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大正浪漫 夫婦契約致しました 暗闇の中、呪われた夫と密やかにはぐくむ愛  作者: 佳乃こはる


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4/7

ご対面

「お初にお目にかかります。陽毬(ひまり)と申します」

 私はさらに頭を深く下げた。

 胸の内で、脈が忙しなく跳ねていた。

 

 薄暗い地下の雰囲気とは裏腹に、部屋からは品の良い白檀(びゃくだん)の香りが漂っていて、陽毬の張り詰めた気を緩めてくれた。

 

 額を床につけたまま、陽毬はそっと視線を上げた。


 文机に向かい、何か書き物をしていたらしき背中があった。紺の作務衣に包まれた広い背中は落ち着きを湛えていた。

 やがて彼は帳面を閉じ、ゆったりとした動作でこちらを振り向いた。

 

「あ、ども。宿禰っす」

「きっ……」

 

 顔を上げた瞬間、喉から悲鳴が飛び出すのを、辛うじて堪えた。

 

 ――信じられない。

 

 義母の念押しも、義父が来なかった理由もようやく分かった。

 

 目の前で照れくさそうに頭を掻いている青年。

 その姿は紛れもなく、巨大で、人の言葉を話す――

 

 蛙(かわず)だった。

 

「あ、あ、あ、あ……」

 

 思わず後ろを振り向けば、すでに義母の姿はない。

 恐る恐る、正面に向き直ると、目の前の蛙は、頭を掻いて笑っていた。


「いやぁ、まいったなぁ」

 

 ――お義母様、逃げたんだわ。

 実は父も騙されていて、私――生け贄だった?


 だから、衣装も道具も要らなかったの?


 逃げ出したい。それでも、身体が動かなかった。


 蛙の青年は、おかまいなしに朗らかに言った。


「ああ、そりゃびっくりしますよねぇ。僕、こんな姿ですから。あ、でも安心してくださいね。別に、取って食ったりしませんから」

「あ、は」


 視線を上げれば、きちんと正座をし、距離を保っている。

「ええっと……宿禰……様?」

「はい」


 深呼吸で、何とか息を整えた。

 

「あの……そう! かような病は初めて目にしたものですから、つい驚いてしまいました。お、お、お赦しくださいませ」

 

「へえ」

 

 蛙は、人よりは随分と高い位置にある黒い瞳をきょろりと動かした。

 

「あなた、僕が恐くはないのですか? 地下(ここ)へ来た方々は皆、母上でさえ、長くは居られず逃げてしまうのに」

 ふと、声が乾いた気がした。

 陽毬は、懸命に傷つけない言葉を探した。

 

「ええっと……正直、驚いています」

 

 陽毬は、床の木目をなぞるように追いかけた。

 

「でも宿禰様は、最初から私を怖がらせまいとなさっていたでしょう?」

 

 視線を、横のランプに流す。

「だから私も、失礼な態度はだけは取りたくなくて……す、すみません。まだ少し、緊張しています」

 

「なるほど」

 

 彼は、感心したように腕を組むと、大きな口元に手をあてた。

 

「あなたは、大層肝の座ったお方だ。これまでに五人、花嫁として地下(ここ)へいらっしゃいましたが」


 蛙はぱちりとまばたきをした。

 

「皆、僕を見るなり悲鳴を上げて、逃げ出してしまいました。だってほら、僕の面相は蛙(かわず)みたいでしょう?」

 

「ええ、少し……ふふっ」

 

 水かきがうっすらついた両手で己の顔を指差す仕草がどこか剽軽(ひょうきん)で、笑みがこぼれる。


「ご婦人方が嫌がるのも、無理はありません」

 宿禰の瞼が、大きな瞳を半分覆った。陽毬の胸がちくりと痛んだ。

 

「あの! 私、よく変わりものだと言われます」


 今度は、陽毬が自分のことを語る番だった。

 

「蟲(むし)や物怪が、さほど怖いとも思いません。好奇心のほうが勝ってしまって。女学校でも浮いてしまって、父や母も手を焼いていたと思います」


 宿禰は、朗らかに笑った。


「ははっ、そうですか。あなたが変わり者で、本当に良かった。初対面の僕と……ちゃんと言葉を交わして下さる方がいるなんて。まるで夢みたいだ」

 

 冗談めかしたその声には、寂しい色が滲んでいた。


「あの、ちなみにその病はいつから? お医者様は何と仰られて? お義母様は、私の看病次第で治癒するものと」


「ああ、あなたの好奇心は相当だな。まあ……そのあたりは、またいずれ」

 

 彼はやんわりと遮ると、穏やかに告げた。

 

「今日はもう、ゆっくりと休まれてください。部屋は、父が地上に一番日当たりの良い処を準備してくれていますから」

「お部屋は別々なのですか?」

 

「はい。母からはお叱りを受けましたが……僕からお願いしました。あなたがここに居る間、少しでも快適に過ごせるように」

 

 言葉の端に、どこか〝ここに居る間だけ〟という響きを感じたが、深く考える余裕はなかった。


「はい、ではお言葉に甘えて」

 

 改めて三つ指を突く。

 すると、頭上から少し慌てた、優しい声が落ちてきた。

 

「ああ、どうか御顔をお上げ下さい。あなたのことは、〝陽毬さん〟とお呼びしたらいいのかな?」

「はい、私は〝宿禰様〟と」

 

「では改めて。よろしくお願いします、陽毬さん」

「こちらこそ、宿禰様」

 

 つるりと滑らかな青白い手にそっと触れる。

 黒い瞳が、きらきらと光っていた。

 

 *

 

 地下を上がると、同い年くらいのお女中さんが控えていて、陽毬を部屋に案内してくれた。

 

 白い出窓に、レエスフリルの天蓋つきの寝台(ベッド)。まるで西洋の物語にある姫君の部屋へ迷い込んだようだった。

 

 帯を解いてもらい、浴衣(ゆかた)を渡してくれた後、お女中さんは礼をして去っていった。

 

「は〜、疲れたぁ」

 

 ひとりになった途端、陽毬は羽根布団に身を投げ出した。


 地下の隠し階段。蛙の姿の宿禰様。

 あまりに奇抜なことばかりで、頭の中がまだふわふわしている。

 

 それでも、思い返すたび胸に残るのは、あの深く穏やかな声と、きらきらと光る黒い目だった。


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