地下の部屋
近頃流行の和洋折衷の大屋敷。回廊に面したお庭には、丁寧に刈り込まれたさつきの花の白と赤が、西日に照らされて鮮やかに浮かび上がる。
ミツ子は、長い回廊をいくつも折れ、行き止まりの袋小路でようやく足を止めた。
陽毬は密かに息を呑んだ。
「陽毬さん」
「あ、はい」
名を呼ばれて我に返ると、振り向いたミツ子が、陽毬をじっと見ていた。
「あなたを権藤家へ迎えるにあたって、大切なことをお伝えしておきます」
相変わらず顔に表情はないが、声に微かな震えが混じったのを、陽毬は聞き逃さなかった。
「宿禰は今、病のために本来とは違う姿をしています。これからご対面となりますが……決して悲鳴を上げたりしませんように」
「……はい」
言葉の端に、命令のような響きがあった。
知る前からそんなことを言われても、陽毬としては困るのだが。
「それからもう一つ。あなたの御父上には予め話しておりますが……この病は、妻となるあなたが真心を尽くして仕えることで、癒えますの」
「は、はい」
果たして、そのような病などあるものだろうか。
俄かには信じがたいが、ミツ子の瞳は、確かな期待に輝いていた。
「え、ええ。確か……お父様もそのような事を」
「そう。そして、もし宿禰の病が完治した暁には——」
一瞬、義母は間をおいた。
「あなたは晴れて自由の身。この婚姻は、はじめからなかったことに致します」
思わず、ひゅっと息を詰めた。
「無論、両口屋への援助は続けますわ。陽毬さんも、望まぬ結婚などお嫌でしょう? 私はね、宿禰の病さえ直して頂けたらいいの。後は、好いた男性と縁を結び直そうとも、女学校に戻っても構いませんわ」
思わず顔が綻んで、慌てて白無垢の袖に隠した。
父の言ったとおり、宿禰の病気さえ治せば、自由になれる。女学校へ戻ることだってできるのだ。
つまりこれは、普通の嫁入りではない。
権藤宿禰という男の人生を引き受ける契約なのだ。
そう思うと、不思議と心は熱くなった。
私は猫を被るのをやめ、思い切って尋ねた。
「お義母様。私、精一杯努めますわ。それで、その病とは一体どういったものなのですか?」
すると義母は、即座に視線を足下に落とした。
ややあって、声を詰まらせながら言う。
「あの子の病は……そう、とても特殊なものですの。すぐにお分かりになるわ。さ、いらして」
ミツ子は壁に手を伸ばした。
一見、何もないように見える壁を押すと、20センチ四方ほど板がぽんと外れ、ぽっかりと壁に穴があく。
その中に、隠し棚があり、木で拵えたレバーが見えた。
「これは……」
目を見張る陽毬の前で、ミツ子がそれを引いた。
ガタンッ。
木の床が外れる音とともに、地下へと通じる隠し階段が現れた。
――あ、あ。
言葉を失う私をよそに、お義母様は手慣れた様子で、奥から手提げランプを取り出した。
「さあ、ご一緒に」
下から照らされたミツ子の顔は、地下への通路とあいまって、異様な影を落としていた。
――少しだけ、怖い。
けれど、秘密の地下への入り口なんて、まるで忍者屋敷のよう。
好奇心のほうが勝ってしまうのは、陽毬の昔からの悪い癖だった。
陽毬は、白無垢の裾をぐっと持ち上げ、足袋のつま先に力を込めた。
義母の後に続き、階段をそろりそろりと降りてゆく。
地下は思ったよりもずっと広く、整然としていた。廊下の左右には襖が並び、いくつもの灯りが隅々まで行き渡っていた。
――宿禰様という方は、こんな薄暗い場所で暮らしているのか。
ここまでして隠さなければならない姿とは、一体どんなものだろう。
やがて、奥に並んだ襖の前でミツ子は足を止めた。
「さあ、こちらが宿禰のお部屋です」
手提げランプを横に置き、正座をしたお義母様が、中に向かって声をかけた。
「宿禰や、あなたの花嫁がご到着されましたよ」
その後ろで、三つ指をつく。
とくん。
襖の向こうに、人の気配。衣擦れの音がかすかに聞こえた。
「あ、はい。どうぞ」
深く、穏やかな声色。
それだけで、不思議と胸の奥のざわめきが静まるような。
ミツ子が、がらりと襖戸を開いた。




