EP.4 廃墟の住宅街
住宅街に入ると、物資を探しているのか、墓荒らしをしているのか、分からなくなる。
住宅街ブロックCは、風鈴が鳴らない街だった。玄関先にぶら下がったまま固まった円盤は、砂で孔を埋められ、音の出し方を忘れている。
郵便受けは口を開けたまま固まり、表札の文字は半分だけ残り、犬の足跡も途中で砂に呑まれて消えていた。
外では手信号。AIの手首が白を二回――注意。
俺は拳を二回握って応じ、フェンス伝いに影から影へ。
風の層が変わる音がする。遠くの砂が板金を叩く低い太鼓。まだ嵐ではないが、鼓動の前触れみたいに間隔が狭まっていた。
「ターゲット家屋、右手二軒目」
AIが小声で告げ、門柱の横にしゃがむ。
ピピッ。細い光が鍵穴をなぞり、内部のピン配列を描き出す。AIはポーチから細い工具を二本出し、わずかに首を傾けた。
カチ。
鍵が、ため息みたいに解錠音を漏らす。
「お邪魔……します」
靴を一歩、玄関に入れたとき、口が勝手に言った。
「マスター」AIが首をかしげる。「誰もいません」
「知ってる。でも、言うんだよ。こういうのは」
「道徳は“他者がいる”前提の最適化です。あなたは――」
「うるさい」
リビングは、薄灰色の時間で満たされていた。ソファの座面には座り癖、テーブルの上には輪染み、壁には幼い文字の貼り紙。
キッチンへ踏み込む。戸棚を開け閉めするたび、別の家の生活音が短く蘇る。
引き出しの奥に缶詰。サバ、フルーツ、得体の知れない肉。米は一袋、二キロ。
心臓の位置が少し軽くなる。
「回収。台車まで運搬します」
AIが無駄のない動きで袋を抱え、通路を戻る。踵のスパイクが床材をかすめる音が、妙に頼もしい。
吊り戸を開けると、そこに琥珀色の群れ。瓶が五本、埃のカーテンの向こうで光っていた。
喉が、勝手に動く。
「……一本だけ」
自分に言い聞かせる声が小さくなる。
AIが戻ってきて、無表情の顔のまま、視線だけで棚と俺とを往復させた。
「お酒は最後(本当に最後)」
「栄養価だってある。カロリーは正義だ」
「“足を奪うカロリー”も存在します」
「説得が上手いのやめろ。一本。小さいやつ。ジャケットの内ポケットに入れて、台車には載せない」
「運用リスク評価。……条件付きで許可」
「条件?」
「“拾ったら、同じだけ手放す”。重量の総和は増やさない」
「交渉人かよ」
「設計です」
俺は一番小さな瓶を選び、埃を拭ってから胸の内側に滑り込ませる。重さは、秘密の言葉みたいに身体に馴染んだ。
「マスター」
呼ばれて振り向くと、AIが冷蔵庫下の引き出しを指した。
「金属反応、微弱」
引き出しを抜くと、底板のさらに下に薄い板。角に指をいれて持ち上げる。
そこに、短いケース。擦れた黒。
呼吸が、一瞬止まる。
ケースの留め具を外すと、銃。小ぶりなオート。マガジンは一つ。弾は――六発。
手に取ると、金属の冷たさが掌の真ん中に潜り込んできた。
「大収穫」
AIが珍しく、ほんのわずかに声を明るくする。「先日の破損個体の代替が得られました。安全装置、確認」
「してる」
「あなたの“してる”は、よくしていない」
「今日はしてる」
マガジンを抜き、戻す。スライドを引き、感触を確かめる。
AIが横で、頸のリングを一度だけ黄にした。
「使用は最小限。発砲は“最後の最後”」
「わかってる」
「それは“わかってない人”の――」
「今はわかってる」
銃をホルスター代わりの腰ベルトに差し、深く息を吐く。マスク越しでも、少しだけ世界がはっきりする。
銃の存在が、勇気なのか慢心なのか、それはいつも紙一重だ。
AIは別の棚を開け、結束バンドと乾電池、小さな救急キットを見つけて台車の隙間へ押し込む。
「積載、八一%。帰路、砂での抵抗は許容上限。次で終わりにしましょう」
「了解。じゃああと――」
言いかけて、耳の奥がざわついた。
建物の外で、風の鳴り方が変わる。低い。重い。
AIの頸のリングが白から黄、そして赤に切り替わる。
ビービービー。
端末からアラームが迸った。
「風速、急上昇。粒径変化。砂嵐の前縁です」
窓ガラスに、砂が一斉に叩きつけられる音。壁の内側が、知らない筋肉で身構えたみたいに軋む。
「退避――?」
「選択肢は二つ」AIが即答する。「一、今すぐ撤収して帰還ルートへ。二、近傍の堅牢家屋に一時避難」
「どっちが生きて帰れる?」
「二です。直帰は途中で視界と呼吸を奪われます」
俺は頷き、台車のハンドルをAIに渡す。
「近傍の“堅牢”って、どこだ」
「この並びの角の家。地下収納あり。窓面積が少ない。――ただし、そこは」
AIが一拍だけ、言葉を切った。
「あなたが、酒を覚えた家です」
喉に小さな棘が刺さる感覚。
外で、風鈴が鳴らないまま、家ごと低く唸った。
「行こう」
「はい、マスター」
玄関を閉める。靴先に砂が溜まっていく音がする。
AIが台車を引き、俺が前を開く。
白い粒の幕が、通りを斜めに横切っていた。視界は、薄い布を何枚も重ねたみたいに曖昧で、遠近が不安定になる。
AIの手首が赤を二回点滅――即退避。
俺は拳を二回、強く握り、角の家へ走った。
門柱の前で、AIが再び工具を出す。指は早いのに、動きは静かだ。
カチ。
扉が開く。
「中へ」
AIが台車を押し込み、俺は背中で風を切る。砂の帯が一瞬室内へ伸びて、すぐ消えた。
扉が閉まると、音が変わった。外は轟音、内は腹の底で鳴るような低音だけになる。
息を整え、ゴーグルを額に上げる。
居間の壁に、写真が並んでいた。笑っている顔。見知らぬ家族。なのに、指先にだけ見覚えがある。
AIが静かに近づき、頸のリングを黄から白へ落とした。
「地下収納、こちらです」
俺たちは階段の口に目を落とした。下から、冷たい空気がひと筋、上がってくる。
嵐は続く。
ここで夜を待つのか、話をするのか――たぶん、その両方だ。
AIが、ほんの一瞬だけ、俺の方を見た。顔のない顔で。
「マスター。約束を更新します。――“拾ったら、同じだけ手放す”」
「……わかってる」
俺は胸の内側の瓶に手を当て、離した。
「今日はまず、生き延びる」
「はい、マスター」
地下への扉を開く。
砂の轟音が遠くなり、代わりに、自分たちの呼吸だけがはっきりした。
嵐の夜は、長い。
でも、ふたりなら、話すことはいくらでもある。
たぶん、それが――延命装置の、もうひとつの性能だ。




