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「側妃を迎える。準備は王妃府で」そう告げた王は、二ヶ月後、王座を失いました。  作者: さんけい


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23/67

23 側妃(予定)マリーシア――この子はエルヴィスの子

 ようやく扉の外で声がしました。


 セレスタ夫人が入ってきました。後ろに侍従がいます。


「陛下がお越しでございます」


 わたくしは立ち上がりました。

 立ち上がった途端、少しだけ目の前が揺れました。

 それでも立ちました。だって、陛下です。

 叔母様も立ちます。セレスタ夫人は扉の横へ下がりました。

 次に扉が開いて、陛下が入っていらっしゃいました。

 わたくしは、胸の中がぱっと明るくなりました。


「エルヴィス!」


 呼んでから、しまったと思いました。

 でももう遅い。叔母様の扇が止まります。

 セレスタ夫人の目がこちらへ来ます。侍従が、ほんの少しだけ顎を引きました。

 陛下だけが、笑ってくださいました。


「マリーシア」


 その声を聞いた途端、もう我慢できませんでした。

 わたくしは陛下の方へ歩きました。セレスタ夫人が何か言いかけたようですが、聞きませんでした。

 陛下の前まで行って、手を伸ばします。

 陛下は受け止めてくださいました。肩に手が回ります。やっぱり温かい。

 やっぱりこの方だけが、わたくしの味方です。


「怖かったですわ」

「怖かったのか」

「だって、あんな、《《あんな診察》》をするなんて聞いていませんでしたもの。色々訊かれて、日にちとか、時刻とか、そんなことまで。まるで、わたくしが何か疑われているみたいで」

「手続きだ」

「手続きって、皆そう言いますわ」


 わたくしは陛下の上着を握りました。濃紺の上着です。金糸の刺繍が指に当たりました。


「王宮医も、セレスタ夫人も、叔母様も、皆、手続き手続きって。わたくし、エルヴィスの子を宿している《《だけ》》ですのに」


 また呼んでしまった。

 でも陛下は、何もおっしゃいません。わたくしの背を、軽く撫でてくださいました。


「よく耐えたな」


 その一言で、目の奥が熱くなりました。

 そうです。わたくしは耐えたのです。

 こんな嫌なことをされて、それでも泣かずに耐えたのです。


「わたくし、王宮へ来たら、もっと皆が喜んでくれると思っていました」

「喜んでいる」

「嘘ですわ。皆、怖い顔ばかり。王妃様もいらっしゃらないし」


 陛下の手が、少し止まりました。でも、すぐにまた背を撫でてくれます。


「フレイアは療養中だ」

「わたくしのせいですか」

「違う」

「本当に?」

「ああ」

「だって、わたくしが来るからでしょう? 王妃様がお疲れになったのは。皆、そう思っているのではありません? わたくしが、王妃様を追い出したみたいに」

「誰もそのようには」


 陛下は言いかけて、少しだけ後ろを見ました。部屋にはまだ、叔母様も、セレスタ夫人も、侍従もいます。

 わたくしは顔を上げました。


「皆様、そうお思いですか?」


 叔母様は扇で口元を隠しました。セレスタ夫人は、まっすぐ立ったままです。


「マリーシア様」


 彼女が言いました。


「王妃陛下は御療養中でございます。今は、どなたのせいと申す時ではございません」

「では、わたくしのせいではないのですね」

「王妃陛下の御病状について、私から申し上げることはございません」


 答えてくれない。そういう言い方ばかりです。

 わたくしはまた陛下の胸元へ顔を寄せました。


「ほら、こうですわ。皆、はっきり言ってくれませんもの」

「セレスタ夫人」


 陛下が少し低い声を出しました。


「マリーシアは診察で疲れている。少し休ませたい」

「かしこまりました」


 セレスタ夫人は頭を下げました。ただ、そのまま動きません。


「何だ」

「陛下。王太后陛下より、診察後も、長い御面会は控えるようにとの御沙汰でございます」

「母上が?」

「はい。マリーシア様の御身のために」

「わたくしは大丈夫です」


 急いで言いました。

 せっかく会えたのです。なのに、またすぐに離されるなんて。


「大丈夫ですわ。エルヴィスと一緒なら、疲れませんもの」


 叔母様が目を閉じました。

 セレスタ夫人は、ほんの少しだけ息を吸いました。


「マリーシア様」

「また、陛下とお呼びください、でしょう?」


 言ってから、唇を噛みました。

 少し言い過ぎたかもしれません。でも、嫌だったのです。

 だって、わたくしと陛下の間の呼び方まで、この人達が決めるのですもの。

 陛下がわたくしに許してくださったことなのに。


「ここは王宮の客間でございます」


 セレスタ夫人は言いました。


「わたくし、まだ王宮の者ではないから、いけないのですね」

「そういう意味ではございません」

「では、側妃になればよろしいのですね」


 セレスタ夫人は、そこで答えませんでした。陛下の手が、わたくしの肩を少し強く抱きました。


「すぐだ」


 陛下は言いました。


「すぐに、そなたは王宮へ入る。南の離宮もきちんとさせる。明るい部屋にしよう」

「本当に?」

「ああ」

「黄色い花を置いても?」

「好きなだけ」

「窓掛けも明るいものに?」

「そう命じてある」


 嬉しくて、やっと息が楽になりました。


「では、《《王妃様みたいな暗い色》》にしなくていいのですね」


 言ったあと、少しだけ部屋が静かになりました。陛下の手も、今度は止まりました。

 わたくしは顔を上げました。


「……あの、違いますの。王妃様が暗いという意味ではなくて、ただ、その、王宮は全体に落ち着いた色が多いでしょう? わたくし、もっと明るい方が、子にもよいと思って」

「分かっている」


 陛下はそう言ってくださいました。ほっとしました。

 でもセレスタ夫人は、まだこちらを見ています。

 叔母様は扇を閉じました。


「マリーシア」


 叔母様が言いました。


「今日はもう、お休みなさい」

「叔母様まで」

「陛下も、お忙しい御身です」

「でも」

「御懐妊が確認されたばかりなのです。ここで聞き分けのないことをなさるものではありません」


 ――御懐妊。


 その言葉だけは、少し嬉しかった。

 ようやく、認められたのです。王宮医も、診断したのです。

 もう、誰もわたくしを疑えません。


「エルヴィス」


 小さく呼びました。今度は、セレスタ夫人に聞こえないように。

 陛下は、少しだけ顔を近づけてくれました。


「今夜は来てくださらないの?」

「母上が止めている」

「王太后陛下が?」

「ああ」

「どうして」

「診断前後は、憶測を避けるためだそうだ」

「憶測」


 嫌な言葉。また、疑っているみたい。


「わたくし、何も悪いことをしておりませんのに」

「分かっている」

「本当に?」

「ああ」

「じゃあ、明日は?」

「明日は、様子を見て」

「様子ばかり」


 わたくしは、陛下の袖を握りました。刺繍の糸が少し指に引っかかります。


「わたくし、早く王宮へ入りたいです。ここではないお屋敷で待つのは嫌。皆がわたくしを見て、あの人が、と言っている気がしますもの。王宮なら、陛下のそばにいられるでしょう?」

「すぐだ」

「十日も待つのですか」

「準備がある」

「準備なんて、そんなに要ります?」


 陛下は、少し笑いました。


「そなたは本当に、そういうところが」

「何ですの」

「可愛い」


 頬が熱くなりました。さっきまで嫌だったことが、少し遠くへ行きます。

 やっぱり陛下は分かってくださる。

 皆が手続きだの診断書だの席次だのと言っても、陛下だけは、わたくしを見てくださる。


「では、明るいお部屋にしてくださいませ」

「ああ」

「お菓子も、もっと甘いものがいいです。今日のは、鳥の餌みたいでしたわ」


 陛下が笑いました。わたくしも笑いました。

 セレスタ夫人は笑いませんでした。


「マリーシア様」


 彼女が一歩前に出ました。


「そろそろ、お休みの支度を」


 もう少しだけ、と言いたかった。でも叔母様が立ち上がってしまいました。

 陛下も、わたくしの肩から手を離します。離れたところが、急に寒くなった気がしました。


「では、また明日」

「必ず?」

「できるだけ」

「できるだけは嫌です」


 陛下は困ったように笑いました。


「では、会いに行く」

「約束ですわ」

「ああ」


 わたくしは、陛下の手を取りました。

 本当は口づけてほしかったけれど、セレスタ夫人がいるので、できませんでした。

 代わりに、指先を少しだけ握りました。陛下も握り返してくれました。

 それだけで、今日はもう少し我慢してあげてもいい、と思いました。


 陛下が部屋を出ていく。扉が閉まる。足音が遠ざかる。

 わたくしはその扉を見ていました。

 セレスタ夫人が、侍女に目配せをしました。叔母様が、ゆっくりと息を吐きました。


「マリーシア」

「何ですの」

「王宮で、陛下を御名でお呼びしてはいけません」

「二人の時なら、陛下がいいと」

「二人ではありませんでした」

「では二人なら?」


 叔母様は扇を握りました。骨が、かすかに鳴りました。


「今は、そういう話をしているのではありません」

「でも大事ですわ」


 わたくしは椅子に座りました。

 膝の上に手を置く。お腹は、まだ平らです。

 その上に、そっと手を当てました。


「この子は、()()()()()()子ですもの」


 叔母様の返事は、少し遅れました。


「……()()()御子です」

「同じことですわ」


 そう言うと、叔母様はもう何も言いませんでした。

 侍女が新しいお茶を運んできました。今度は蜂蜜が少しだけ添えられていました。

 小さな銀の匙に、ほんの一杯。

 わたくしはそれを全部、茶に入れました。



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