-暗い部屋で-
小さな童話集を開く。
薄っぺらく挿絵も少ない童話たち。
子どもの頃幾度となく眠り歌として聞かされた話。
それらは原作を子ども用にしていることは世間一般常識だ。そして、その原作はこの小さな童話集だった。
『セブンオークロック童話集――第一幕――
昔々あるところに、アルジオという若者がおりました。
彼はとても優しく、好青年でありましたが、彼は一人ぼっちでした。
彼に友達ができたことはありませんでした。近づくだけで逃げられるのです。
彼に悪いところはありません。
それは呪いだったのです。人を寄せ付けない呪いでした。
アルジオは諦めていました。そして酷く落ち込んでいました。
ある日、アルジオは街外れの湖へと行きました。そこは美しい白鳥がいることで有名でした。
しかしその日は生憎の悪天で、白鳥は一羽も姿を表しませんでした。
悲しくなって、湖の畔へと腰を下ろしました。そして水面を眺めていると、
背後から男の声が聞こえました。
「君がアルジオかい?」
それは初めてのことでした。呪いのせいで自分の名前を呼んでくれた人はいなかったのです。
失敗はいけないと、平静を保つべく深呼吸を繰り返して「はい」と振り返りました。
男はにこやかに笑いました。「それはよかった。実は貴方と一度話がしてみたいと思っていたのです」
男はアルジオの隣に座りました。
アルジオはあまりの出来事に歓喜の声を張り上げてしまいました。
初めて話をしたいと言われたぞ!
それから二人は長い間話し合いました。それはとてもとても心踊る時間でした。
アルジオは今までに溜め込んでいた痛みを打ち明けました。そしてとっておきの面白い話も披露しました。彼は笑ってくれました。
そして時刻は夕刻になりました。
アルジオは別れるのが嫌で嫌で、「もっと話がしたい」と言いました。
男は困ったように笑います。
「それはできません。もうこんな時間ですよ。帰らなくては」
嫌だ、アルジオは強く思いました。そして何度も懇願しました。
男はさすがに根負けし、嗤いました。
「いいでしょう、では一つ。ゲームをいたしましょう。
勝てばお望み通り、どんなことでもしてやりましょう。しかし、負ければその分の代償をいただきます。どうです?」
アルジオは二つ返事で了承しました。ゲームには自信があったのです。
「ルールは簡単です」男は笑います。「王様を殺すことがただ一つの勝利条件ですから」
アルジオは驚きを隠せませんでした。王様はみんなが大好きで、みんなも王様が大好きだったからです。
しかし、アルジオは頷きました。どれほど大好きな王様であっても、彼に話しかけたことは一度もなかったのですから。
男は嗤いました。 』
「また読んでいるのかい?」
後ろから声が聞こえ振り返ると、そこにはにこりと笑う男が立っていた。
「お前は後ろに立つのが好きだな」
「ああ、驚かすのは楽しいからね」
「はっ、捻くれているな」
「兄さんほどじゃないよ」
男は目の前のイスに座った。その顔は相変わらず笑っている。それを見ていると不審に思ったのか引きつった顔で問いかけてきた。
「何か顔についているかい?」
「その気持ち悪い笑顔がな」
「気持ち悪いとか言わない言わない。僕の顔はもとからこんな感じでしたよ」
「そうか? もっとふざけた顔だったと思うが」
「……その本、いつまで読む気ですか?」手に持つ童話集を差しながら彼は言った。
「ああ、これか? これは……いつまで持っているのだろうな」
「聞かれても困りますけどね」
「よく言うよ」
お互いに黙り込んだ。変な沈黙が二人の間を流れる。
こういう間がなんとも気に食わない。しかし弟はこういう空気が好きなのだ。自分で勝手にしゃべって勝手に黙る。
だから気にするだけで無駄だ。いつからか兄弟の関係は、温かい家族のような関係は消えている。
口調は以前と変わらないし、態度も変わっていない。しかし、二人とも前とは違うと確かに感じている。
それはおそらく、成長したからだろうと兄は考えていた。
血がつながっているのだからフレンドリーになってもいいと思うのだが……いや、何も変わっていないか。
ため息をつき、さきほどまで読んでいた童話のページに目を落とす。文を追って読み始めようとした矢先、弟が阻止した。
「ところで兄さん、世界を壊す準備はできているのかい?」
読書の邪魔をされて多少なりとて苛立ちを募らせたが、彼の言葉を聞いて沈静化される。
弟は死ぬのが怖いらしい。そして、本当に世界を壊すだろうと信じていることに兄は優越感を覚えていた。
「順調だ。あの野郎も手伝ってくれているからな」
「予知の子かい?」
「ああ」
彼はすうっと目を細め、何か考えるかのような仕草をした。それを見て兄貴は考える。
――相当死ぬのが怖いらしい。大丈夫だぞ、お兄様がお前は殺さないようにと準備しているからな。
「安心しろ、お前が死ぬことはない」
そういうと、びっくりしたような顔でこちらを見つめていた。驚いたように固まっている。彼の口からはいつのまにか笑みが消えていた。
間違えたか、と不安になる。しかし、それを見透かしたかのように彼は笑った。「ありがとうございます」とつぶやく。
兄はなおさら上機嫌になった。
弟の、今までに見たことのない醜い笑みなど、眼中に入っていなかった。
そして、ふと顔をあげたときには、弟の姿を見つけることはできなかった。




