですよ。先生がすぐ診ますからね」


 もう少し。

 またその言葉だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ