34 宰相――王宮とは面倒でできているというのに
側妃茶会の報告は、三枚だった。
一枚目は、女官長から。二枚目は、侍従長から。三枚目は、王太后陛下付きのセレスタ夫人から。
なぜ茶会一つで三枚も来る?
私は執務机の前で、三枚を並べた。どれも書き手が違う。
女官長の字はきちんとしているが、やや急いでいる。侍従長の字はいつも通り、腹立たしいほど読みやすい。セレスタ夫人の字は細く、余計なことが書かれていない。
……余計なことが書かれていない文書ほど、余計なことが起きている。
「出席者は」
私は秘書官に訊ねた。
「デュラン男爵夫人、カッセル伯爵家若奥様、子爵令嬢二名、レーヴェ本家のコリンナ様。ほか、王太后陛下付き女官筋より一名です」
「それだけか」
「はい」
「ローレン侯爵夫人は」
「王妃陛下御快癒祈願のため、修道院へ」
「グライス夫人」
「同じく、寄付相談のため」
「老侯爵夫人」
「自邸礼拝堂にて御快癒祈願を」
「皆、祈りが好きになったものだ」
秘書官は何も答えなかった。
まあいい。若い者が、ここで笑ってはいけない。
私は女官長の書面を取った。
――側妃マリーシア様、茶会後に御気落ちの御様子。
――高位夫人の欠席について、王妃陛下の御快癒祈願が多いことを気にされる。
――陛下宛の御文あり。
――侍従長室経由にて取り次ぎ予定。
――御気落ち。
便利な言葉である。
泣いたのか、怒ったのか、椅子から立たなかったのか、侍女に当たったのか。何も分からない。
分からないように書いている。女官長も疲れているのだろう。
「陛下へは」
「既に侍従長室より取り次ぎが」
「早い」
「側妃様からの御文ですので」
――側妃様からの御文。
それも便利な言葉だ。
男が女から文を受け取っただけなら、ただの文である。王が側妃から文を受け取れば、そこに王宮が動く。
私は次に侍従長の書面を取った。
――側妃茶会、出席者少数。
――高位夫人の欠席理由に「王妃陛下御快癒祈願」が重なる。
――今後、王宮茶会および礼拝出席に同様の名目が増える可能性あり。
――宰相府において、修道院・施療院への寄付名目および配分状況の把握を願う。
――願う。
侍従長の「願う」は、ほぼ命令である。
王宮内の儀礼と女官の動きをあちらが握っているから、こちらへ来る時はだいたい面倒が形になった後だ。
「寄付配分は、王妃府の管轄ではないのか」
言ってから、自分で嫌になった。秘書官も、ほんの少しだけ視線を下げた。
「王妃府は、療養許可状により新規執務確認を停止しております」
「分かっている」
――分かっている。
分かっていて言った。王妃府へ回せば済む、という言葉が、口の中に残っていたのだ。
この五年で、どれほどその言葉を使ったか。
王太后陛下の礼拝寄付。修道院の冬支度。施療院の薬代。貴族夫人同士の後援先の調整。地方からの嘆願のうち、財務ではなく慈善に近いもの。
それらが全て、宰相府へ来る前に王妃府で整えられていた。
あるいは、宰相府へ来た後、王妃府へ相談せよ、と戻していた。
今はそれができない。書面一枚で。
国王陛下御署名の、書面一枚で。
「王太后陛下へは」
「同じ報告が上がっております」
「王太后陛下付きからの書面が、これだな」
私はセレスタ夫人の報告を開いた。
――茶会出席者少数。
――側妃マリーシア様、欠席理由が王妃陛下御快癒祈願に集中することをお気になさる。
――菓子、席、呼称については大きな混乱なし。
――王妃陛下への比較発言あり。以後、注意。
――御文取り次ぎは侍従長室経由。
大きな混乱なし。《《大きくない混乱はあった》》、という意味だ。
「比較発言とは何だ」
「詳細は記されておりません」
「記されていないことが多いな」
「はい」
「つまり、記したくないことが多い」
秘書官は返事をしなかった。よしよし。
「修道院と施療院の寄付名目を洗え」
「本年度分でございますか」
「過去三年分と今年の予定。王妃府から宰相府へ写しが来ているはずだ」
「写しだけで足りますか」
「足りるように使う」
秘書官が頭を下げた。扉へ向かう。
「待て」
足が止まる。
「王妃府へは行くな」
「はい」
「記録庫だ。王妃府の扉を叩くな」
「承知しております」
秘書官は静かに出ていく。私は机の上の三枚をもう一度見た。
側妃茶会。欠席。御快癒祈願。寄付。王妃府停止。
どれも小さい。小さいが、同じ方向へ流れている。
高位夫人達は、側妃を正面から拒んでいない。ただ、王妃陛下の名を使って、王宮から足を外している。
これは、抗議である。しかも、上品な抗議。
上品な抗議ほど、処理しづらい。
怒鳴り込んできた者なら、なだめればよい。手書面で非難してきた者なら、返答すればよい。欠礼なら叱ればよい。
……祈られては叱れない。
「閣下」
別の書記官が入ってきた。
「陛下より、お呼びでございます」
早い。実に早い。
私は椅子の背に手を置いた。
「何の件だ」
「側妃マリーシア様の茶会について、と」
来た。御文が届いたのだろう。
――とても寂しゅうございました。
そういう言葉が、陛下には最も効く。
「すぐ伺う」
私は三枚の報告を重ねた。どれを持っていくか迷う。
女官長のものは弱い。セレスタ夫人のものは固い。侍従長のものは逃げ場がない。
私は三枚とも取った。逃げ場がない時は、書類を増やすしかない。
*
陛下は不機嫌だった。
執務室の机の上に、淡い色の封筒が置かれている。マリーシア様の手紙だろう。
封筒には花が描かれていた。
その横に、吸い取り紙が斜めに置かれている。陛下は返事を書きかけたのかもしれない。
「宰相」
「はい」
「側妃の茶会に、高位夫人がほとんど出なかったと聞いた」
「そのように報告を受けております」
「なぜだ」
「王妃陛下御快癒祈願のため、修道院、施療院、自邸礼拝堂へ向かわれた方が多く」
「それは今日でなくともよいだろう」
よいかどうか? それをこちらに言わせたいのか。
私は頭を下げたまま答えた。
「皆様、王妃陛下の御身を案じておられるのでしょう」
「マリーシアも身重だ」
「はい」
「側妃として入ったばかりだ」
「はい」
「王の子を宿している」
「はい」
「なら、王宮の者は迎えるべきだ」
その通りでございます、と言えば楽である。だが、楽な返事をした後に命令が来る。
――夫人達を集めよ。
――茶会をやり直せ。
――欠席を許すな。
どれも火に油だ。
「陛下」
「何だ」
「側妃様を迎える場を、改めてきちんとさせることは可能でございます。ただし」
「ただし?」
「王妃陛下御療養中のため、あまり大きな会にいたしますと、かえって夫人方が出席しづらくなるかと」
陛下の指が机の端を苛立たしげに一度叩いた。
「なぜだ」
「王妃陛下を案じる形を、皆様が既に取っております。そこで側妃様の歓迎を華やかにいたしますと、王妃陛下を軽んじたように見えることを避ける方が出るかと」
「誰が軽んじたと」
声が少し強くなる。
「誰も軽んじてはおりません」
「ならよいだろう」
よくはない。だが、それをそのまま言うほど私は若くない。
「ですので、まずは王太后陛下主催の小さな茶会を重ね、徐々に」
「今日も小さかった」
「本日は、側妃様の御身を配慮して」
「マリーシアは寂しがっている!」
陛下は封筒に触れた。
……ああ。文にそう書いてあったのだ。
「彼女は何も悪くない」
「はい」
「王妃が療養していることも、彼女のせいではない」
「はい」
「なのに、皆が王妃の方へ行く」
その言い方は、非常にまずい。
王妃陛下は公爵家にいる。夫人達は修道院や施療院へ行っている。誰も王妃陛下の方へ行っているわけではない。
だが、陛下の中ではそうなのだ。王妃と側妃。どちらを見るか。
そういう話になっている。
「陛下、夫人方は王妃陛下への礼を示しているのでございます」
「側妃への礼は」
「今後、整えます」
「今後では遅い」
陛下は立ち上がり、窓の方へ歩く。
背中が苛立っている。
「再度、招待を出せ」
来た。
「側妃主催ではなく、王命でだ。マリーシアを軽んじぬように、と」
最悪である。
――王命。
――軽んじぬように。
それを文にした瞬間、夫人達はさらに引く。
私は一歩だけ前へ出た。
「陛下、王命での招待は、かえって」
「かえって何だ」
「夫人方に、強制の印象を与えます」
「王宮の茶会に出ることが、強制で何が悪い」
悪い。非常に悪い!
王妃陛下なら、絶対にそんな文は出さない。
王太后陛下も止める。侍従長も止める。儀典長は胃を押さえる。
「では、王太后陛下の御名で」
「母上は、また手順だの何だのと言う」
「手順は大切でございます」
「そなたまでそれか」
陛下は振り返る。私は頭を下げた。
「王宮は手順で動いております」
「私の意向では動かないのか」
「陛下の御意向を、形にするために手順がございます」
これは、きれいに聞こえる言葉だ。半分は嘘である。
手順とは、陛下の御意向をそのまま走らせないためにもある。
「なら形にせよ」
陛下は言った。
「側妃を迎える茶会を、もう一度開く。夫人達へ招待を出せ。理由は、側妃の体調がきちんとしたため。王の子を宿す側妃への祝意を示す場とする」
――王の子を宿す側妃。
まだ正式発表の順がきちんとしていない。
王宮医の診断書はあるが、宰相府、儀典長、神官長への通知が完全に終わっていない。
これを茶会招待に載せるのか。
「御懐妊については、発表の順を」
「もう皆知っている」
「知っていることと、公に記すことは別でございます」
「面倒だな」
ええ、面倒です。王宮とは、そういう面倒でできております。
「では文面は任せる」
陛下は机へ戻った。
「ただし、マリーシアが寂しがらぬように」
これが、一番難しい命令だった。席次より、寄付配分より。
――寂しがらぬように。
私は頭を下げた。
「承知いたしました」
承知などしていない! できるとも思っていない!
……だが、言うしかない。
*
宰相府へ戻ると、秘書官が既に記録庫から帳面を運ばせていた。
机の上に、過去三年分の寄付配分写し。王妃府からの控え。
施療院別、修道院別、孤児院別、冬支度、薬代、布、麦、香油、薪。
細かい。実に細かい。
王妃陛下の字が、余白に入っている。
――今年は北の施療院、薬代増。
――南修道院、布は足りている。麦優先。
――ローレン侯爵夫人には、祭礼用蝋燭を任せる。
――カッセル伯爵夫人には、薬草園支援を。
私は椅子に座った。背中が重い。
「閣下」
秘書官が言った。
「陛下は――」
「御婦人方の再招待を望んでおられる」
秘書官の顔が少し固まった。
まあよい。固まるだけで済んだ。
「……王命でございますか」
「そうしたい御様子だった」
「文面は」
「こちらで意味を消す」
秘書官が一瞬こちらを見た。
聞き間違いではないぞ。私は確かにそう言った。
「王命を消すのですか」
「王命の形を保ち、角を落とす」
「はい」
「王太后陛下主催に寄せる。側妃様の御体調が許す範囲で、少人数。祝意ではなく、御挨拶。御懐妊の文言は入れない」
「陛下が」
「陛下には、儀礼上その方が側妃様の格を守る、と言う」
「格」
「便利な言葉だ」
私は吸い取り紙を引き寄せ、新しく招待文の冒頭を書く。
――王太后陛下の御意向により、側妃マリーシア様御入内後の御挨拶の席を、御身に障りなき範囲にて、小さく設けたく。
――小さく。
ここは入れる。小さくと入れれば、欠席されても傷が浅い。
出席者が少なくても、最初から小さい席だったと言える。
王命の再招待ではなく、王太后陛下の御意向。側妃の祝賀ではなく、御挨拶。御懐妊ではなく、御身。
私はペンを置き、吸い取り紙を乗せる。
黒い字が、少しだけ薄く写った。
「閣下」
別の書記官が入ってきた。顔色が悪い。
「今度は何だ」
「北の施療院より、問い合わせでございます」
「王妃府へ回せ」
反射で言った。書記官の手が止まる。
私も止まった。王妃府は閉じている。自分で言ったばかりだ。
「……こちらへ」
私は手を出した。書記官が書類を差し出す。
北の施療院。薬代の件。今年の配分通知がまだ来ていない。王妃府へ問い合わせたところ、療養中につき新規執務停止。女官長へ回され、宰相府へ照会せよとの返答。
それで、ここへ来た。
書面の端が少し折れている。何人もの手を回ってきた跡だった。
私はその折れ目を指で伸ばす。
だが伸ばしても、跡は消えなかった。




