11 ―パパのお守り―
――― まえがき ―――
本話にて重要なシーンを描きました。
可能でしたらオルゴールなんかのBGMを聴きながらお読みいただければ嬉しいかな~なんて思います。
「パパすごい! 最前列なんてよく取れたね。これで今日はいっぱい応援できるね」
「まあまあいい席じゃない。上等よ、お疲れ様。パパ♪」
到着した家族に戦果を報告するパパ戦士達。
それを労う家族達。
観覧席のあちらこちらからそんな声が聞こえる。
一方、土のついたリュックを肩に掛け、ボロボロの濡れたシートを脇に抱え、泥のついたジョギングウェアを着こみ、重い足取りで虚ろな表情をしてキョロキョロと空席を探す不審な人物が幼稚園のグラウンドを彷徨っている。
通報ものだな。
そして通報されるのは私だ。
この時間になるとさすがに観覧席のエリアには、最前列などもとより、後方にすら空いているエリアは見当たらない。
もう観覧席エリアは諦めて、園舎に沿った踊り場や、開放されている体育館に『荷物置き場』として利用するだけの場所を確保するしかないかもしれない。
不意にリュックの中から電子音のクラシックメロディが響いた。
私は取り出した携帯の着信番号を見て少しためらった後に通話キーを押した。
「パパ? お疲れ様。今どこのあたりにいるのかな? 私は今到着したばかりなんだけど場所を教えてもらえる?」
妻の声に私の気持ちが一層重く沈んでいくのに気がついた。
「すまない。実はまだ取れていないんだ……」
少しの沈黙を挟んで妻が驚いたように聞いてきた。
「えっ? あれだけ早く並んでいたのにダメだったの? ……そう。残念だったわね。じゃあ別の席に、えっ、まだどこも取れていない?」
私は妻に聞かれると同時に現状、何処の席も取れていない事実を伝えた。
どう回り道しても、この事実は変わらない。
「……パパ。何かあった? 一体どうしたの?」
みっともなさと申し訳なさで、いたたまれなくなった私は事情を説明することも無く、一旦荷物を取りに戻るから、どこか適当な荷物置き場を見つけておいてくれとだけ伝えて一方的に電話を切った。
まったく情けない。
意気込んで参加したものの、こんな醜態を晒してしまうなんて。
私は口を結んで強く歯を噛み込んだ。
席がなくなるまでの経緯をすべて妻に話したからと言って何も変わらない。
エルドラドが戻ってくることなどないのだ。
それならば見苦しい言い訳などせずに現在の事実だけを伝えておけばいい。
私は駐輪場に止めていた自転車のチェーンを外し、シートを畳んで籠に詰め込んだ。
もうあまり時間がない。
せめて開会式には遅れないようにせねば。
ペダルを漕ぐと足裏の火傷がズキリと痛んだ。
なので、なるべく爪先のほうで漕ぐことにした。
まだ運動会も始まっていないのに、あちこちが痛んだ。
なので、なるべく思い出さないように漕ぐことにした。
マンションの駐輪場に自転車を止め、エレベーターに乗り込み五階のボタンを押す。
鍵を回してドアを開け、3LDKのリビングに行く前に、汚れた服を脱衣場に放り込んだ。
シャワーを浴びて行きたいところだが、そんな時間はないだろう。
洗面所で顔だけ洗い普段着に着替えた。
ジョギングウェアの変えはあるのだが、なんとなくそれを着込む気分ではなかった。
私は運動会に持っていく荷物を纏め始めた。
カメラにビデオにキャンプで使うコンパクトチェアに――
そうか。椅子は必要ないか。設置する場所がないものな。
エルドラドを取る前提でリストアップしていた荷物の大半はその必要がなくなってしまった。エルドラドとはいわずに一般の観覧席エリアの最前列でも確保できていれば持っていくことも考えられるのだが……
はは。随分と予定よりも重量が減ったものだ。
集めた荷物を見て自虐的に笑った。
む、そうだ。弁当を忘れるところだった。
ダイニングに行き、テーブルを見ると弁当セットの変わりに一枚のメモが置いてあった。
『お弁当は私が持っていきますので、残りの荷物をおねがいします。 ママ』
……そうか。ママが持って行ってくれたんだな。
私が疲れているはずと心配してくれたのだろうか。
ありがたいが、――その心遣いは今の無様な私を一層惨めな気持ちにさせた。
「すまないなぁ。ほんと。ダメなパパで……」
どうしていつもこうなるのだろうか。
荷物を持ってユルユルと玄関へ向う途中、脱衣場に放り込んだジョギングウェアが目に入った。
おっと、いかん。服のポケットの中の物を出しておかないとな。このまま洗濯するわけにはいかないな。
上着のポケットからメモやらハンカチ類などを取り出して洗い物とそうでないものに分別した。
ズボンも同様に分別しているとポケットに固めの感触があった。
それを取り出すと、あの時ポケットに突っ込んでいた『お守り』だった。
ああ。これを忘れるとはどうかしている。
洗濯などしては台無しだ。
私は暫く『お守り』を見つめていた。
それをそっと握り込んで立ち上がり、子供部屋のドアを開け電気をつけた。
六畳のフローリングの中央には小さな円形の机と椅子が置かれている。
タンスや本棚、おもちゃ棚にクッション、どれも子供用のサイズで淡いパステルの可愛らしいデザインのものだ。
来年には小学生になるのだから、そろそろちゃんとした机を買ってあげないとな。
棚の上にはお気に入りのヌイグルミたちが綺麗に並べられている。
その中でも特にお気に入りの数体は丸い机の上に輪になって並べられている。
ちーちゃん曰く、お留守番中に寂しくないように、みんなでお話できるようにとのことだ。
「パパ、また失敗しちゃったよ。またちーちゃんを喜ばせてあげることができなかったんだ」
「お前達は偉いな。ちゃんとちーちゃんのお友達として、彼女を楽しませている……」
ヌイグルミたちの輪の傍に腰を下ろし、愚痴と一緒に溜息をついた。
白い壁には、ちーちゃんの書いた沢山の絵が貼られてあった。
それはヌイグルミたちであったり、テレビのキャラクターであったり、幼稚園の友達であったり、家族であったりした。
自分の絵、ママの絵、そして私の絵。
それらは基本的に最新の物が取り替え取り替え貼られている。
自分やママの絵の最新作は比較的新しい。
ママの絵が私の知らない最新作に変わっていた。いつ描いたんだろうか。
そんな中で私の絵は1年ほど前のまま更新されていない。
その変わらない私の絵は、相変わらずな今の私をどう見ているのだろう。
……
「私はがんばっているじゃないか! どうして…… どうしてこうなってしまうんだ」
私は自分がコミュニケーションが苦手なことを自覚している。
私は自分が器用ではないことを自覚している。
これまで生きてきた中で、それは嫌と言うほど実感させられてきた。
だからといって何もしてこなかったわけではない。
時折私は意を決して行動に出てきた。
しかし、――それがいつも無様な結果を招くことも痛いほど実感させられた。
不器用な私が動くと更に悪い結果が返ってくる。
意思表現の下手な私が自分の感情を出すと、相手には伝わらないどころか下手をすると反対の印象として残る。
それが私だ。
だがそれでも私は大人だ。
これ以上の能力が私に突然与えられるわけではない。
生まれ変わるわけでもない。
この自分を認めた上で大人として、そして親として生きていかなければならない。
私は人から『真面目』だとよく言われる。
自分自身、根がそうなのだろうとは思っている。
だが、こんな私だからこそ人一倍『真面目』に生きている。
仕事もそうだ。
決して要領がよくないので、最低限気をつけていれば問題ない事案を徹底的にミスの無いよう心がけた。
無遅刻、無欠勤などは言うに及ばず、社内規則、社会のルール、はたまたモラルに関しても、気をつければ誰でも出来ることを徹底的に厳しく注意して行動する。
そんな余分な所で余計な注意を受けることが無いようにするためだ。
それでも注意は受けてしまう。
要領が悪いからだ。
なんとかしようと足掻いてみては、結果は先程のとおりだ。
だから私は寡黙を通す。
余計なことしない。余計に目立たない。必要のない発言はしない。
そうすることが私の『真面目』という唯一の長所を後押ししてくれる頼りのない理念となった。
私は人一倍、いや誰よりも仕事を受けてきた。
そしてその仕事を真面目にこなしてきた。
同僚がせせら笑おうが、上司にうまく使われようが、年下に軽く見られようが、私にはそれしかできないのだ。
そうすることが私を守り、そして家族を守ることに繋がるからだ。
私は娘を愛している。
そして妻を愛している。
これは誰に聞かれてもその答えに揺らぎが出ることはない。
私は家族を愛している。
私は『お守り』の紐をそっと外すと中に入っている幾重にも折りたたまれた一枚の紙を取り出した。
その少しヨレてしまっている紙を丁寧に開いてヌイグルミたちの輪の中心に置いた。
それは画用紙にクレヨンで描かれた一枚の絵だ。
絵の右側にはママの絵。ちーちゃんと手を繋いでいる。
真ん中にはちーちゃん。どことなく少しだけ笑顔が小さく見える。
そして絵の左側は……
空白になっている。
今年の父の日に幼稚園である企画があった。
それは父の日のプレゼントに絵を描いてパパにプレゼントしようという、よくあるイベントだ。
お題は『最近の家族との思い出』
最近の出来事で楽しかったことを絵にしましょうというものだったそうだ。
父の日のプレゼントだから、もちろん父親を描くのがメインとなる。
私は真剣に娘に接してきたつもりだ。
幼稚園に入る前までは、『ぱぱ! ぱぱ!』 といつも引っ付いてきていた。
私は飾ることのない心のままで彼女と接した。
幼稚園に入ると自我も目覚めはじめる。
次第に意味のある会話になりつつある娘とのコミュニケーションにおいて、私は自分を戒めた。
成長する彼女はそのうち気がついてしまうかもしれない。
私のパパが他の子のパパと少し違っていると。
もしかすると、それが彼女をつらい気持ちにさせてしまうかもしれない。
私は『真面目』なパパを心がけた。
寡黙をもって威厳を放つといったところが理想だ。
家の中ではドンと構え、決して取り乱さない。
問題にも冷静に対応して慌てない。
そうすることで彼女の目には、この情けない私が『いい父親』として映るだろうと信じていた。
コツコツ積み上げた私の『真面目』さは、仕事においても効果を表し始めていた。
去年辺りからやや重要な仕事を任され、その忙しさは休日すら定期的に取ることも許されないものとなった。
重要な仕事とはいえ、それは誰もが面倒くさがり敬遠する類の『華のない仕事』だ。
だが私は決して手を抜かなかった。
私がここでの居場所を作る為に。そして何より家族のために。
無我夢中で仕事に没頭し、迎えた今年の父の日。
――ちーちゃんは結局、絵を完成させることはできなかった。
ちーちゃんは父の日から一日遅れの夜、私に手作りのお菓子をプレゼントしてくれた。
ちーちゃんが寝入ったあと、私は妻から一枚の絵を渡された。
その左側が空白の絵には、所々に水が落ちたようにクレヨンが滲んだ跡が見える。
妻は保母さんから聞いた話を私に話してくれた。
ちーちゃんが幼稚園でこの絵を描くために私との楽しい思い出を一生懸命探していたこと。
ちーちゃんが幼稚園でこの絵を渡したらパパが喜んでくれるのか不安に思っていたこと。
そしてちーちゃんが幼稚園でこの絵を書きあげることができず、泣いていたこと……
馬鹿な私はその時、今更ながらに気がついたのだ。
最近、ちーちゃんと何を話したのか記憶に無いこと。
最近、ちーちゃんをどこかに連れて行ってあげた記憶が無いこと。
最近、ちーちゃんの私に向けた笑顔を見ていないこと。
その時、私は誓ったのだ。
彼女に最高の思い出を与えてあげようと。
私は厳しい日常の中からトレーニングの時間を作り体を鍛え始めた。
その幼稚園には誠しやかな伝説があった。
その幼稚園の運動会でエルドラドを手にした者は、あらゆる望みが叶うという。
そんな伝説を信じているのか信じていないのかは知らないが、毎年そこには多くの保護者がその場所取りに殺到する。
実際のところ、私はそんな伝説など信じてはいない。
ただその場所が最高の応援ポイントであるのは事実だ。
そして誰もが望む物であることも。
私は、それを手に入れることがつまり、どれだけ真剣に家族のことを考えているのかを具体的に示す方法となると考えた。
エルドラドを手に入れることで、この私の気持ちがちーちゃんに伝わることを信じて。
私は理念を捨てて行動を起す覚悟を決めた。
――だが、
その結果がこれだ……
今日、私は結局一体何をしたというのだ?
休日出勤を断り、
深夜から寒空に晒され、
肩が攣って、
頭にコブを作って、
服を泥だらけにして、
スリ傷つくって、
足を火傷して、
シートをダメにして、
それで私は一体、何を得たのだ?
実に私らしい……
私はまた、君を喜ばせてあげることができなかった。
わからないんだ。
大人なのに、親なのにわからないんだ。
私は本当にダメなパパだ。
一体どうすれば彼女に笑顔を向けてもらうことができるんだ……
――― あとがき ―――
本作をご覧いただきありがとうございました!
ちーちゃんパパの動機を描きましたが如何でしたでしょうか……
実際作者自身、書いてる途中で気持ちが落ち込んできてしまいました。
もうどん底な『ちーちゃんパパ』ですが、次話には新キャラクター(?)が登場する予定です。
そのキャラクターがストーリーにどのような影響を与えるのかは……
ほんの少しだけご期待くださいませ




