8 ―だいすきなもの―
「ちょっと。足、邪魔なんだけど?」
カイザーの背中を見送りながら呆然としていた私に、モンペ二号が面倒そうな声で促した。
「あ、失礼……」
そうか。カイザーを止めるために無意識にこの場所に駆け込んだんだった。
本来ならここにはカイザーのシートが敷かれていただろうに。
モンペ組のシートに突っ立っていることに気がついた私は、自分のシートに戻るとそのシートの固定を始めた。
仮固定はこんなものでいいだろう。あとは自宅に残りの荷物を取りに戻り、その荷物を使って正式に固定しよう。
腕の時計を確認すると、開会式まであと五十分はある。
自宅までは自転車で五分ほどの距離なので、今から取りに戻れば問題はない。
「あ~、疲れた! んじゃ、ちょっと行きますか」
ちょうどシートの設置が完了したのか、モンペ組が園舎の方に向かって歩いていった。
彼らのブルーシートは、その四隅を太い杭で地中深くまで打ち込まれて固定され、シートに吹き掛かる風に少しもなびくことはなかった。
不意にシートに落ちる自分の影が薄くなった。空を見上げると、光は大きな灰色雲のフィルターに遮られ、弱々しい残り陽となって漏れ出ていた。
このまま降らなければよいが……
空から目を戻そうとすると、園舎の三階の窓から人影のようなものが見えた。
あれは姫ちゃんパパか?
姿が見えないと思ったらあんなところに。
確かに彼の持っていたカメラならば、あの距離からでも十分に子供を捉えることができるだろう。
運動会の当日は園舎が開放されており、教室や廊下に飾られている園児たちの絵や工作物などを自由に閲覧できるようになっている。
まだ時間もあるし、せっかくだから家に戻る前にチラッと見ていこうか。
私は園舎に入ると来賓用スリッパに履き替え、ちーちゃんの教室のある二階を目指した。
園児たちの使用する教室や施設は、基本的に一階と二階のみに存在する。
三階は用具室や放送室等、職員のみが使用するエリアとなっている。
ん? これは粘土細工か。
二階に上がると通路の壁に一列に並べられた机が目に入った。
机の上には、動物や人の顔をした様々な粘土細工が飾られていた。
壁にはカラフルな画用紙が貼られており、その画用紙にはクレヨンで『だいすきなもの!』というタイトルが記されていた。
なるほど。各自、自分の好きなものを作ったわけか。しかしまた随分とアバウトなタイトルだな。
『あおうみがめ組』の作品はどこかな?
顔を近づけながら机上の作品にサッと視線を流した。
お、あったあった。
これはケンちゃんの作品か。
どれどれ。んー、この球状のものは何だ……?
球状をした粘土の塊には、ヘラで模様のようなものが乱暴に刻まれている。
メロン…… かな?
いや、それにしてはヘタがついてないから違うかな。
……ギブアップ。
あとでケンちゃんに聞いてみるか。
驚くような回答が返ってこなければいいが……
これはカケル君のだな。
おー、これは丁寧に作ってあるな。これは多分『靴』だな。
そうか。彼は足が速いから、きっと自分の靴を作ったんだな。
道具を大切にすることは、アスリートとして常識だ、と某プロ野球選手が言っていたな。
彼はきっといいアスリートになるだろう。
こっちのがポール君か。
これは、ん~。携帯用のゲーム機か、な?
薄い長方形の上にボタンや画面らしきパーツが付けられている。
そういえば、ちーちゃんがポール君は色々なおもちゃを持っててすごいって妻に話していたな。
彼の家はお金持ちだからきっと沢山のおもちゃを持っているのだろう。
うちはあまり裕福とは言えないが、負けてはいられないな。
ちーちゃんはあまり自分から欲しい欲しいと言わないので、こちらが察して買ってあげないとな。
ちーちゃんの欲しいものは何だろうか。
……最近は、ちょっとわからないな。
しかし、園児達の作品というのはどれも微笑ましいものだな。
見ていて顔が緩くなってしま…… ブッ!?
私はその微笑ましい園児達の作品郡の中に紛れた、明らかに異彩を放つ一品に|驚倒≪きょうとう≫した。
これは…… アニメのキャラか、な?
その女の子の姿をした粘土細工は、頭身の再現に微塵の狂いもなく三百六十度どこから見ても隙がないほど完璧な仕上がりを見せていた。う、上手すぎるだろう。これは……
はっきりとは覚えていないが、最近ちーちゃんが見ている日曜日の朝のアニメに、これとソックリな変身する女の子がいたような気がする。
粘土細工の前に貼られている名札には『なうしか』と書かれていた。
やはりか……
想像だが、恐らく姫ちゃんは本当にこのキャラのことが好きなのだろう。
だがうまく作れなかったために家に持ち帰ってパパに相談した。
するとパパが覚醒しちゃってあれよあれよという間にこの作品が完成してしまった、と。
うむ。この想像は決してそれほどズレてはいない気がする。
先生、これはちゃんと注意したんだろうな?
いや、ここの先生なら、これも個性として認めてしまいそうだな。それに最初から作ってもらったわけではないだろうし。
ただ、姫ちゃんがこれを見てどう思ったのかが少し気になるところだが……
ふぅ。なんとも驚いてしまった。
えーっと、それでちーちゃんの作品はどこだろう?
キョロキョロと探していると、廊下の窓から何やら鼻につく匂いが漂ってきた。
これは、タバコの臭いか?
もしやと気になり、窓から頭を出して煙の出所に視線を追わせると、園舎の裏でモンペ組がタバコを吸っていた。
彼らの横には運動会で使用されるであろうダンボールや備品が積載されている。恐らく一時的な仮置き場なのだろう。
なんてところで喫煙しているんだ! そこは喫煙場所ではないんだぞ。
彼らの手には携帯灰皿らしきものが見えるが、それにしても非常識だ。幼稚園の敷地内で喫煙するなどありえない!
私は窓から頭を戻すと急いで階段まで走った。
が、そこで階段を降りることなく立ち止まってしまった。
今から彼らの元に行って喫煙を注意したとして、彼らがそれを反省するだろうか。
その場での喫煙自体はやめるかもしれないが、散々私に悪態をついた挙句、きっとまたあとで別の見えないところで喫煙するだろう。
私に彼らに間違いを気づかせて反省を促せるほどの注意ができるだろうか?
それができないのであれば、今彼らの目の前で注意する理由があるだろうか。
彼らの喫煙後にあの場所に行って、吸殻や燃えカスが落ちていないかどうかを確認すれば一緒ではないのか?
「たのしみだねー」
「うん がんばろうねっ」
「きょう、パパがみにきてくれるの。だからがんばるんだー」
階段の下から園児達の楽しそうな声が聞こえた。
園児達はキャッキャと騒ぎながら階段をあがってくる。
そういえばそろそろ園児達も登園してくる時間だ。
どの子たちからも、その抑えきれない胸の高鳴りが溢れ出していた。
もし、園児達が自分達の園舎の裏で喫煙している大人を見かけた場合、どんな気持ちになるだろう。
楽しみにしていた運動会に、きっと少しだけ嫌な気持ちが混じってしまうのではないだろうか。
それもルールを破っている大人たちの勝手な行動で、しなくてもいいはずの嫌な思いをさせられてしまうのではないだろうか。
そんな理不尽なこと、させていいはずがない。
反省させることができないとしても、今だけでも喫煙をやめさせればいいのだ。
とにかく、園児達が目撃する可能性のある今だけでも喫煙をやめさせよう。
私は園児達とぶつからないように階段を駆け下りながら、先程階段で立ち止まってしまった自分をなじった。
結局、なんだかんだ言って怖いんじゃないか。この臆病者!
「えー、テステス、テステス。ただいまマイクのテスト中」
グラウンドからマイクのテストをしている保母さんの声が聞こえる。
「わー まいくだー あ~ あ~」
「わたしもーっ!」
マイクに登園してきた園児達の声が混じる。
「みんなおはよ~ 元気いいねー♪ 運動会、がんばろうねっ!」
「おー!」
「お~」
階段を駆け下りた私は園舎裏に通じる通路を抜けて、乱暴にスリッパを脱ぎ捨てると裸足のまま外に飛び出した。
――― あとがき ―――
本話をご覧いただき誠にありがとうございました。
前話のカイザーがどうみても中国人かロボにしか見えないですって?
ははは。お客様、お戯れを。お戯れを……




