10 ―緑と青の証明―
先程までエルドラドを彩っていた爽やかな緑は私の片腋に抱えられ、これから予想外の任務につくことになるだろう。
エルドラドに敷くからにはそれに相応しいシートでなければと、この日のために購入した若干お高目な、この弱高級レジャーシートは防水性と多少の耐火性を持っている。
これならば火を踏みつけるなり、水を汲むなりして何とかなるはず!
なんとかなるはずだから、頼む。間に合ってくれ。
――子供達の衣装が燃えてしまう前に。
私の行動次第では、こんなことにはならなかったはずだ。
もし、喫煙してる彼らを見かけたとき、その場で注意していれば?
もしくは階段で立ち止まらずに、そのまま彼らの元に駆けつけて注意していれば?
不甲斐なさに叫びだしたくなる衝動を堪えて園舎に飛び込んだ。
申し訳ないが靴を履いたままで園舎の一階を駆け抜けて、園舎裏へと滑り出した。あとで床掃除しておくので見逃してもらえると助かる。
そして火事が私の早とちりな妄想であったなら更に助かる。
祈るような気持ちで備品置き場のダンボールを確認した。
「ああ……」
ダンボールのひとつが赤々と眩しい熱気を立ち上げていた。
それは『火』ではなく『炎』と呼べるものだった。
そして炎を立ち上げているのは、さきほど私がウサギを抜き取ったみかん箱型ダンボールであった。
……
私はその炎に目を奪われて茫然自失としてしまっていた。
ぐすぐすと泣き出す園児の声が聞こえた。
この光景に驚いてしまったんだろう。無理もない。
早急に何とかしなくては。
「危ないからみんなはグラウンドのほうに行ってなさーい。慌てなくていいから、落ち着いてみんなで行くんだよー」
「残ってるお友達がいないように、ちゃんと一緒に行ってあげることー。いいねー?」
まずは園児たちを火から遠ざけなければいけない。
園児たちは手を繋いでグラウンドのほうへ避難していく。
ある子が近くで泣いていた子に『行こう』と手を差し伸ばす。
泣いていた子は『……うん』と小さく頷くと、差し出された手を取り私に向かって言った。
「あそこにみんなのおようふくがあるの…… もえちゃうの?」
「……だいじょうぶだよ」
もっと安心させてあげたほうがよかったのかもしれないが、そう言うだけで精一杯だった。
その子の表情からは不安は消えてはいなかったが、手を引かれてグラウンドのほうへと走っていった。
これで子供達は避難できた。
あとはこれをどうするか……
燃えているのはダンボールひとつだけ。
その下のダンボールや周囲のものには飛び火していない。
炎の勢いは衰えず、今にも回りに飛び火しそうな状態だ。
恐らく着ぐるみが合成樹脂性だから燃えやすいのだろう。
このまま放置すると確実に他に飛び火する。
そしてあの中には子供達の衣装が……
シートに水を汲んで何度も往復していては間に合わない。
私はシートを広げ、炎避けにしながらダンボールに近づいた。
大丈夫だ。熱は通ってこない。
着ぐるみのダンボールはもうどうすることも出来ないが、せめて飛び火だけでも防ごう。
私は覚悟を決めてダンボールを触れるくらいまでの距離に接近した。
「熱っつい!」
シートは耐火性があるといっても、これだけ近いと熱が貫通してくる。
ダンボールから湧き上がる熱風がシートを持つ両手に触れると、それだけで燃えてしまうのではないかというほどの痛みを感じた。
私は手をシートに巻きつかせて表面を隠すと、一瞬が勝負とばかりに燃え盛るダンボールを掴みこんだ。
そして、そのまま掴んだダンボールを横に放り出すようにして払った。
ダンボールは炎を纏ったまま空中を横にスライドして、二メートルほど離れた場所に滑りながら着地した。
地面に落ちても未だ轟々と燃えるダンボールに覆い被さるようにシートで蓋をした。
熱い熱い!!
もう少し高級な完全防火のシートにしておけばよかったと後悔したが後の祭り。
シートを挟んでいるとはいえ、とても体で押さえておける熱さではない。
私は炎を包んでいるシートの表面がユックリと解けていくのに気がつくと急いで立ち上がり、とにかく踏みつけて炎を消そうと足を動かした。
消えてくれ消えてくれ消えてくれ!
「チーチャンパパ、離レテ!」
大きな体が私の足元のシートを小さく捲り、その中に少しだけ手を差し込むとブシュゥという音と共にシートの隙間の地面から軽く白い水蒸気が立ち昇った。
カイザー……
彼は捲くったシートの隙間から押し寄せてくる熱風に顔をしかめながら消火器のレバーを握りこんでいた。
シートは時折、勢いのある水流に弾かれてバタバタとはためいたが、私の足に押さえられていたので水流によって飛んでいくことはなかった。
その後、カイザーは念のためにと新しい消火器でもう一度ダンボールに向けて放水した。
足で押さえていたシートを手繰り寄せて回収すると、それは所々解けており、真ん中には大きな風穴が開いていた。
シートの下から姿を現したダンボールは原型を僅かに留める程度になっており、その黒焦げの表面から白い水蒸気の粒子を立ち昇らせていた。
なんとか消火できたか……
私は水を滴らせているボロボロのシートを見て少し悲しくなったが、園児達の衣装が無事だったのでよかったのだと気持ちを切り替えることにした。
「ああ、よかったあぁ…… 消えてよかった。 ――あ! お二人ともお怪我はありませんでしたか?」
カイザーと一緒に消火器を持って駆けつけた保母さんがタオルを渡してくれた。
すると園舎から他の保母さんや幼稚園のスタッフたちがワラワラと溢れてきた。
私にタオルを渡してくれた保母さんが心配そうな顔で尋ねてきた。
「一体、何があったんです?」
私はカイザーと駆けつけてきた保母さん達に事情を説明した。
だが私はタバコのことは何故か言わなかった。
いや、言えなかった。
だから『園児達の騒ぎ声が聞こえて駆けつけると……』と答えた。
これは彼らを庇うとか、そういった気持ちからではないだろう。
多分、只でさえこの騒ぎなのに、この上タバコの不始末と言う原因を知って落胆して欲しくなかったのだと思う。
今日は子供達の楽しみにしていた運動会なのだから……
私は保母さんたちに、飛び火している可能性もあるから一応備品置き場の全てを確認しておいたよいと伝えた。
幼稚園の関係者からはお礼を言われたが、その前の自分の行動を思い返すとその言葉を素直に喜んで受け取ることができなかった。
ボロボロのシートを抱えながら席に戻ろうとした私にカイザーが声を掛けた。
「おんしゃのことは、よう解らんぜよ。おんしゃ、いっつもこんなことしちゅうがか?」
彼の言いたいことがイマイチ理解できなかった。
どういう意味だろうか?
「まあ、えい。――とにかく! おんしゃのしたことはエエことじゃ。これだけは自信持ってええじゃろ」
席も取ったし自分は一度荷物を取りに家に戻ると言ってカイザーは裏門から出て行った。
自信と言われても、それまでの経緯を知っている以上、正直微妙なところだ。
偶々なのだ。
いつもなら私は傍観していただろう。行動には移らなかっただろう。
そう、今日は偶々なのだ。
新しいシートも持ってこなければいけなくなったことだし、私もそろそろ荷物をとりに戻らねば。
園舎の通路に入ると、先程は急いでいたので靴を履いたまま廊下を渡っていたことを思い出し、近くの掃除用具入れからモップを取り出して一通りモップ掛けをおこなった。
途中、それを見た保母さんに気にしなくてよいと止められたが、そういうわけにもいかない。
緊急時とはいえ、違反は違反だ。後始末は当然だ。
園舎を抜け、観覧席に置いていた荷物の一部を持ち帰るためにエルドラドに足を向けると、先程までは淡い緑に彩られ、遠目にも目立っていたエルドラドが見当たらない。
当然だ。そのシートはこの有様だから。
家に残るレジャーシートは普通のブルーシートかキャラクターの入った柄物だったな。
エルドラドに敷くには無粋だが、大きさから考えてブルーシートになってしまうか。
しかしこのシート、妻になんと言い訳すればいいのだ……
エルドラドのためにと清水の舞台から勢いよくトペ・コンヒーロでダイブして、虎の子のヘソクリで妻に内緒で買ったはいいが、この有様ではな……
エルドラドに敷き占めてグウの音も無しに認知させるはずだったのだが、これでは領収書落ちないだろうなぁ。
そんなことを考えながらエルドラドに近づいて、その異変に気がついた。
――私がシートを張っていた場所が無いのである。
いや、正確には私が淡緑のシートを敷いていたスペースがなくなった変わりに、そこには青いシートが敷かれていた。
ちょ、ちょっと待ってくれ。一体どういうことだ?
何故その場所がブルーシートで覆われているんだ?
どうにも状況が理解できずにいる。
軽く深呼吸して再度エルドラドを確認すると、エルドラドはその後ろから伸びる『青』によって占領されていた。
そしてその占領地の統治者として、モンペ組が座っていた。
考えを整理するよりも早く、エルドラドに居座り雑談している彼らの元に駆け寄った。
「こ、これは一体どういうことです!?」
モンペ組は私を見上げて「はい?」と癇に障る表情を向けた。
私は溢れる言葉のままに、それを一々審査することも忘れて彼らに訴えた。
「ここは私が先にシートを張って確保していた場所でしょう? それはあなたたちも見ていたではないですか」
「シート張ってたのは見たけど?」
モンペ一号が面倒くさそうに返事をしている。
「い、いや、だったら何故こんなことをしているのです!?」
「いや、だからぁ、シート無くなってたじゃない。ずっと」
――!?
え? 何を言っているんだ。そんなのは屁理屈じゃないか。断じて認められない。
「ですから、私達はあなたが此処とは別の場所を見つけて、そこにシートを移動したのだと考え、それなら空いているわけだからと確保したのです。なにか問題が?」
モンペ二号が立ち上がり、言葉をなくしている私に確認するように問いかけてきた。
「な、何を言っているんだ? 此処よりいい場所なんてあるわけがないではないか! ここから移動するなんてありえないことだ!」
「そう仰られても、『此処よりいい場所』なんていうのは各自人それぞれでしょう? 自分がそう思っているからと言って他人もそうだと決め付けられるのは不愉快です」
な、なんてことだ……
こんなことがあっていいのだろうか。
いや、あっていいはずが無い。
確かにシートは外してしまったが、それは、それは――
「あなた達のタバコの不始末を片付けていたんだ! だからシートが必要になったんではないか!」
モンペ組は私の台詞に驚いた様子で探りを入れてきた。
「はぁー? タバコの不始末ってなんだよ?」
私はつい先程、自分がしてきたことの全てを彼らにぶつけた。
一体誰のせいでこんなに汚れてしまったと思っているんだ。
私の話を聞いた彼らはさすがに驚きを隠せなかったようだ。
今まで人を小馬鹿にした態度を取っていたが、それが一変した。
当初そんなつもりはなかったが、こうなったらとことん謝罪してもらおうか? そして私に感謝してもらおうではないか。
「さあ、解ったらそのブルーシートをどけてもらいたい。別にこの話を別の所でするつもりはない」
モンペ一号が恐る恐る確認してきた。
「で、でも、ほんとにあんた、タバコを吸っていたのが俺達だったって証明できるの?」
この期に及んでまだ言い逃れしようとしているのか。見苦しいにもほどがある。
「ええ。私がしっかりと見ていました。あなた達ふたりが備品置き場の横でタバコを吸っているのをね」
「それって、嘘じゃないって証明できるの?」
なんだって? 人をからかうにも程がある。この状況でよくもまあ、そんなことが言える。
「嘘ではない。嘘などつくはずがないではないか」
「……じゃあ、俺も言っちゃうよ? 俺はタバコを吸っていたあんたを見た」
!?
な、何を言い出すんだ? 話にならない。
「私はタバコは吸わない。いい加減な嘘はやめにしてもらおう」
「どうして嘘だと言えるのです? 彼はあなたと同じように『自分が見た』といっているのですよ?」
モンペ二号が何かに気がついたように、先程までは白かった顔色を元の色に戻していった。
「私はタバコなど吸わない。 これまで一度も喫煙などしたことがない。 馬鹿げている!」
「そう言ったところで、偶々気まぐれで吸っていた一本を彼が見ていたと言う可能性を否定することはできません」
「あなたが彼の言っている『自分が見た』を信用できないのと同様、私達もあなたの言う『自分が見た』という理由を信用することが出来ません」
――そんな、ばかな……
「所詮、当人同士が『自分が証人だ』などと言い出せば、水掛け論でしかないのですよ」
――こんな理屈が通ってしまうなんておかしい。オカシイじゃないか!
確かに私はエルドラドのシートを一時的に外した。
しかし、それはあなた達の喫煙が原因で、
でもその喫煙は証明できなくて……
そんな…… こんなことであれほど苦労して手にしたエルドラドを失ってしまうのか?
だ、だれか証明してくれ。
いや、証明なんてできなくていい。
私を援護してくれ。
それはおかしいと味方になってくれ。
!
か、カケル君パパ。
あなたなら、そこから全部見ていたはずだ。
私達のどちらが正しいことを言っている?
いや、ちがう…… 私の味方になって私を援護してくれ。お願いだ……
しかしカケル君パパから援護してもらうことは無かった。
私は彼に助けて欲しいと呼びかけなかったから。
私は何もせずともカケル君パパが勝手にこちらの味方になって援護してくれるなんて都合のいいことを妄想しているだけだ。
「解ったら、さっさとこのシートの周りに散らばってる荷物とかどけてくれない? 少しなら構わないけど、いつまでもあると邪魔なんだよね」
モンペ一号は顎で私の荷物たちを指し示して、やれやれと息をついた。
も、もう沢山だ。
こんな輩に関わったばかりにこんなことになってしまった。
一刻も早くここから立ち去ろう。
これ以上何もできないし、彼らと話もしたくない。
私は地面にころがる自分の荷物を拾い集めてリュックに詰めると、足早にエルドラドを後にした。
今の私はあの時の彼と同じように、悲しい目をしているのだろうか。
ふと考えた。
もしかするとカイザーも、こんな気持ちだったのだろうか。
私は馬鹿だ。
わかっていたはずなのに。
――― あとがき ―――
『注1』トペ・コンヒーロとは
プロレス技です。
リング外の相手に向かってリング内から勢いつけて『おい! 俺今から飛ぶから絶対よけるなよ!いいか?絶対よけるなよ』という前振りをこめて全身全霊ダイブしてぶつかって行く空中技。
メキシコなんかでは意中の相手への意思表示方法として、街中で覆面を被った人達によるそれが日常的にチラホラ見られたりしません。
本作をお読みいただき真にありがとうございました。
もうちょっと、もうちょっとだけがんばっていただけると嬉しいです(見捨てないで!)




