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「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


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25 レーヴェ伯爵筋寡婦コリンナ――飾りは綺麗だけど重石にならない

「あなたが決めたのではありません。けれど、あなたのために人が動いています」

「……はい」

「その人達へ、鳥の餌みたいなお菓子、などと言ってはなりません」


 マリーシアは目を伏せた。

 少しは効いたか?―― と思ったのは、早かった。


「でも、本当に甘くなかったのですもの」


 わたくしは扇を開いた。顔の前に置く。

 そうしなければ、口元が動きそうだった。

 セレスタ夫人が、静かに茶器の側へ目をやった。侍女が下がる。新しい湯を取りに行くのだろう。

 この夫人はよく見ている。王太后陛下付きの上級女官。

 立場は高いが、王妃府の人間ではない。今、マリーシアの側に置くには、一番危うくなく、一番逃げにくい方だ。


 ――わたくしは、この方と話さねばならない。マリーシアを一人にしてはいけない。


 わたくし一人では持たない。

 兄の家の者だけで固めれば、王宮は不信を持つ。王宮の者だけで固めれば、マリーシアは泣く。陛下へ泣きつく。陛下は余計なことをおっしゃる。

 間に、話の通じる女性が必要だ。


「マリーシア」

「はい」

「少し休みなさい」

「でも」

「陛下は、明日また会いに来るとおっしゃったのでしょう」

「約束してくださいました」

「なら、その時に疲れた顔を見せるのですか」


 彼女はすぐに姿勢を正した。分かりやすい。


「嫌ですわ」

「では、寝台に入りなさい。侍女に髪をほどかせて。食事は、王宮医の言う通り少しずつ」

「またあの甘くないもの?」

「甘いものを召し上がりたいなら、明日、王宮医に相談なさい」

「叔母様から言ってくださらないの?」

「あなたの身体のことです」


 マリーシアは不満そうにしたが、今度は立ち上がった。

 セレスタ夫人が侍女へ目配せする。侍女二人が静かに寄ってきた。


「こちらへ」


 マリーシアは扉へ向かう途中で、もう一度振り返った。


「叔母様」

「何です」

「明日のドレスは、黄色がいいです」

「まず王宮医に、締め付けのないものを確認してからです」

「でも陛下が明るい色が好きだと」

「締め付けて倒れたら、陛下にお会いできません」


 その一言で、彼女は納得した。


「では、苦しくない黄色にします」


 侍女が扉を開けた。マリーシアは奥の休息室へ入っていく。

 扉が閉まる。完全に閉まってから、わたくしは扇を膝へ戻した。

 指が少し疲れていた。握りすぎたのだ。


「セレスタ夫人」


 声をかけると、夫人は一礼した。


「はい、コリンナ様」

「少し、お時間をいただけますか」

「もちろんでございます」


 客間には、まだ侍女が一人いた。夫人がそちらへ視線を向ける。


「お茶を替えてまいりなさい。蜂蜜は下げて」

「かしこまりました」


 侍女が下がる。扉が閉じる。

 今度は、本当に二人になった。少なくとも、この部屋の中では。


「お見苦しいところをお見せしました」


 わたくしは頭を下げた。

 深くではない。だが、親族としての謝意は示さねばならない。

 セレスタ夫人は、すぐに首を横に振った。


「御懐妊後の若い方には、揺れもございます」

「それだけならよろしいのですが」


 言うと、夫人はすぐには返さなかった。さすがだ。

 ここで、そうですね、とも、困りましたね、とも言わない。


「わたくしどもレーヴェ本家は、今回の件を軽く見ておりません」

「はい」

「兄も、わたくしも、マリーシアがこのまま王宮へ入り、好きなように振る舞えば、陛下にも、王太后陛下にも、王妃陛下にも、そして王宮の皆様にも、御迷惑をおかけすると考えております」

「……はい」


 夫人の返事が、少しだけ低くなった。

 理解している声だ。


「マリーシアは、悪意のある子ではありません」


 これは言わねばならない。

 言わねばならないが、言い訳にしてはならない。


「ですが、悪意がなければ許される場所ではないことも、承知しております」


 夫人の視線が、わたくしの顔に来た。静かな目だった。


「コリンナ様から、そのように伺えたことはありがたく存じます」

「本家として、できる限りのことはいたします。ですが、わたくしどもの家の者だけを側につければ、あの子は甘えます」

「はい」

「王宮の方だけを側につければ、あの子は怖がり、陛下へ訴えます」

「はい」

「ですので、セレスタ夫人」


 わたくしは、膝の上で両手を揃えた。


「しばらく、あの子の側に、王太后陛下付きの方としてお立ちいただけないでしょうか」


 夫人のまぶたが、一度下りた。

 断りたいだろう。当然だ。これは面倒な役である。

 若く、妊娠し、王の寵愛を受けている未入宮の女。しかも正妃は療養中。家格は低い。王は甘い。王太后は手順を守らせたい。王宮は既に疲れ始めている。

 その側に立つなど、暖炉の前で薄い絹を揺らすようなものだ。いつ焦げてもおかしくない。


「わたくしから王太后陛下へ願い出るのは、筋が違います」


 夫人は言った。


「ええ」

「ですが、王太后陛下より御下命があれば、務めます」

「では、わたくしから王太后陛下へ、親族としてお願いを申し上げます。その際、夫人のお名前を出しても?」

「構いません」


 早い返事だった。覚悟を決めてくださったのだろう。

 わたくしは、もう一度頭を下げた。


「感謝いたします」

「ただし、コリンナ様」

「はい」

「わたくしが側に立つ場合、マリーシア様の御言葉、御振る舞いについて、必要な時にはその場でお止めいたします」

「お願いします」

「陛下への御文も、必要に応じて取り次ぎを遅らせます」

「お願いします」

「御実家、ならびにレーヴェ本家からのお品の持ち込みも、すべて確認いたします」

「お願いします」


 夫人の目が、少しだけ細くなった。


「そこも、よろしいのですね」

「よろしいのです」


 兄の妻は泣くかもしれない。マリーシアの母は怒るかもしれない。

 けれど、ここで菓子だの香だのドレスだのを好きに通せば、その一つずつが火種になる。


「本家からも、改めて文を出します。マリーシアの持ち込み品は、王宮の確認に従う。王妃陛下の御療養中、王妃府へ一切の問い合わせをしない。南の離宮の調度に口を出さない。これを兄に書かせます」

「それは助かります」


 ――助かる。


 夫人はそう言った。それだけで、王宮側がどれだけ面倒を抱えているか分かる。


「それと」


 わたくしは少し迷った。

 だが、言うしかない。


「マリーシアが、陛下を御名でお呼びする件ですが」

「はい」

「おそらく、陛下が許されたのは事実でしょう」

「でしょうね」


 夫人は、初めて少しだけ口元を動かした。

 笑いではない。苦みのようなものだ。


「陛下は、《《お優しい》》ですから」


 お優しい。

 その言葉の置き方で、この方が何を見ているか分かった。

 優しい。だが、止めない。

 許す。だが、後始末をしない。


「二人の間でどう呼ぶかまで、わたくしからは踏み込めません」

「はい」

「ですが、人前では必ず陛下と呼ばせます」

「お願いいたします。こちらでも、その都度止めます」

「泣くと思います」

「泣かれても止めます」


 夫人の返事は静かだった。

 ありがたい。心底、ありがたい。


「夫人」

「はい」

「王妃陛下は、どのような御方ですか」


 夫人の目が、少し変わった。ほんの少し。

 だが、それまでの応対の目ではなくなった。


「……お務めを、よくなさる御方です」

「そうですか」

「はい」


 それ以上は言わなかった。だが、それだけで充分だった。

 王妃陛下は、お務めをよくなさる御方。その御方が、療養に出た。

 その間に、マリーシアが入る。


 ――兄よ。これは、あなたが思っているよりずっと悪い。


 王に見初められた幸運などではない。

 王宮の重しが外れた時に、軽い飾りを乗せようとしている。

 飾りは綺麗だろう。だが、重しにはならない。


「コリンナ様」


 夫人が言った。


「マリーシア様の御年を、確認してもよろしいでしょうか」

「二十五です」


 夫人の指が、膝の上で一度動いた。

 十八や十九ではない。二十五。王妃陛下より二つ上。

 その意味を、この方も今、数えたのだろう。


「承知いたしました」

「年に比して、幼いでしょう」


 つい、言ってしまった。夫人は否定しなかった。


「王宮に入られるなら、これから急ぎ覚えていただくことになります」

「急ぎで足りますか」

「足らせるしかございません」


 その返事に、わたくしは扇を見下ろした。


 ――足らせるしかない。

 ――皆、そうやっている。


 王妃陛下も、そうやって五年を過ごされたのだろう。足りないものを足らせるために、自分のどこかを削る。

 マリーシアに、それができるのか。できなければ、誰が削られるのか。

 考える前に、奥の休息室から声がした。


「叔母様」


 甘えた声だった。


「この髪紐、今日は使いたくありません。もっと黄色いものはないの?」


 セレスタ夫人の視線が、扉へ向かう。わたくしは立ち上がった。


「今、参ります」


 返事をしてから、夫人に向き直る。


「明日、王太后陛下へお願いに上がります」

「わたくしからも、先に御耳へ入れておきます」

「お願いいたします」


 もう一度、軽く頭を下げる。


 扉の向こうで、マリーシアが侍女に何か言っていた。

 黄色がいい。柔らかいものがいい。陛下が明るい色を好きだとおっしゃった。

 わたくしは扉の取っ手に手をかけた。

 ……金具は、思ったより冷たかった。


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