第四準備 〜脱走〜
「残念だなぁ、残念だなぁ。君の記憶だって戻るかもしれないのになぁ」
「おい、どういう意味だ」咄嗟のことで、俺は声を張り上げてしまう。記憶のないことに驚きはしないが、自分の過去を知りたくないわけじゃない。
自分のことを、他人より知らないなんて、屈辱だ。
「君はね、記憶を無くしたんじゃないんだよ、奪われたんだ」
楽しそうに彼は言った。
さっきの不満な顔は完全に消し飛んでいる。
「王様はね、人の記憶を食べちゃうんだ。彼の能力なのさ。だから誰も彼に歯向かうことができない。歯向かっても記憶が消されてうやむやになっちゃうから。
だからこの国は今日も平和なんだ」
魔法だってある世界、人に干渉し、奪うことだってできるのだろう。
なぜ俺なのかは分からない。しかし、現に俺は奪われているのだ。無くしているのだ。これほどまでに違和感を感じさせず。
俺は彼のペースに嵌り、ゲームに参加する流れに乗っていた。
「でも王様もバカだよねー。もう君に記憶を戻させまいと思ったのかは分からないけど……じゃん、これなーんだ」
ポケットに手を突っ込み、出した時には藍色の石が手に乗っていた。それは煌びやかに揺らめき、妖艶の光を放っている。目は当然のように吸い込まれた。
「分かるかよ」
「これはねー、記憶の欠片って言うんだ。一度触ってみなよ」
そう言って、彼はそれを投げてきた。
放物線を辿るように飛んでくる石。
こちらに近づくにつれ、その光の強さを増していき、心を吸い取っていく。
そして手に触れた瞬間。
石から指へ、手のひらへ、腕へ、と伝わっていく暖かい感覚。
そして、手から光が溢れ出し、部屋を包んでいく。薄く笑う彼や天井付きのベッドが影を伸ばして消えたーー。
ーー天井を見上げると、そこには彼女の姿があった。優しく笑うそれは、もう会うことはできないという事実を突きつけてきた。彼女との時間はけっして短いものではなかった。だからこそ、俺はこの現実を受け入れられなかった。夢であってほしいと何度願ったことか。何度自殺しようとしたか。その度に親族が、友人が、間の悪いタイミングで入ってくる。遂にはこの部屋に監禁する始末だ。
なぜこの世界は一方通行なのだろう。なぜあの灰色のキャンバスに描かれた彼女と、もう一度触れ合うことができないのだろう。
彼女はふわりと笑った。溶けそうなその笑顔。消え入りそうなその涙。そして、その姿が、あの時の、血を止めどなく垂らしている姿へと変異したーー。
「ーーがはっ、はぁ、はぁ、はー」
意識が現実に戻ったと教えてくれた。眼前の明るい部屋が網膜を刺激している。
奴がこちらを見てほくそ笑んだ。
「おかえり、君の記憶の味はどうだい?」
「な、んだ……これは」
「君の過去さ。人生の一端だよ。記憶の欠片は後十個以上はある。でも、王様を殺せばそれらは集めなくとも君の頭へ戻るんだ。
それ、探すのに苦労したんだからね?」
彼の愉快そうな声に苛立ちを覚えつつ、揺れる脳みそを休ませたくて、ベッドに寝転んだ。
未だにまぶたの裏側に張り付く光景。【彼女の姿】。
俺はそれを求めてこの世界に来たのだと解釈した。否、それが一番しっくりきた。
今手にいれた記憶は一番新しいと直感的に分かったのだから。
その時の感情も何もかもを覚えている。その日以前の記憶は相変わらずなにのに、それだけは覚えている。
この世界にきた理由も。また感づいた。
「彼女って誰だ?」
「おや、気づいているだろう?
君の大事な愛しき女性のことさ。
このゲームに参加してクリアすれば、君はなんでも叶えられる。地位も金も記憶も、そして彼女さえも」
考え方が変わる音がした。
それはとてもいい提案だった。
名前が分からない彼女。しかし絶対的に自分が必要としている相手。それに命をかけることぐらい、容易いものだと思うようになった。
「まだ時間はあげるよ。こたえはかんがえておいて。
ここまでで、なんか質問ある?」
「どうせはぐらかすだろ」
「はぐらかさなくていい質問をしたらいいんだよ」
好きな食べ物とかか? 何歳だよ。
少し考える。もう過去の彼女とゲームについてしか埋まっていない頭だ。一度落ち着くのにはちょうど良い。
何かないかと思想を巡らす。
「名前が数字だったら一億とかのやつもいるのか?」
「そうだね。でも名前をもらえる人は限られているから、五千人ぐらいまでだった気がするよ」
「少ねえな。そんなもんなのか?」
「少なくともこの国はそうだね。この世界の土地が広過ぎて周りの国が発見されていないから分からないけれど」
それは驚きだ。この国の外は宇宙ということか。
「全然発展してねえのな」
「ここの近辺ならけっこう裕福な国だけれどね。まだまだみたい」
ピクリと眉が反応する。この男は信用ならないと、八の位置づけが頭の中で設定された。
「もうないかな。とりあえず、僕はスク水と遊んでくるから、しばらくここにいてね」
そう言うと、彼は扉を開けた。
そこから幼女の声が聞こえた。ちゃんとおまじないを信じているらしい。
八の足音が廊下を遠ざかり消える。向こうで扉の閉まる音が聞こえた。欠伸をして寝転がる。先ほど付けたピアスを弄って、立ち上がった。
一つだけある窓に手をかける。三階程度の高さがあった。ここから逃げることはできない。
これも一つしかない扉を開く。廊下を覗くと、左右の端には上へと登る階段があった。
それ以外に部屋はなく、どこまでも続いていそうな坂が立ちはだかっている。
「……さっき階段登る音しなかったよな」
呟いて中に入った。
とりあえず、ここから抜け出したい。
やっぱり、ハチを信用すべきでない気がした。
脱走してないじゃないかっ。
と思う方、はい、ロクは脱走しておりません。申し訳ありません。
決意しただけですね。




