籠の中の鳥
「この時期は社交会が活発ではあるが、ティーネがそれに付き合う必要はないだろう。あまり無理をしない方がいい」
ブリューゲルは基本的に知り合いなら誰でも自由に出入りできる部屋の中で、ティーネと時間を過ごしていた。
「私がやりたいから、やってるの。……でも、エスコートとかしてくれると楽になるかな」
少し様子を窺うようにティーネが呟くと、ブリューゲルは読んでいた本を閉ざした。
「他に優先すべき事がある。エスコートとは言っても、何も男性である必要はないだろう。そもそも年頃とはいえ、君はそこまで形式に拘らないと思っていたが」
「それならきっと、貴方と同じ理由だから」
そんなことに使う時間も、気持ちもない。
「あの場所を『虚飾に塗れた場所』と言うかもしれないけど、あの場所には同時に繋がりを持つ価値がある人も存在する。シュトラウスさんとかね。同じ志の人間を集めれば、きっと二人の力になってくれるはずだから」
そう言うと、少しだけ話を聞く、というようにブリューゲルは向き直った。
「邪魔者の露払いに私を使ったところで、その後は余計に面倒になるだけだ。どんな理由をつけて私を連れて行くつもりだ?」
「……女の子として憧れが残っていて、身近な人に頼んでみた、とか?」
ティーネは指を付き合わせて、ブリューゲルを少し見上げるように見た。
「本当に君が望むなら構わない」
しかし、ブリューゲルは魂胆を見透かすかのように視線で問いを投げかける。
「もう少し、私に甘くしてほしかったわ。昔みたいに」
「君は、もう自分で歩いている。それに過度に干渉することを……私たちは望まない。君の人生なのだから。だからこそ、必要ならいくらでも手を貸すだろう。それだけは一貫している」
本当は、こんなことを許される身分ではない。
それでも、背中を押してくれた人を裏切りたくはない。もう幼い子どもではないのだから。
「『お前が決めた道だ』ね。うん、好き勝手やらせてもらってるのだから、期待に応えないと」
*
コハクとの出会いは、ティーネにとって安らかな時間を与えてくれた。
「コハクは私の生活が窮屈だと思う?」
「いきなり何?」
「いいえ、気になっただけよ。ほら、当然だと思うことって他の人からすれば思い込みとして映ったりするでしょう? だから、コハクの意見を聞いてみたいと思って」
ティーネはこの身分のことを重く感じたことはない。社交界に顔を出すのは自分の意志であって、誰かに命令されたわけじゃない。しかし、縁談や婚約の話から逃れられるというわけではない。
「まあ…アタシならあんなパーティーとか、作法とか覚えるのは嫌よ。相手の機嫌を窺うのだって……やることがないわけじゃないけど、別に軍に所属しているわけでもないし」
「ふふっ、実は私も嫌なの」
けれど、それはどこも似たようなものではないか。
そういった話を分かち合える人が、ティーネには有難かった。
「好きな人なんて、あんまりいないとは思うわ。必要だから、見栄を張りたいから、伝統だから……理由なんて幾らでも作り出せるけれど、自分が本当に学びたいのかといえばそうだと頷ける人は少ないはずよ」
だからこそ、本当に学びたいことがあって、それに情熱を傾ける人を羨ましく思う。そんな情熱的な生き方もしてみたい、と感化されてしまうくらいには。
「そうでしょうね」
「瘴気の脅威を、彼らは気にしないように……見て見ぬふりをしてる。取り繕うことに慣れてしまったから。或いは、その幻想に耽溺していたいから」
けれど、それに浸ることはもうできない。
「……その気持ちが分からないわけじゃない。いいえ、実感として湧かないのでしょうね。誰だって、死が訪れないと分からないのと同じように」
死、それを考えると胸がきゅっと締め付けられる思いがする。そしてそれよりも溢れ出そうとする何かが秘められている。
「時折思うの。死って本当に怖いものなのか。実は意外と温かなものではないのかって。でも、家族やコハク、友達にまた会えないかもしれないのは寂しいと思う」
「あまり、そういうことを考えないほうがいいわ。ティーネの言う通り、答えなんてないもの。それとも、ティーネはいつの間にかずっと頭を悩ませる哲学者にでもなっちゃったの?」
「ふふっ、そうね。でも、今までの考えではこれからの難局を乗り越えられないだろうと思っただけ。ねえ、知ってる? 『瘴気は無限の可能性だ』って語る学者もいるのよ」
「なら、そいつの耳に直接言ってやりたいわね。だったら、それは脅威だって。こっちは命を張ってるんだから」
「大丈夫よ、彼は自身で意図せずとも公正な学者だから。真理を求め続ける機械って言われるくらいにね」
「でも……彼は決して人の心を持たない人間じゃないって、私は知ってるから」




